だから死神は忙しい

凡人EX

そりゃまあ、結局はこっちの都合な訳で

「ハァイ、アーユーオーケー?」


「うわぁびっくりした!」


 むせ返るような湿気が落ち着いて、肌を焦がすような太陽が大人しくなった秋。背もたれに身体を預けてボーッと空を眺めていた青年が、何かでっかい鎌を持った白髪美形に声をかけられ、ベンチの上で跳ねた。

 驚いて身体を起こした拍子に、青年の顔を覗き込んでいた白髪を額をぶつけ合う事になった……かと言えばそうでもなく、白髪はひょいと青年の頭突きを躱したので、お互い痛い思いをする事は無かった。


 白髪が青年の隣に座り、何とも晴れやかな顔でこちらを見ている。返答待ちのようだ。対して青年は、この日本人離れした顔の白髪へのアクションに悩んでいた。

 さっきも見たこの腹立つ位のこの美形は誰なのか、何故そんな170センチはありそうな鎌を持っているのか、明らかな凶器を持っているのになぜ通報されていないのか、声をかけるべきなのか、かけるとすれば日本語なのか、英語なのか。青年は頭の中でひたすら考えている。

 そして体感10分悩んだ青年は、不慣れな英語で応対する事とした。


「あー、いぇすいぇす、あいむおーけー!」


「あ、ごめん、日本語でいいよ」


 青年は殴りたくなった。





「僕は死神さ。この大きい鎌で分かんない?」


 このセリフは、落ち着いた青年が白髪の素性を問うた際の返答である。妙に鼻につく言い方に少し怒りを募らせた青年だったが、既にこの死神を名乗る白髪とは性格的に合わないだろう事は分かっていたので抑えることにした。


「いやぁ、まさか本当に見える人間がいるとは思わなかったよ。噂には聞いてたんだけど、やっぱり聞くだけと実際に会うのとは違うねぇ」


「俺も堂々と死神を名乗る中二病がいるとは思わなかったわ。んじゃあ何か?俺はもうすぐ死ぬとか言ってくれるわけ?」


「いいや?さっき街中で目が合っただろう?気のせいと思って無視する事も出来たんだけど、ほら、僕って好奇心旺盛だからさ」


 いや、知らんがな。

 青年は密かにそう思った。

 というか、今の青年の認識では、この白髪の事を中二病患者としか思えない。死神というにはあまりにも現代的な格好すぎるのだ。コスプレにしても、せめて黒いローブぐらい着てこいと。どうせその派手な大鎌もハリボテだろうと。そう見ていた。


「この鎌は別に作り物じゃないよ。死神である証拠は…………うん、じゃあほら、握手」


 中二病は見透かした様にそう言い、右手を差し出してきた。イタズラが仕掛けてある可能性が頭をよぎったが、引っかかるのも一興。別段断る理由も無いので、とりあえず握手に応じる。


「手ぇ握って何が分かる…………んん?」


「ね、変な感じでしょ。魂でしか僕らみたいな存在には触れないんだよね。どう?感想は?」


「お?おお〜?お〜」


「人語喋って。僕、オットセイの言葉は分からないんだ」


 苦笑する人外を視界に入れつつも、青年は未知の感覚に感動していた。手を握っている筈、少なくとも視覚ではそう認識できるのに、触覚ではそれが分からない。何も握っていないようで、しかし冷たい……温かい?ともかく温度を感じる何かが確かにあり、それが五感を超えたモノに伝わってくる。

 そんな感触に唸り、青年は一つの答えを出した。


「人間じゃないのはわかった」


「ま、それさえわかってくれればいいよ。懇切丁寧に説明するとか面倒だし」


「めちゃくちゃ嫌な奴だって事もな」


「うーーーん?」


 どうも妙に鼻につく話し方は無意識らしい。





 ベンチに座り、空を見上げる2人。昼時になっても誰も来ない公園で、ただ流れる雲を眺めていた。


「ところで、君は無職なのかな?」


「大学生。講義がないんだよ今日は。バイトも無い。お前はどうなのよ。死神とやらに仕事は無いのか?」


「身勝手に休憩中」


「つまりサボりじゃねぇか、それでいいのか死神」


「いいんだよ、どうせ毎日忙しい上に休み無いんだから。っていうか思い出させないでくれる?せっかく上司の目を盗んでサボってるのに」


 そう言う人外の声には、先程までの快活な雰囲気に、暗く重い感情が混ざっていた。そのドスの効いた声に、青年は休憩の体裁を一瞬で取り払ってサボりを認めている事にツッコむのを止めた。余計な事を言ったら首を切られそうな剣呑さがあった。


