第139話 忘れていたもの

 アヒル弁当は日本風の照り焼きとは少し趣が異なっていた。

 甘辛系なのだが少しフルーティな味なのだ。

 僕の舌では正確な分析は出来ないが、ソースにベリー系の何かが入っているのだと思う。

 

 ただご飯にあわないかというと、決してそんな事はない。

 ご飯そのものも白米ではなく、アヒルの出汁とバターで味付けをしてある。

 率直に言おう、美味しいと。


 玉子焼きは塩コショウ系、付け合わせの野菜はバターソテー。

 どちらも美味しかった。

 今度から僕自身の新たな定番のひとつにしてもいい。


 ただその前に牛弁当とジャックサンドを試す必要がある。

 思えばジャックサンドも買っておけばよかった。

 夜食にでも食べればいいから。

 今日の帰りにはもう売店が閉まっている可能性があるし。


 弁当をゆっくり確かめて、紅茶を飲んだところで列車はガナーヴィン手前の湿原地帯に入った。

 もうハリコフ地区駅はすぐだ。


 実験線は見えないかな。

 そう思って車窓から外を眺める。

 騒音防止その他の事由で実験線は半地下構造。

 だから見えるとしても一瞬の筈だ。


 列車が減速を始める。


「そろそろ行くか」


 カールが立ち上がった。

 残念、実験線を見るのは現場までお預けだ。

 僕は弁当ゴミを収納して立ち上がる。


 ◇◇◇


 ハリコフ地区駅から事務所を経由して車両基地へ。

 しかしそこで僕は予想外の物を見つけた。

 三線軌条だ。


 これがあるという事は、軌間が異なる列車が走っているという事だ。

 つまり、それは……


「広い軌間を試したのか」


「そうだ。高速走行時の問題解決には一番手っ取り早いと思ってな。線路を3本敷設し、従来の半腕1000mm軌間と3半4腕1500mmを同じ条件で試せるようにした。


 実験線は全てこの、線路3本で敷設している。車両も従来の高速試験車の他、軌間の差を調べる為にクモロ502の車体を使った試験車両を2両作って試してみた」


 見てみると確かにクモロ502っぽい車両が2両、試験線側の留置線に停まっている。

 そのうち一両は確かに車輪が外側だ。


「それで結果はどうだった?」


「まず実際に乗って貰おう。話はそれからだ」


 広軌対狭軌の戦いが始まってしまうのだろうか。

 新幹線が正式に決まるまで、日本で何度も繰り返されたような。

 ならカールは技術者として高速運転や大量輸送に有利な広軌を推すのだろうか。


 しかしまだ僕はカールから聞いていない。

 広軌にすべきという意見を。

 全ては乗って確認してからだ。


「わかった。それで試乗するのはどれだ?」


 実験線に繋がっている留置線には、先ほど見たクモロ502改造試験車2両の他、お馴染み濃紺色の高速試験車の姿もある。


「全部だ。まずはクモロ502改造の、軌間が従来通りの車両から。見かけはクモロ502だが下回りは高速試験車と同等だ」


 確かに台車の形が明らかに違っている。

 僕の魔法では詳細までわからないけれど。


 乗務員扉を開け、よいしょと運転台によじ登る。

 運転室と客室を区切る扉はついていない。

 更に客室には座席も握り棒も荷物棚も無い。

 完全にドンガラ状態だ。


「製造途中の車体を使ったのか?」


「ああ。新線用に量産中だからな。計画を少しだけ変更して2両失敬した。新線開業までには他と同じ仕様にするから問題ない」


 車両を製造しているのは技術部こと工房だ。

 一部の部品等はシックルード領内やスティルマン領内にある協力工房に外注しているけれども。

 そしてカールはそこの長。

 生産計画の変更もその気になれば簡単だ。


 カールは乗務員扉を閉める。


「それじゃ動かすぞ」


分岐器ポイントや信号の操作は?」


「今回は俺の魔法で代行する。信号は一応起動しているから問題ないが、一応分岐器ポイントは試験中、魔法で動かないようロックしておく。

 実験線は他の路線と完全別系統にしてある。だから問題ない」


 この場はきっと大丈夫だと思う。

 しかし本当は特殊な運用はしない方がいいのだろう。

 まあカールの事だから言わなくても分かっているとは思うけれど。

 

