わざわざ名古屋からやってきた無意味さへの応援コメント
さっきのコメントを見て、僕が少しイッちまった奴なのは理解できると思いますが、自分の偏差値、志望大を叫んで人を切りつけるカタストロフィは理解できるものがあります。
止められなかった大人が悪い、お隣のコリア(ネトウヨがこう呼称しているので)の受験戦争をあざ笑いながら、受験ドラマを繰り返し放送させるような狂気を持ったマスコミを止められないこの国は……と怒りを覚える身なのです……。
作者からの返信
あらゆる場面で競争を煽るのは、哺乳類の本能なのかもしれませんね。コメント再びありがとうございます。
わざわざ名古屋からやってきた無意味さへの応援コメント
島尾さまへ
考察を興味深く(と書くと不謹慎か)読ませてもらいました。
自分の高校時代を思い出すに、選択肢があることを知らなかったなぁ、と思います。
年食ったら色々言えますが、高校生なんて諸々の目の前に必死で、世界も親か経験値が一緒の同級生だけなのに、自意識だけは大人ぶりたいし。
ただこの事件は深読みすると少し怖い。17歳という、いわく18歳成人前に殺人(未遂)事件を起こしている。そしてコロナ禍という閉塞感。
今後の考察、頑張って下さい。
作者からの返信
コメントありがとうございます。怖い時代になりましたよね…
わざわざ名古屋からやってきた無意味さへの応援コメント
この事件について半年も経った今でも、考えさせられました。
10代の頃、閉鎖病棟に3年間入院していた私が、東京大学と唯一接点があったのは、東大や京大でいちばん読まれた『思考の整理学エッセイ賞』で優秀賞をいただいたからです。
私自身は解離性障害とその後遺症の複雑性PTSDで、大学進学も断念しましたが、高校を退学させられた17歳のときに『思考の整理学』と出会って、何とか、踏ん張らないとと一念発起し、何とか通信制高校を卒業できました。
あの頃はまだ『東大や京大で読まれた~』という触れ込みはなく、たまたま書店で隅っこに置かれた本を手に取ったのんです。
ちょうど、あの犯人の少年と同じ17歳。
人生を救ってくれた『思考の整理学』がまさか、東大や京大でたくさん読まれるとは思ってもいなかったけど、あの少年も思いつめず、肩の力を落としたら、ほかに方法があったんじゃないか、と何度も閉鎖病棟で泣いた私は思うんです。
事件を起こしたら私の人生の不幸以上に不幸になってしまうので。
長くなりましたが、また深く考えさせられました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。この文章は、偏差値教育の問題点を書いたものです。学力を身につける環境を平等にするのは不可能なのに、入試問題は同じなのですから、大変になる高校生はいますよね。高校生のほとんどは未熟ゆえに、偏差値というものさしだけで優劣を決定するのは正しくないと思っています。