勿忘草~僕の初恋は、一枚の手紙から始まった~

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序章 一枚の手紙 

 2005年春。寒かった冬がようやく終わり、そよぐように吹く南からの風が町の中を吹き抜け始めた頃、中条なかじょう家の家族はみな忙しく動き回っていた。

 僕・中条純平なかじょうじゅんぺいはようやく結婚が決まり、この家を出て行くことになったからだ。三十代を迎えてもずっと彼女が出来なかった僕を見るに見かね、両親は次々とお見合いの話を持ってきた。

 そんな中出会ったのが、結婚相手となる今野美紀こんのみきだった。美紀とは不思議な位に話のテンポも話題も見事に合っていた。今までの相手ならわずか一時間話したらそれ以上続かなくなるのに、美紀は時間がいくらあっても足りない位話が続いた。どんな下らない話も、情けない話も黙って聞き入れ、受け入れてくれた。

 そして、数回のデートを経て、僕は美紀と結婚する意思を固めた。

 いざ告白する時にはすごく怖かった。あの時のように、また断られるんじゃないか?そう思うと、食べ物も喉を通らない位に緊張した。勇気を出して告白し、美紀は、僕の気持ちをきちんと受け止めてくれた。


「ほら、純平。ちゃんと掃除して行ってよ。あんたは本当に整理整頓が下手だったから、本棚も机の中もグチャグチャで、見るのも嫌だったからさ」

「分かってるよ、ちゃんとやるよ。というか、勝手に人の机の中を見るんじゃねえよ」


 僕は母親のお節介に腹を立てつつも、机の中を整理し、必要のない書類や本を次々と整理し、古紙回収に出すためにビニール紐で括り付けていた。

 一時間以上かかってようやく一番上の引き出しを整理し、二番目の引き出しを開けると、写真に交じって、恩師や学生時代の友人から送られて来た手紙や年賀状もごっそりと出てきた。


「うわあ……こんなにあるのか?」


 本当はこのまま捨てずにそっと仕舞っておきたいが、母親に見られたら、「だからお前は整理が下手なんだ」と一喝されそうなので、とりあえず片っ端から根気よく整理することにした。机の奥から溢れるように出てきた年賀状や手紙を一枚ずつ取り出しているうちに、僕は可愛らしい薄紅色の封筒に目が留まった。封筒の真下には、小さく丁寧な文字が書かれていた。


三井みつい……由香子ゆかこ?」


 その名前を見た時、僕の心臓が突然高鳴りだした。

 由香子は僕の高校時代の文通相手であり、生まれて初めて心から好きになった相手だった。結果的に僕たちは別れてしまい、その後僕は彼女との思い出を早く捨て去りたい一心で、彼女から送られて来た手紙を全て処分したはずだった。

 なぜこの手紙だけ残っていたのだろうか?単に捨て忘れたのか、捨てる前に記念に一枚だけ取っておこうと思ったからのか?

 出来るだけ当時のことは思い出したくなかった僕は、このまま中を見ずに処分してしまおうと思った。しかし、捨てようとする僕の手はゴミ箱に到達する直前で止まった。捨て去る前に、一度だけ見ておこうという気持ちになった。いわゆる『怖いもの見たさ』という心情であるが。

 僕は封筒を開けると、封筒と同じデザインの便箋を取り出した。便箋には、当時流行の丸みを帯びた文字ではない、しっかりと力強い筆跡の文字がびっしりと埋め尽くされていた。


『純平さんへ こんにちは。元気ですか?だんだん寒くなってきましたよね?私は先日、学校の合唱コンクールでピアノを担当しました。緊張したけど、終わった後で私の伴奏が良かったら入賞できたんだよって言ってくれて、すごく嬉しかったです。そろそろどこの大学に行くか、決めなくちゃね。純平さんはもう決めたのかな?私は地元国立大の教育学部を受けようと思います。小さい頃からの夢で、音楽の先生になりたいから。受かるためにも、もっと勉強がんばろうと思うんだけど、なかなか成績が上がらなくてね……』


 手紙を読み進めるうちに、由香子との思い出が徐々に頭の中によみがえってきた。そして、彼女の文字を一つ一つ目で追ううちに、まるでタイムトリップでもするかのように、僕の意識はいつの間にかあの頃へと連れ出されていった。


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