 だが、青年の知的好奇心はそれを無視して突き進んだ。


「死神の仕事って何?魂刈り取るとか?」


「思い出させないでって言ったのに聞く?普通…………まあいいや」


 どろりとした目を青年に向けた死神は、諦めたようにまた雲を見上げた。大きな雲が小さな雲を食べようとしているように見える。

 死神は、僕の場合はだけど、と前置きし、溜息を一つ零した。


「そんな物騒な事はしないよ。強いて言うなら、苦しみを取り除いて、おててつないで案内するのさ。あと事後報告」


「苦しみ?案内?……抽象的でよく分からん」


「ちゃんと処置しないと、魂は肉体の痛みに引っ張られるんだよね。場合によってはめちゃくちゃ苦しいのさ」


「首吊りとか服毒とかヤバそうだな。想像……できねぇや。したくもねぇ」


「しない方がいいよ。その処置を失敗すると悪霊になったりするし。現世への怨みが全面に出てくる程度に苦しいと思えばいいかな」


「悪霊ってそう言うメカニズムで生まれんの?ほぉ〜……アレだな」


「ん?」


「痛みに耐えかねて周囲に当たり散らす感じに似てるな。心が辛いとかでリストカットするのも同じなんかな、アレ」


 した事ねぇし分かんねぇけど、と青年は目を閉じる。視覚を閉じても、風の吹く音も、人の声も一切聞こえてこない。夏より少し元気を無くした太陽がこちらを照らすだけだ。


「それ、死神的にやって欲しくない行為の三本指に入るんだよね」


「……ん、リスカの話してる?」


「そう。こっちが対応出来ない場合があるからさ。事故や病気でもう少しって人ならこっちも感知できるんだけど」


「クリティカルヒットでゲームオーバーはプレイヤーでも予測できないとこあるからな」


「は?」


「すまん、忘れてくれ」


 沈黙が流れる。太陽はいつの間にか、小さな雲を食べた大きな雲に隠れてしまっていた。時刻は午後1時半。少し暗い昼下がりとなった。


「つか、要は自殺は分からないって事になるな?事故や病気はなんで分かるんだ?」


「後者二つは運命がある程度決まってるからね。その運命に乗っちゃってる人達は僕らが見えるし、僕らも原因が分かるんだ。でも、前者はそうはいかない。運命のレールから大なり小なり外れる行為だ。それで生き残ってたとしても、後の人生は大きく変わっちゃうんだよね」


「自殺を考える様な奴は、生き残っても録な人生を歩めないと?」


「そういう事……まあ、君みたいに予兆が無くても僕らが見える人はいるにはいるけど。霊能力者とか言われてたりしない?」


「知らね。今まで見えたこともねぇし」


 青年は今までの人生を軽く振り返る。平凡な人生の中で、霊能力の様な突飛な才能が現れたことは無かった筈だ。目立つのは、書道のコンクールで入賞したとか、そういう記憶ぐらいか。


 死神は目を閉じる。雲に隠れようとも、陽光はその目蓋の裏に焼き付いたようだ。唐突な話だけど、と、死神は零す。


「始まりと終わり、だけなんだよね」


「…………えーっと、何が?何の話?」


「人間の人生で決まってる事。始まってたら始まったって事になるし、終わったら終わったって事になる。何者でもそこに収束する。間に何があるのか、誰にどんな影響を及ぼすのか、その辺は完全に君たち人間次第なんだ」


「……生まれるのも死ぬのも、後からしか把握出来ねぇのな。死神は死ぬっていう予兆しか追いかけられないのか」


「なーんか察しが良いよね君。その通りだよ。僕らが掴めるのは予兆だけだし、生まれる前兆の把握は天使達の管轄だし。仕事は基本的に忌み嫌うべきものだし、心底嫌な話だよ……あ〜あ、なんか本当に嫌になってきた」


