第七部 妓女と女傭兵

7-1 妓女の夜

      ◆


 私は豪勢な着物を整えて、そっと結い上げてもらった髪の毛の様子を鏡で確認した。

 化粧のせいで肌は抜けるように白いのと唇が紅で赤いのが対照的だ。

 女の顔は年齢不詳で、十代の幼さが残っているようにも見えるが、角度を変えると二十代半ばの落ち着いた、海千山千の女にも見える。

 客に合わせて顔を変えるものもいるけど、今のところ、私にはその必要はない。

 店のものが扉を叩き、声をかけてくる。お待ちです、という短い声は、外から聞こえる嬌声の余韻に紛れるようだ。

 すっくと椅子から立ち上がり、私は私室を出た。私室を与えられる妓女は、この妓館ではほんの十人だけだった。他のものは二人なりで相部屋である。

 通路をゆっくりと進んでいく。明かりはただの灯火ではなく、香りが漂う工夫がされている。そして色のついた薄い紙で覆われているので、濃淡様々な幅の広い赤が、周囲を照らしていた。

 店のものが控えている扉の前で止まり、一度、そうと知られないように深呼吸した。

 よし。

 扉を軽く叩き、「ネイネでございます」と声をかけ、開く。よく手入れされていて、全く無音である。

 室内に入ると、やはり廊下とは違う香りが漂う。

 甘ったるく、まろやかな空気の中を進み出ると、椅子に座っている体格のいい男性が、嬉しそうに微笑んでいるのが視界に入った。膝を折り、頭を下げる。

「本日もありがとうございます、ロベル様」

 私の言葉にサニラットン公爵が満面の笑みを浮かべ、私を手招く。

 ロベル・フォン・サニラットンという男性は年齢は彼自身が語ったところによれば五十一歳。しかし私が見たところ、十はサバを読んでいるのではないか、というところだ。髪は黒々として、肌艶の色もいい。弛んだ肉もなく、均整が取れている。つまり若く見えるということ。

 私じゃなくても、放蕩三昧の日々を送る公爵の体とは信じないだろう。

 自称五十代の男の横に座った私に、彼がしなだれかかってくる。

「公爵様、まだ夜は長いですよ」

「なに、この夜もいつもと同じ、瞬きほどの間しかなかろうよ」

「お酒でも用意しましょうかね」

 酒などまだ良いわ、と男が口を吸ってくるのを受け入れる。

 椅子から寝台へ移動し、しばらく絡まった後、今度こそ酒の出番となった。私が寝台を降り、部屋にある棚から、サニラットン公爵の好みの葡萄酒を選ぶ。平民にはとても手の届かない、南方産の葡萄酒だった。

 グラスを用意し、寝台の脇の机にそっと置く、その私の手首が掴まれ、寝台に引きずり倒される。

「公爵様、今日は普段より激しいじゃないですか」

「そういう夜もあるということ」

 揉み合うようにしながら、私はこの奇妙な客のことを考え直した。

 この妓館はサニラットン公爵領の中心地にあり、当然、サニラットン公爵が日々を過ごす館もすぐそばの山の中に構えられている。

 そのサニラットン公爵には同年輩の妻がおり、息子と娘が二人ずついる。この六人と、サニラットン公爵家の前当主の老人が隠棲し、そこに加えて無数の使用人がその館にいるのだが、なぜかロベル・フォン・サニラットンという初老の男は、こうして妓館へやってくる。

 この店では公爵家に限らず、求めるものには相応の銭の上乗せと引き換えに、妓女を派遣することがある。客は大抵、銭を持っている商人といったところだが、彼らの体面を守るため、妓女は訪ねる時、着物も平凡、化粧も平凡で、ただの民のような姿で向かうという気遣いまでする。

 公爵家に行く時も、そうすればいいような気もするが、サニラットン公爵は屋敷へ私を近づけない。他の妓女もだ。

 公爵という立場の者に、どんなメンツがあるかは私には想像できなかった。

 妓館に通うのと、妓女を呼び寄せるのとに、どんな違いがあるかは判断に困る。女を買うことに違いはないし、場所がどこであろうと事実は変わらない。

 公爵夫人は美しいとは言えないし、年齢以上に年をとっているのは、私も遠くから見たことがあるから知っていた。その様子は、まるで四人の子供に活力、生命の力を全てを奪われたようだった。

 公爵の二人の息子はこの世の常識として、軍を指揮する立場にあり、各地を転戦している。サニラットン公爵領を守る盾であり、敵を滅ぼす剣でもある。

 娘はそれぞれ、富豪の元に嫁いでいた。この富豪の抱え込んでいる銭は膨大なものになるが、民の間では陰で、サニラットン公爵の金庫、などと呼称されてもいる。

 以前、私がサニラットン公爵その人に、お屋敷へ行ってもいいですが、と確認すると、彼は剛毅な笑みを浮かべ、答えたものだ。

「屋敷に出入りするものを無制限にすれば、良からぬことを思っているものも入ってくるだろう」

 その言葉で私は半分納得し、半分は疑念として心に残ることになった。今もその疑念は、解消されていない。

 クエリスタ王国による大統一、そしてその後の内紛と内乱による乱世の到来は、ある人には好機であり、ある人には苦難の道の始まりとなった。

 サニラットン公爵は、公爵領として与えられていた土地を守るために軍を充実させ、比較的早い段階で、かろうじて残っていたクエリスタ王国の朝廷から独立した。なので実際にはサニラットン公国というのが正しい呼称になりそうなものだが、国というほどではない。

 そもそもからしてクエリスタ王国が統治の最初から爵位を有力者に次々と与えたため、公爵領と呼ばれる土地は、国に三十ほどもあった。動乱の時代において統合されていった公爵領も多く、今では公国を名乗るところもあるが、サニラットン公爵領はそれには及ばない。

 しかしこの時代に、呼称にこだわるものはいないのも事実だ。

 いかにして領地を充実させるか、ということもあるが、それは今では、領地の充実により軍備を拡張し、それぞれの思惑に沿った発言と強制ができるか、という点に最も重点が置かれているように見える。

 その点、サニラットン公爵はまだ穏健派と言える。

 領地では産業を支援し、また難民を置く受け入れ、彼らに住む家と仕事を手配し、無理な兵役は課さない。税も比較的安く、ここ数年で人の数はみるみる増えている。

 軍は防御に専念し、これは最も大事なことだが、兵站は充実している。

 つまり、サニラットン公爵領は大陸において非常に珍しい、平穏の中にある土地なのだ。

 私は寝台の上で丁寧にサニラットン公爵の相手をしながら、目の前にいる男性の寵愛を受ける自分、というものを少しだけ意識した。

 国とは言えないまでも、支配者の列に並ぶ人物が、自分を求めてこうしてお忍びでやってくる。

 体だけの関係と彼は主張するかもしれないが、関係は関係だ。

 もし私が、妾として身請けして欲しい、と頼んだから、彼はどう答えるか。

「どうした?」

 行為の区切りで、こちらの顔をサニラットン公爵が覗き込む。

 やっぱり精力的で、艶やかな顔をしている。

「いいえ、何でもございません」

 私は彼の首に腕を回し、顔を近づけていく。

 呼気には葡萄酒の酒精がかすかに感じられた。




(続く)

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