四月一日 煙火(ワタヌキ エンカ)の場合
今夜は、いつになく暇ね・・。
閑古鳥の静かな大合唱が五月蝿い。
そんな訳ないか・・そう呟いて5本目の煙草に火を点けようとしたその時、BARの扉から1人の男が入って来る。
『まだやってるかい?いやぁこんな場所にBARがあったなんて知らなかったよ。』
確かにこのBARは分かりづらい場所にある。
人混みな苦手な私がやるには丁度良い隠れ具合ではあるのだが。
私も人間だ。
飯も魚も肉も食わねばならない。
(美味しいスイーツもたまには食べたい。)
お客様は適度にご来店下さい。
いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ。
『ありがとう。』
初顔のお客様はカウンターの隅の席がお気に入りの様だ。個人的には1番トイレに近い席なので、あまりオススメしないのだが。
コートは、そこのハンガーに掛けて下さい。
『いやこのままで結構。こう見えても冷え性でね。』
よく見ると、草臥れた黒のコートに、履き潰した革靴、髪だけはキッチリ七三分け、いかにも疲れたサラリーマンって出立ちだ。
ご注文はいかがなさいますか?
『それじゃ・・ジントニックを貰おうか?ここのジンは何を使ってるんだい?』
お客様に合わせて使い分けていますが、オススメはビフィーターですね。他にもタンカレーやボンベイサファイア、ゴードンもございますが。
『それじゃビフィータージンで頼むよ。』
やっと夕方、角を削った氷が使えるわ。
ジントニックはバーテンダーの基本中の基本。
地道な努力の積み重ねが、美味しいカクテルを作るコツなのよ。
兵隊マークのジンを手に取る。
男が続ける。
『本社がこの辺にあってね。荷物を取りに行った帰りに、この店を見つけたって訳だ。私も駆け出しの頃は、よくBARで友人と将来の夢を語り合ったもんだよ。懐かしいな。』
今度は是非、そのご友人の方も一緒にいらして下さいね。
『それが・・その友人とは仕事柄、気まずくなってしまってね。最近、一緒に飲みに行っていないんだよ。』
『俺も奴も、新入社員の頃から死にものぐるいで会社の為に働き詰めて来た。猛烈社員って言葉知ってるかい?まさにそれだった。家内や子供達にも随分と苦労をかけた。奴も俺も身体を壊した事もあった。それでも俺達は会社の為に尽くして来たんだ。定年まであと少しって所まで来たのに・・・。あのボンボンの二代目社長め。俺が会社の方針に少し意見を言った途端、降格させられて関連会社に追い払われてしまった。辞令を持って来たのはその友人だったよ。二代目社長に逆らったらタダでは済まない。子供も大学に入ったばっかしだしな。人事課長の、奴も辛かっただろうな。』
可哀想だけど、コメントし難い内容ね。
こう言う時は、無言でライムを絞るに限る。
『なぁお嬢さん。いやお嬢さんは失礼か。如月さん。俺は流れ星みたいなもんなのかな。後は燃え尽きて消えるだけなんだろうか。』
男の目が少し遠くなる。
お嬢さんで何が失礼なのか分からないがw
こう言う時は、笑顔よ笑顔。
グラスへ静かにトニックウォーターを注ぎ入れる。
ビフィータージントニックです。
『ありがとう。』
『ジントニックは思い出のカクテルなんだ。昔はカクテルの種類も少なかったし。懐かしい味だ。若い頃の事を思い出すよ。』
男はジントニック一口傾けると、じっとカクテルを眺めている。
これは消える炭酸の泡に自分を重ね合わせているかの様相。
これは相当、異動がショックだったのね。
(元気出して)
なんか母性本能くすぐられる。
この店煙草吸えますよ。
『ありがとう。でも煙草は止めたんだ。そう言うご時世だろう・・。そうやって消えていくものばかりだな。最近は。』
でもこの哀愁漂う燻銀な表情。
ちょっと渋くて好き。
(何考えてるんだ私w)
『ご馳走様。良い時間を過ごせたよ。次はいつ会えるか分からないが、きっとまた寄らせてもらうよ。』
店を去る彼の背中には北風が吹き付け、そっとコートの襟を立てるのでした。
(またその友人一緒に飲める日が来ると良いですね。)
次に男を見たのはスマホの芸能ニュースだった。
えっ!この顔って!
映画『セパレーション』
理不尽なリストラと戦う老練サラリーマン【四月一日煙火】役を好演!アカデミー助演男優賞の有力候補!
とすると、あの夜は実際のBARで演技の確認に来てたって訳か。
私、映画観ないから知らなかったけど、ベテランの俳優さんだったのね。
やっぱり味のある演技の裏には、地道な努力の積み重ねがあったんだ。
あの哀愁を醸し出す背中。
あれが全て演技だったとは、本物の俳優って凄い。
そういえば四月一日って『エイプリルフール』
見事に騙されたわ。
咥えた煙草に火を点けようとして、やっぱりマッチを擦るのを止めた。
どうせ暇なら、ステアの練習でもしますか!
今夜のBAR『ミゼラブル』は軽やかにステアの音が響く。
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