 死神のため息が曇り空に消える。煽る様な口調がすっかり無くなっているあたり本当に色々堪えているのだろう。

 懇切丁寧に説明するのが面倒と言っていた死神が、初対面でここまで話している事に驚く青年だったが、段々と沈んでいくこの美丈夫に少し同情の念が湧いてきていた。

 憐れみと、未だ芽を出して摘み取られない好奇心とが綯い交ぜになる。そんな心情をスッキリさせるためにも、青年は話題を変えることにした。


「……沈んでるとこ悪いんだが」


「ん、ああ、何だい?」


「死んだ後って何処に行くんだ?お前らが案内するんだよな?」


「……思ってたより話聞いてくれてるんだね。凄く意外だよ」


「話聞かないバカみたいに言わないでくれます?」


「謝らないよ、顔がそう見えるんだよ君」


「人の気にしてる事を……」


「思ってたより吐き出したけど、それも元は君が仕事の話してきてるからだし。まあお互い様って事で」


 今度は青年がため息をつく番だった。元気になったのは分かるものの、それはそれでやはりどこか引っかかってしまう。そのまま黙っているのを、死神の返答待ちにする。


「で、何処に連れて行くかだっけ。僕らもよく分かってないよ?うん」


「はあ?」


「在るべき場所、としか言えないかな。その入口まで連れて行ってあとはさよなら。その後どうなるかは僕らも分からない。言えないとかじゃなくて、本当に分からないんだよね」


「うわ〜聞くんじゃなかった。結局死後どうなるかの議論が終わらねぇよ。あ、いや、何処に行くかは分かったからまだいいのか?」


「さあ?僕らの間でも人間は、というか死神や天使が死んだらどうなるのかって分かってないんだよね……っと」


 天使もいるのかと今更驚いている青年を尻目に、死神は立ち上がった。足元に置いてあった鎌を持ち上げ、軽くストレッチする。


「さて、上司にそろそろ怒られそうだしそろそろ行くよ。暇つぶし相手になってくれてありがとう。しばらく元気に仕事出来そうだよ」


「おお。そりゃあ良かった、でいいのか?」


「いいと思うよ、実際僕は感謝してるし。死神が見える事も含めて、君みたいな生者に会ったことは無かったからさ。出来ればまた君が生きている内に話したいな。その頃には色々と考えも変わっているだろうし」


「そうだといいな」


「まあ、信じるさ。それじゃあ」


 その一言を残し、死神は跡形もなく消えていた。広くなったベンチで、青年は座ったまま伸びをする。午後2時、未だ太陽は雲に隠れていた。










「やあ、一昨日ぶり。気分はどうだい?」


「ああ、久しぶり。身体は一気に楽になったが、最悪な気分を未だに引きずってるわ。痛みと不快感で吐きそうだぜ」


 線路の上に座り込んだ青年は、再会した死神の顔も見ずにそう返した。彼の目には写っていないが、死神の潤んだ目は、それでも泣き出す気配もなく、ただただ哀しいと訴えていた。

 死神が隣で悲しんでいようとも、つんざくような悲鳴がホームに響こうとも、青年は顔色を変えることはなく、むしろ憑き物が落ちた様な微笑を浮かべていた。


「はぁ……好奇心を刺激しすぎたかな……君の親御さん達に土下座しないと……」


「少なくともお前のせいでは無いから安心しろよ。小学生時代から考えていた事なんだ」


「……ああ、そう。まあ、僕らが人の運命とか変えられないのは分かってたけどね」


「人間の運命に干渉できるのは人間だけ、って話だったか」


 その言葉に死神はその通りだと笑っているが、どうしようも無い不快感と苛立ちを堪えているのが目に見えて分かる。

 ヘラヘラと笑う青年は思い出したかのように、死神に問う。


「ああ、そうだ。なあ、一昨日には俺がこうなるって気付いてたよな?何でなんだ?」


「……死の予兆が無いのに僕らが見える人、ちょっとしかいないって言うのは嘘だよ」


「ほう」


「時々ガチの霊能力者もいるけど、僕らが見えるのに予兆が無い人は、大体近いうちに自殺する。丁度今の君みたいにね」


 死神は青年を睨む。溜まっていた涙が一筋流れる。睨まれた事に気付かない青年は、その飄々とした態度を崩さない。


「成程な、通りでちょっと怖がらせるような情報を流してくれてた訳だ」


「君は何で気付いたんだい?こういうのもなんだけど、僕察している素振りは見せてなかったつもりだけど」


「わざわざ仕事サボって俺に話しかけてきたから」


「………………え、それだけ?」


「持論だが、仕事サボってガス抜き出来る奴が、愚痴るまで思い詰めることは無いだろ。その辺で大方察してるんだろうなって思った」


「……はぁ。それだけの理解力があると、生き辛かっただろうね」


 死神は哀しみも一瞬忘れ、感服すると同時に同情した。目の前の青年が高い推理力を持つは分かっていたが、好奇心も合わせて知る必要のない事まで知ってしまいそうな程だとは思っていなかった。

