第7話 忘れ物

「おはよう」

「……おはよう……なの、だな。重岡さん」

 冬の早朝、しかも陽も登っていない時間とあって、さすがに冷え込んでいる。

 しかし――。

「なんで早朝集合なんですか?」

 愛媛県の伊予三島なら、たとえ午後に出ても間に合うだろう。

「そうそう。直見さんには話してなかったわね」

 そう言うと藤生は、一つのメモ用紙を取り出した。

「できればここで、おばあちゃんへのお土産を買ってきてほしいの」

(当日に言うことか⁉)

「ごめんね、もう少し言うのが早ければ良かったんだけど。由宇はお喋りだから、おばあちゃんとの電話でうっかり口にしちゃうといけないと思ったの」

「はあ、そうですか」

「だから、できればで構わない。直見さんが『行ける!』と思ったら、容赦なく由宇を引きずり回していいから」

 オホホ、と藤生は笑う。

「はあ……」

(新幹線特急券が名古屋までだったのは、それが原因か)

 由宇は食いしん坊だから、それも仕方ないのかもしれない。

「通津さん、引っ張りまわすけど大丈夫?」

「……大丈夫、なのだな」

(私が大丈夫じゃないかもな)

 いかにも眠そうな由宇の声を聞き、直見はそう思った。


 *****


(お、今回乗る1本目の列車だ)

 生田を6時13分に出る、小田急線本厚木行き各駅停車がやってきた。

 前日、通津家に電話をしたところ、藤生は「由宇は早起きが苦手なの。ごめんなさいね」と言われた。

 ただ、それは直見も既知のことで、以前から由宇自身も言っていた。だから新幹線の指定券を取るときに、新横浜しんよこはまでかなり余裕を見ておくようにしたのだ。

 乗る予定の東海道新幹線〔ひかり633号〕新大阪行きが新横浜を出るのは、7時51分。一方、町田まちだでの乗り継ぎが順調にいけば、新横浜に着くのは7時05分である。

 予定を確かめ直した直見に対し、答え合わせをするかのように「ピンポーン!」というチャイムが鳴り、ドアが閉まった。


「通津さん、次で降りるよ」

 寝過ごされては困るので、直見は玉川たまがわ学園前がくえんまえを出たところで由宇の身体をゆすった。

「むにゃ……はっ⁉」

「降りるよ、町田で」

「了解なのだ」

 へへ、と敬礼で答える由宇。それを見た直見は、「新幹線乗ったら、しばらく寝れるから」と付け加えた。


「はい、じゃあこれ、今回のきっぷ」

「……ふおお……きっぷ……」

「そう。町田から伊予三島、往復で16660円」

 緑色のきっぷを渡された直見は、何やら興奮している。

「あとこれ、この後名古屋まで乗る新幹線の特急券ね」

 町田での乗り継ぎも予定通りできそうなので、変更はしなくて済むだろう。

 特急券は見せるだけにして、直見はまた自分の懐にしまった。


『間もなく、新横浜、新横浜。お出口は、右側です。東海道新幹線、横浜市営地下鉄ブルーラインは、お乗り換えです。……The next station is Shin-Yokohama. ……』

「通津さん、降りるよ」

「了解なのだな」

 JR横浜線の黄緑色の電車が、新横浜に着いた。ここで新幹線に乗り換える。

「少し時間あるし、お弁当買う?」

 直見の提案に、由宇は寝ぼけていた目を輝かせた。

「『シウマイ弁当』でいいの? 私と同じだけど」

「構わないのだな。重岡さんが自信を持って選んだ駅弁を、ワタクシも食べてみたいのだな」

「いや、そこまで自信持って選んでるわけじゃないから」

(駅弁選びは結局、量か値段)

 直見は駅弁に対しては、嫌いなものがメインで入っていなければ究極は何でも良い、というスタンスでいる。


 *****


『4番線ご注意ください。〔ひかり633号〕新大阪行きが到着します。停車駅は小田原、名古屋、京都と、終点の新大阪です。……』

「ここだね」

 12号車の指定席に腰を落ち着けた直見と由宇は、早速駅弁を開いた。

「黙食、だね」

「なのだな」

(シウマイうまっ)


〔ひかり633号〕は熱海を過ぎ、新丹那トンネルに入った。

「………ぁ」

「ん? どうかした、通津さん」

 由宇が小さな声を漏らしたので、直見は聞き返した。

「ん⁉ い、いや、なんでもなな無いのだな」

「なんか忘れ物でもした?」

「はうぁ⁉ なぜ⁉」

(図星かよ)

「うう、実は……」

 慌てふためく由宇に対し、直見は落ち着いていた。

 忘れ物にもよるが、日用品なら旅の途中でも買えることが多い。これが人里離れた山の中なら話は別になるが、今回はそういうところが目的地ではない。

「お土産を忘れた?」

「うん、そうなのだ……」

(お土産って、途中で買っていくのでは……)

 一瞬思考が止まったが、藤生が「できれば買ってきて」という主旨の発言をしていたのを思い出した。

 つまり、買えなかった時のために、由宇に予めお土産を持たせておくつもりだったのだろう。

 だから、藤生に頼まれた赤福餅を名古屋で降りて買えば、プラマイゼロになると思われる(もっとも、持ってこなかった分はマイナスかもしれないが)。

「通津さん」

「ふぇ?」

「名古屋で降りるよ」

 一応言っておくが、特急券は元から名古屋までである。


 *****


「はい、12個入りは1100円ね」

「はい、えーと……」

『伊勢名物 赤福餅』は、名古屋駅の新幹線ホームにも店舗がある。

 すぐに買えたので、新幹線を降りてからまだ10分も経っていない。

「それでこの後は、どうするの?」

「えーと。実は、その」

 ガサゴソとリュックサックをあさる由宇を見て、直見は身構えた。

(まだ何かあるのか?)

「あ、実は、……ここに行きたいのだな」

 由宇が取り出したのは地図だった。

 尾張旭市の部分に、赤丸がつけられている。

尾張旭市ここに行きたいの?」

「そうなのだな……」

 由宇は、少し暗い表情をした。

 直見はそれに気づかないふりをして、即答した。

「分かった、行こうか」

 一旦改札を出てきっぷを買い直し、直見と由宇は7番線ホームに向かった。

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