第224話 ひとつの区切り

「それより問題は先輩自身がどうするかです。いい加減に覚悟を決めるべき頃だと思いますよ」


 キットの口調はいつもより厳しい。


「向こうの都合もあるだろう」


 一方でカールの口調はいつもより弱々しく感じる。


「お嬢様が今まで独身というだけで、もう色々明白だと思いますけれどね。女性が長子で後を継ぐ場合、家としては初婚は早ければ早いほどいい筈なのに。それくらい先輩もわかっていますよね」


 キットは一段と厳しい口調になった。

 カールは無言だ。

 少しだけ間を置いて、更にキットは続ける。


「ローチルド伯もわかっているから今は何も言いません。でもそろそろ時間的限界です。


 ついでに言うとこの人事で家のしがらみも無くなった筈です。まだ内示を見てないですけれど、ゼメリング家は一代貴族化。ついでに代替わりさせてソラーノを当主にするんじゃないですか。そうすれば一世代分貴族位持ちが増えますから。


 そうなるとカールは現当主と直系でも兄弟でもなくなります。フェリーデこのくにの法律では財産分与とか特別承継とかの義務も権利も無くなった訳です」


 キットは内示をまだ見ていない筈だ。

 しかし既に知っているかのようにそんな事を言う。


「知っていたのか、内示がどうなるかを」


 カールも少し驚いたようだ。


「さっきも言ったとおり知りません。ただそれくらいの事は想像つきます。

 もしも内示の内容が僕が言ったとおりの人事になっているなら。誰がこの内示を作ったのか先輩にはわかる筈です。違いますか?」


「殿下か」


 カールの声、相変わらず弱い。


「ええ、殿。それならこの人事でカールがお嬢様とくっつくところまでが想定内の筈です。違いますか」


 カールは答えない。

 ところで両殿下というのは誰だろう。

 1人はアルガスト殿下だろうと思うけれど。

 確かカールやローチルド主任調査官とも顔見知りだったと聞いているし。


「もっと言いますよ。ゼメリング領は現在、酷い状態です。土地持ちの農民すら他領へ逃げ出す程に。


 ローチルド家はそんな領地を新たに持たされる訳です。勿論税率改定だの商取引健全化だのである程度は領民脱出の流れは食い止められるでしょう。でもその程度では減少を食い止めるだけです。立て直し策にはなりません。


 でも先輩は持っている筈ですよね。ゼメリング領、次のローチルド領を根本的に立て直せる策を。それも1つではなく幾つか」


「何故そう思う?」


 カールは逆に問いかける。

 やはりいつもより弱い口調だ。


「廃鉱山となったオリオル鉱山でしたっけ。ここの鉱石は不純物として金や銀を含んでいて、高温で融解した後ゆっくり冷やしつつ魔法操作をすれば貴金属を分離して取り出せる。

 ただ実家に教えると間違いなく鉱害を起こす。だから教えられない、そう言っていたそうですね。


 タッケル湾で小規模にやっていた貝やサマンの海洋養殖の支援や増資なんてのも考えていましたよね。馬鹿兄が第三騎士団演習用と称して無駄に操業禁止海域を拡げなければいい特産物になっただろうにって言っていましたね、これは。


 他にイザベラお嬢様がサークルで出された課題に関する先輩なりの回答例なんてのも聞きました。

 全金属製小型高速ゴーレム船を使った領営定期航路による流通の安定化とか、北部の他領と同様に時期と品目をずらした輪作で気候による被害を最小限に抑えるとか、あえて関税免除の特区を作って商業振興を図るとか。

 

 成功しても領民は豊かにならず、余計にこき使われるだけ。儲けは家の贅沢と余所の商会に全部吸い上げられてしまう。

 もう少し実家がまともなら教えてやるんだが。そうすれば領民の生活ももっとましになる筈なんだが。

 確かそれがあの頃の実家に言えない理由でしたっけ。


 全部イザベラお嬢様から聞いています。本当はカールにも領地に対する思い入れがあるのでしょうね。そうお嬢様が言っていました」


「よく覚えていたな」


 カールは少し驚いた様子だ。

 そして慌てたように付け加える。


「しかし今から十五年近く前の話だ。実際に今のあの場所で何処まで可能かはわからない」


 キットはふっとため息をついた。


「ローチルド伯の手配で事前にゼメリング領に調査員を派遣して調査済みです。かつてカールが言った計画については概ね実現可能なようですよ。鉱山だけは立ち入り禁止区域になって確認出来なかったそうですけれど。