 しかし、その様な事は死神の仕事には関係ない。


「仕事だから、幾つか僕からも質問させてもらうよ。二つとも簡単だから深く考えないでね」


「おう、了解」


「……まず、この場合絶対に聞かなきゃいけないことだし、私情もそれなりに入ってるんだけど……何でこの終わりを選んだのはどうして?」


「……深く考えるなって言っといてそれか」


「取り決めなんだ、答えてくれ」


「別にこれといった理由は無いぞ。マジで何となく」


「ああ、そう。だろうね。君で二人目だよそんな巫山戯た理由」


「俺が言うのもなんだがなんだそのとち狂ったやつ。絶対ろくな人間じゃ……」


 泣いている女性を目の前にしても何処吹く風といった風の青年だったが、この時初めてその軽薄な雰囲気が消えた。


「…………すまん」


「もういいよ、君が察しのいい割に人の気持ちは考えない奴だって言うのは分かりきってることだからね」


 そして、再会して初めて青年は死神の方を見上げた。大鎌を握りしめ、涙を流す死神に、青年はそれ以上言葉も出ず、ただ死神を見ていることしか出来なかった。





 青年だったモノも片付けられた頃、涙を強引に拭った死神は、再び目を逸らして気まずそうにどこかを見ている青年に声をかける。


「もう一個の質問、いいかい?」


「……ああ」


「死神として働く。天使として働く。前も言った在るべき場所に行く。この三択なら、君はどれがいい?」


「死神」


 即答であった。

 在るべき場所に行くという末路以外にもあったことに何も言わないことも、好奇心の塊たる青年が在るべき場所への興味が一切無さそうなのも死神にとっては驚きではある。

 しかし、何より。


「…………色々聞きたいけど、今はこれだけ聞かせて。正気?」


 散々愚痴を零した死神の仕事を、わざわざ選ぶという事に元より無さそうな正気を疑った。

 その心情を、青年は察していたらしい。


「何か隠してたのは何となく分かってたから別に驚かないし、例の在るべき場所ってのもまあ、面白そうではあるな」


「尚更何で?」


「何でって、そりゃあお前……」


 青年は立ち上がる。首をぐるぐると回して、もう鳴りもしない骨を鳴らした。


「お前みたいな死神が楽になるように、だ」


「……うん?」


 ピンと来ていない死神に苦笑を返す青年。カッコつけたつもりは無かったが、どうにもきまりが悪そうだ。


「俺みたいな奴はさ、結構いると思うんだよな。特に何があった訳でもない。辛い事が多くて病んだ訳でもない。でも何か死にてぇって奴、絶対いるんだよな。そういう奴が自分の都合で死んだ時、お前みたいな優しい死神が苦しむ事が少ないようにってな」


「…………何さ、僕を泣かした責任でも取ってくれるつもりかい?」


「いや?本心ではあるが、身勝手なだけだろこんなの」


「分かっててやるんだ、気持ち悪いな君」


「今のは分かるぜ、嫌悪100パーセントだろ」


「当たり前じゃないか、本当にどの口が言ってるのって話だよね」


 青年は吹けない口笛を吹いて誤魔化そうとしているが、死神はそれを冷めた目で見て笑うだけであった。


「まあ、君の希望は分かった。それじゃ今日から君も死神だ。数が少ないから激務だよ?」


「だろうな。死神がもっと多けりゃ俺ももっと死神を見かけた筈だし」


「……はぁ、軽薄なクセして覚悟はしっかりできてるって、ホント変な奴だね、君」


「何となくで死んだ奴に言うには今更だろうがよ」


「だね。それじゃあ着いてきて。説明とか聞いてもらわなきゃならないし」


 先立って歩き始めた死神の一歩後ろを、青年は着いていく。


「人間の友達ができると思ってたのにな」


 死神が呟いたその言葉を、青年はハッキリと聞き取った。二日ほど続いた曇りがようやく晴れてきた頃、線路から二人の姿は消え去っていた。










「よう、何時ぶりだ?」


「怒ってないかって?そりゃ怒ってるわ。自分で命を絶たれると困るっつったろうが。テメェが何でこうしたかは後で聞いてやる」


「……俺と似たような理由だろうがな、どうせ」


「ああ、そうだ。俺も死んでから死神になった一人だ。前言ってなかったがな」


「だが、テメェは家族も友達もいただろうがよ。それでも自分の都合で死んだんだから救えねぇよな」


「俺でさえ悲しんでくれる奴がいたってのに」


「まあ、いいか……はぁ、ったく」


「今になって分かるが、テメェみたいなのがいるから、俺達の仕事が増える一方なんだよ……」

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