バックパックと青い春

与野さつき

【第一部】

第1話 新宿駅

 出会いと別れは突然にやってきて、それは誰にも予測できない。あの日あの時あの場所で君に会えなかったら――なんてのは小田和正の曲だけれど、人生って大概そういうもの。重岡しげおか直見なおみはそうした考えのもとで生きているが、一介の女子高生がそんなことを思うのは、果たして悟りか諦めか。

 それはともかく、ここは東京都新宿区の新宿しんじゅく駅。言わずと知れた、1日平均利用者数が世界最多の駅だ。その雑踏の中に直見はいる。

(さ、お目当てのCDも買えたし、帰ろう)

 と思ったその時。直見は、コンコースのど真ん中で立ち止まっている少女を見つけた。辺りをきょろきょろ見回し、幾人かの人に声をかけようとしているように見える。

 だが、声をかけようか迷っているうちに、皆足早に通り過ぎてしまう。迷っているなら改札口の駅員に相談すれば良さそうなものだが、そこから動こうとしない。

(しょうがないな)


「あの」

「ひゃい!」

 よほど驚いたのだろう、その子は突拍子もない声を上げてのけぞった。

「何か、困ってるんですか?」

「あっ、えっと、あの、その」

(落ち着け落ち着け。別にイラついたりしないから)

「えっと、い、『イクタ』にはどう行けばいいのですか⁉」

(イクタ。というと……)

「小田急線の生田いくた駅のこと、ですか?」

 同い年くらいだけど初対面なので、直見は失礼の無いように敬語を付け足した。

「そ、そうです! 小田急線の生田なのです!」

「えーっと、それだと……」

 と、言いかけて気づいた。生田は登戸のぼりとの2つ先。直見の自宅の最寄り駅は南武線の中野島なかのしまだから、途中まで経路が被っている。

 それなら。

「私も小田急線に乗るので、途中までだったら案内できます」

「……え? でも、さすがにそれは悪いのですよ」

「私は登戸で南武線に乗り換えるので。遠慮しなくていいですよ」

「……分かりました、恩に着ます!」

 恩に着る、なんて、いつ聞いたのが最後か。

(とにかく今日の用事は終わったし、人助けだと思ってこの子を案内してから帰ろう)

 それに、生田には各駅停車しか停まらない。馬鹿正直に新宿から各停に乗れば30分はかかる。


 丁度ホームに、快速急行から木田きだ行きが停車していた。乗るときは「これは生田に停まらないのではないですか⁉」と言っていた彼女だったが、手前の登戸に停まるからそこで乗り換えてと告げると、少し顔を赤くした。

「助かりました。ありがとうございますですよ」

「いえいえ」

「停まらないからって乗っちゃいけないわけではないのですね」

「ええ。新宿から生田までだったら、快速急行も急行も登戸に停まるので、そこで乗り換えれば大丈夫ですよ」

「いや、お恥ずかしい」

 エヘヘ、と彼女は頭を掻いた。

「しかし、お詳しいのですね」

(そんなにでもないけどな)

「まあ、多少は」

「新宿に1人で来るのは初めてで。少し迷ってしまったのですよ」

 神奈川県、しかも新宿まで1本で来られる小田急線沿いに住んでいて、新宿に来るのは初めて。引っ越しでもしてきたのだろうか。

 聞いてみようか迷っているうちに、電車は地下駅の下北沢しもきたざわを出てぐんぐんと加速していく。

(そういえば何かの曲のMミュージックV・ビデオに、この駅が出てきていたっけ)

 サブカルチャーで有名な街だから、そういうこともあるのだろう。


 下北沢から10の駅を通過し、僅か9分で登戸に着いた。各駅停車なら下北沢から登戸までは20分ほどかかるから、あのままこの少女が当てもなく各駅停車に乗っていたとしたら、どこかで追い抜いていただろう。

「反対側の電車は各駅停車なので、それに乗って2つ目が生田です」

「ほんっとーに、何から何までありがとうございますです!」

「いえいえ」

『間もなく1番線から、各駅停車の本厚木ほんあつぎ行きが発車しまーす』

「また、ご縁があったら、どこかで会いましょう!」

 少女が直見にそう言った直後、ドアが閉まった。

(そういえば、名前も教えてもらってないな)

 でもなぜか、素敵な笑顔を見せてくれたあの少女とは、どこかで再会する気がしていた。


 *****


 南武線に一駅乗って、直見は中野島に戻ってきた。中野島は、乗り換え路線がある登戸と稲田堤いなだづつみに両隣を挟まれているが、駅舎は時計台が付いた小ぶりなもので、街も発展というほどの発展はしていない。駅自体にどこかのんびりした雰囲気が漂っているのも、直見が気に入っているところである。

「おかえりなさいませ、直見様」

 駅から徒歩5分ほどの自宅で出迎えたのは、家政婦の飛田とびた給美たまみ。直見が生まれる前から、この家で家政婦として働いている。

「こちら、お父様からです」

 手洗いうがいを済ませるや否や、給美は一通の手紙を持ってきた。直見の父、重岡宗太郎そうたろうからの手紙だ。


◆◇◆

 前略 親愛なる一人娘へ


 父です。そちらの暮らしはお変わりありませんか。

 海外を飛び回ってばかりで家族の時間も作れず、直見には日々苦労と負担をかけてしまっていること、申し訳ないです。

 二学期の中間テストが終わった頃かな? 成績表は飛田の方に頼んで送ってもらう予定なので、変な小細工はしないでね(笑)

 別に悪かったからって叱るわけじゃないし、無事に暮らしていてくれれば、父はそれで満足です。本当は日本にいたほうが良いのだろうけど。

 年末年始は帰れるように調整しているので、飛田にもそう伝えておいてください。

 年末に、直見の元気な姿を見れるよう、こちらも頑張ります。

                  草々

2021年10月22日

               重岡宗太郎

重岡直見様

◆◇◆


 宗太郎が家に帰ってきたのは、直近で今年の5月。だから直見と宗太郎は、もう5ヶ月ほど顔を合わせていない。

 手紙を確認すると直見は、給美のもとへ行き手紙を差し出した。

「読んでしまって大丈夫なんですか?」

 少し怪訝そうな顔を見せた給美だったが、成績表を部屋から持ってくると納得したようにコピーをし、返信のための封筒と書類を作り始めた。

「自分でお書きになりますか? 手紙」

「ある程度長い方がいいんですかね?」

「いえ、人それぞれですから。まあお父様でしたら、手紙でなくて電話でも、『金頼む』の一言でも喜ぶと思いますけどね」

 誰かのフォークソングを真似た言葉を放つ。少しからかうようなところも、給美はほどほどにわきまえている。

「今日は私が夕食を作りますから、しばらくお待ちを」

(じゃあその間に、手紙の返信を書くか)

 直見は、リビングの机に向かいペンを取った。

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