第8話 ひと休み
期間をそれなりにあけては訪ねて取り囲まれるのにローズはすっかり慣れたもので、疲れ切ったシャルルを連れていちばん広い部屋の扉を開ける。
ダブルベッドとクローゼットにランプがあるだけの部屋だが、質素に見えて彼女のお金で賄われた高級仕様だ。
ベッドのうえに銀貨の詰まった革袋と大切な本を投げ出して、クローゼットを開く。ローズの着替えがみっちりで、彼女はブラウンのフリルブラウスとブラックのロングスカートを引っ張り出す。
「食事を済ませたら入浴してひとまずは寝て休もう。町を見て回るのは明日だ。お前と私の体格は似ているから、たぶんクローゼットにある服もサイズは変わらないだろう。もし違っても適当に調整してやる、心配は要らない」
「ありがとう。慣れてるんだね、なんだか自分の家みたい」
貴族たちとは違い、豪快で遠慮のない彼らにシャルルもすっかり疲れた顔だ。
「いくつかの町に拠点を持つようにしてるんだ。毎回宿が取れるとも限らないし、とくにウェイリッジは観光客が多いわりに宿の数はそれほどじゃない。そのうえ部屋も多くないから、私のように常にあちこちを移動する身には悩みの種になる」
「あー、そっか。たしかに便利だね。ボクもそうしようかな」
「金ならある、と? ハハ、だが来る機会はないんじゃないか」
シャルル・ヴィンヤードとは仮初だ。三か月をすぎれば彼女はヴィンヤードという少年ではなく、ひとりの王族。ヴェルディブルグを継ぐ者へと帰っていく。城の外を自由に出歩けるのはローズといっしょにいるわずかな時間だけだ。
「うっ、そうだった……。でも、本当にうらやましいんだ。あんなに楽しくて気持ちのいい笑い方があるんだって、すごくびっくりしちゃった」
「たしかにな。貴族共のうすら寒い笑みはみていて不愉快になる」
誰も彼もが自分の地位をあげるため、うわべだけの関係を築き上げている。実際に仲良くしている者は希少で、相手が権力を持っていれば必ずと言っていいほど擦り寄ってくる。
魔女はとくに王族と同等、あるいは国によってそれよりも大きな存在として対象に捉えられがちだ。ローズは「砂糖にたかるアリみたいなやつら」と揶揄した。
あれこれとシャルルに似合いそうな着替えを探しながらローズは話す。
「連中はいつだって私腹を肥やすための金の湧く泉が欲しくてたまらんのだろう。本当に見るべきものを違えて、いつまでも椅子に座ってチェスに興じていられると思っているヤツらはそのうち淘汰される。時代の移り変わりとはそういうものだ」
いつか貴族という存在に価値のなくなる時代が来ると言った。厳粛に育ち何代も正しく受け継がれてきた家柄と欲望に支配されてきた者とで大きな差が出る、と。シャルルが魔女としての予言めいたものかと尋ねれば彼女は首を横に振った。
「単純な考察だよ。貴族にとっての隣人は同じ貴族ではなく統べている民だ。彼らが話術ではなく鋤を手にした暴力的な隣人であると理解していなければ、かならずあとで痛い目に遭うだろうよ。過去から教訓を見いだせないヤツらはな」
民とは善人でもなければ悪人でもなく、そのどちらでもある。付き合い方を考えて生きるのは難しい。とはいえ失策に嘲笑や罵りはあっても正しくあろうとする姿勢を彼らは見る。ローズはシャルルがきっと民を導けるはずだと信じた。それは彼女の母親、マリアンヌや歴代の女王を見れば分かることだ。
「お前の母親、マリアンヌもなかなかに優秀でよくやっていると思うよ。私を図々しいやり口で利用した挙句、自分の娘ひとつ手に負えないのはいまひとつだが」
「はは、ごめんなさい。母様も悪い人ではないんだけど……」
「悪い人ではなければ善い人かと言えばそれも違う」
「うーん。そう、かもね。なんだかボクには上手く擁護できないや」
シャルルは困った顔をして頬を指先で掻く。マリアンヌはあまり自分に世話を焼かず、いつも侍女や執事が彼女に忙しなく付き添うばかりだ。
これといって親子らしい関わり方をした記憶もなく、ローズに言われて、たしかに善い人とも言いにくいと思った。
「フ、だからといって私の言葉を鵜呑みにする必要もない。私自身もまた善人でもなければ悪人でもない。お前たちの隣人であり、ある意味では害獣と等しいほど疎ましい存在には違いないからな。お互い利用すべきところは利用しているとも」
「ローズも、母様を自分の利益のために、ってこと?」
「そうかもしれない。今回に限っては私の気まぐれとも言えるがね」
報酬として金がもらえるからというのは魔女ローズにとってささいな意味しか持たない。ただシャルロットという少女が、彼女にとって〝連れ歩いても面白いかもしれない〟などといった好奇心を満たすものだったから受けたに過ぎなかった。
「さ、堅苦しい話はここまでにして一階へ戻って食事だ。頭に留めたいことがあっても、腹が減っていてはなにも入ってこないからな」
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