 列車は留置線をゆっくり進んで分岐器ポイントから本線へ。


「この分岐器ポイントも高速運転用に作った特製だ。直進側は時速100離200km通過も可能に設計した。線路3本だから設計は少々面倒だったがな」


「線路そのものも路盤工事もどうせ別物だろ」


「当然だ。平滑に仕上げても地盤沈下なんてしたらまずいからな。本気で地中構造まで手を入れた」


 カールの本気魔法というのがどれくらいなのだろうか。

 少々怖い気がする。


 それはともかくとして、車両は軽快に加速を開始した。

 あっという間に速度が上がっていく。


「速いな、これは」


「30数える程度で時速80離160kmに達する。これでも実験車両の中では一番遅い」


 おい待てなんだそのぶっ飛んだ高速性能は。


 

「大丈夫なのか。安定性とか振動とかブレーキは」


「問題ない。そもそもその辺り、特に高速時に発生する振動についてはまさに研究課題のひとつだった。まあ車輪や車軸の精度と、台車の再設計で何とかなったが。

 ブレーキも特別製のものをつけてある。ただこの改造車は重心が高い分、曲線での限界が低い」


 何と言うか、今まで見たことがない速度になってきた。

 確かにこの速度は怖い。


 しかしそれ以上の何かを自分が感じている事に僕は気付いた。

 そうだ、この速度、この感覚だ。

 最近忘れかけていた速さに対する情熱というか憧れ。


 かつてゴーレム車を改造していた頃から求めていたのに、最近は忘れていた。

 その事を今、僕は思い出したのだ。


 ◇◇◇


 クモロ502改造で軌間が今までと同じ車両でまずは1往復。

 次に軌間が広いもので1往復。

 最後に元々の高速試験車で1往復して、そして僕達は車両基地の留置線へと戻って来た。

 

「どうだ、楽しめたか」


「ああ」


 なるほど、そういう意味もあったんだなと思う。

 まあ途中で気付いていたけれども。

 

「さて、それでは本題だ。これは資料もあるので事務所で説明しよう」


「本題とはつまり、王都バンドンへ伸ばす路線を広軌と狭軌どちらにするかという事だな」


「流石に気付いたか」


「まあな」


 何せその為に三線軌条にして、軌間が違う試験車まで作っている位だ。

 気付かない訳はない。


 僕は前世での広軌・狭軌論争を思い出す。

 取り敢えずカールに確かめておこう。


「広軌にすると重心を高くしても安定出来るし、重心位置が同じなら曲線もより高速で通過できる。搭載ゴーレムを大きく出来る分、より出力を大きく高速化しやすい。ブレーキ等を含め機器を納める場所もとりやすい。


 一方で搭載能力は広軌にしてもあまり差が出ない。曲線では外側と内側の車輪の経路差が大きくなる。大型化する分台車の重量が重くなる。


 土地収用や路線建設は商会でやらないから狭軌にすると安上がりというメリットは無い。違いはこんなところか」


 確かそれぞれのメリットはこんな感じだった筈だ。

 僕の記憶が間違っていなければ。


※ 三線軌条

  軌間の異なる車両を運転する為、通常は2本のレールで構成する線路を3本のレールで構成した線路のこと。

  片側のレールは狭い軌間、広い軌間で共用なので、列車の中心がずれるとかレール摩耗が左右不均衡だとか、分岐器ポイントの構造が複雑になるとか色々と面倒。

  日本でも奥羽本線と秋田新幹線の共用区間(神宮寺駅 - 峰吉川駅)や箱根登山鉄道の箱根湯本駅~入生田駅間等に現存する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る