これ以上ないチャンスが来ましたわ

ケージに立て掛けられた木製のならし棒で使った打席をきれいにしまして、ヘルメットを外しながらバッティングゲージを出ると……。



「今グラウンドではバッティング練習やってるところやな。……今の時間、野手は順番にゲージに入ってフリーバッティングをやって、それを待つ選手が後ろでティーバッティングしてんねん」


1塁ベンチの中には、葛西コーチと5人の専門学校の生徒さん達がいた。


葛西コーチはいつものビクトリーズのロゴが入ったピンキーなシャツだが、生徒さん達は外から来た人に着けてもらう用のピッカピカの両耳ヘルメット。打球や練習のボールが飛び込んでいく可能性も0じゃないしね。


こっちも気をつけてはいるけれども。



5人の生徒さんの中にはもちろん愛しのポニテちゃんがいて、他には女性がもう1人と、若い男の子が2人。30歳くらいに見える男性もいる。


みんな葛西コーチの言葉をメモしながら、今はビクトリーズスタジアムの施設案内を一通りしてもらっている様子だった。



授業の一環ということもあり、ポニテちゃんを含めてみんな緊張した面持ちだ。



「こんな風に、中には横でバント練習したりとか。守備位置に就いて飛んできた打球を捌いて守備練習したり。


さっき行ったサブグラウンドや室内練習場でもう1回バッティング練習する選手もおる。フリーバッティングが終わったら、自分に必要な練習を各自て考えて行う形やな。

ああいう、普段の行いが悪いから、コーチに目をつけられとる選手もいるけど」




葛西コーチはそう言ってクスクス笑いながら俺の方を見ていた。





専門学校の生徒さん達は、誰か真面目にやらない選手でもいるのかなとハテナ顔だったが、こちらの事情を知っているポニテちゃんだけはやたらニヤニヤしていた。



そして丸山外野守備走塁コーチの声が飛ぶ。




「オラァ、新井! バッティング練習終わったらさっさとレフトの守備位置に就け!時間ねえぞっ!!」



「はいっ!」



みのりんを隠れ蓑にして、実は大本命のポニテちゃんが見ていますから、イケメンフェイスを崩さずに、機敏な動きでバットとヘルメットをベンチに置き、キャップとグラブを着けてグラウンドに踏み出した。




「バッティング練習終わったら、水分補給しろって言ってんだろうが! 倒れても知らねえぞ!」



丸山コーチがそう叫ぶと、周りにいた選手や他のコーチ陣から笑い声が起きる。


ベンチにいた葛西コーチもゲラゲラ笑い、ポニテちゃんを含む生徒さん達も、急かされながらまたベンチに戻り、慌ててドリンクを飲む俺の姿を見て笑っている。



今日はそんな未来のトレーナー候補である生徒さんがいらっしゃいますから、コーチ陣の表情はいつもよりかは幾分柔らか。




なんだかんだと意識しているのか、ちゃんとストレッチしろよ!とか、アップを怠るなとか、今みたいにちゃんと水分取れよとか。そんな声もよく聞こえるのだ。




そして試合が始まる。





「さあ、試合は3回裏。2ー1とビクトリーズがリードしておりますが、2アウト1塁となりまして、バッターボックスには、2番の新井が入ります。1打席目はライト前へしぶといヒットを放っています」



「アウトコースの低め。追い込まれていた状況でしたが、上手く打ち返しました。あのバッティングが出来るというのはいい状態なんでしょうねえ」




「マウンド上は、埼玉先発の西里。今シーズン3試合目となる左腕です。2アウトから1番の並木にフォアボールを与えてしまいましたので、ここは新井に対してしっかりとコントロールしていきたいところであります」





「1打席目は変化球を打たれていますからやはり速いボール中心の組み立てになるでしょうねえ」



「なるほど。西里。セットポジションから1球目です。キャッチャーの構えはインコースです………。あっと! 危ない! 当たってしまいました! デッドボールです!! インコースいっぱいを狙いましたが、投球は新井の右足に当たりました……。


新井はその場に倒れ込んで立ち上がれません。悶絶の表情。……大丈夫でしょうか。

かなり痛がっています」






左ピッチャーの投げたボールが極めて体の近いところを通り、足にガチンと当たった瞬間、俺はよっしゃああ! きたあ!という感情でその場に倒れ込んだのだ。









「…………うぅ………つっ………」




などと言葉にならないくらいに痛いですという俺の様子に、相手キャッチャーも球審もマスクを外し、スタジアムも当たった瞬間の悲鳴があった後にざわめいた。




普段、俺がデッドボール! なんてなっても、まあ大丈夫でしょという感じのトレーナー陣だが、今日は専門学校の生徒さんが来ていますから。



もう一目散に。ベテランの阿久津さん鶴石さんがデッドボールを食らったかのような勢いでベンチから飛び出してきた。




「新井くん、大丈夫か!? どこに当たった?」




「………ちょ、ちょうど膝の………」



本当は膝の少し上の太ももに近いところなので、そこまで悶絶するほどの痛みではなかった。


膝に手を当てながらちょっとその場で立ち止まるくらいのやつ。




しかし今日はちょっと事情があるので、俺はゆっくりと立ち上がりながらトレーナーに肩を貸してもらった。



そしてスタンドの観客様達にもよく伝わるように、苦痛に顔を歪ませながらひとまずベンチ裏へと下がる。




萩山監督や滝原ヘッドコーチが心配そうな表情をするその横を通って、ベンチ裏すぐのスペースに俺はまた倒れ込んだ。




シートノックで使ったボールやキャッチャー陣の予備の防具などが置いてある人工芝が敷かれた5畳程のスペース。



今日限定でそこのスペースでは、愛しのポニテちゃんご一行様が試合を見学なさっているのだ。

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