 異動するならそれくらいの下調べは当然やりますよね、あのローチルド伯なら。

 いつものカールならそれくらいはすぐ気付く筈ですよ。ローチルド伯の事もよく知っている筈ですし。違いますか?」


 カールは答えられない。

 キットは少しだけ間を置いた後、続ける。


「それでも先輩はローチルド家の調査以上に現地について知っているんじゃないですか。つい一月前にも王立研究所経由でゼメリング領に対する調査を出していましたよね。北部大洋鉄道うちの商会の費用では無く先輩の私費で。


 悪いですが今では僕の方が王立研究所とのパイプは太いんです。それくらいの事は情報として入ってきます。

 しかもあれ、隠そうとしていませんよね。むしろ王立研究所を通してローチルド家に漏れる事を企図すらしているように見えます。


 あれは先輩なりのローチルド家への情報提供じゃないんですか。ここを調べるべきだ、ここは有望だという。

 僕にはそうとしか思えません」


 カール、そんな事までしていたのか。

 そしてキットも把握済みと。

 つまりローチルド家もその事を知っているという事だろう。


「いい加減先輩の言い訳は聞き飽きました。何せ僕は先輩とお嬢様をもう15年以上見ているんです。

 だから言わせていただきます。そろそろ覚悟を決めて決着を付けて下さい。これできっぱり終わらせて下さい」


 終わらせて下さいか。

 その言葉に何かを感じるのは僕の気のせいだろうか。


「わかった。認める」


 キット、何と言うか微妙な笑顔を浮かべる。

 一見笑顔ではあるのだが、目から少し違う感情が見えるような。


「言いましたね。なら空手形は無しです。

 とりあえずローチルド家に顔を出す日時と場所を指定して下さい。お嬢様に連絡します。場所は王都バンドンでもディルツァイトでも構いません」


 何と言うか容赦がない。

 でもさっきまでの雰囲気と違い、今の雰囲気は僕には覚えがあるように感じる。


「まだ内定が出ただけだ。何時移動するかは決まっていないだろう」


「お嬢様の事ですから命免直後に動くに決まっているじゃないですか。到着当日に挨拶して、翌日には領内巡視でしょう。


 欲を言えばそれまでに充分お嬢様と話し合う時間をとって欲しいところですね。お嬢様も新領地の情報は集めていると思いますが、実際には行った事がない場所ですから」


 そうだ、今のやりとりはかつて聞き慣れていたのと同じだ。

 まだ工房が小さかったころ、事務手続きを誤魔化そうとするカールに副長としてお小言を言っていた、かつてのやりとりと。


 組織が大きくなった結果、最近はそんな会話を聞く事も無くなったんだな。

 その事に改めて気付いた。


 カールとキットの問答はまだまだ続いている。


「わかった。9月27日にしよう。場所は王立研究所でいいか?」


「異動後の話なんですからローチルド家本館の方がいいでしょう。相変わらず往生際が悪いですね、先輩。いいかげん諦めて下さい。ちゃんとローチルド伯まで話を通しておきますから今までの不義理も含め、しっかり挨拶しておいて下さい」


 なかなか厳しいな、そう僕は思う。

 キットの言うことが正論なのだろうけれど。


「お前なあ……。ところでキットはどうする? 一緒にディルツァイトに来るんだろう?」


「いいえ、行きません」


「えっ!」


 カールがここまで驚いたのを僕は初めて見た気がする。

 キットが行かないという事がそれだけ意外だったのだろうか。

 きっとカールとキットと、そしてローチルド調査官の間には何かそういった関係があるのだろう。

 僕が知らない何かが。


 キットはしてやったり、という感じでにやりと笑った。


「そろそろ僕も卒業するつもりです。イザベラお嬢様やカールから、そしてローチルド家の奨学金で始まった研究生活への道から。

 幸いちょうど良さそうなお誘いがありましてね。だからカールもお嬢様もいない新天地で、今までと全く違う事を一からはじめようかと思っています」

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