6-4 すれ違い
◆
思わぬ展開になった。
南へと逃げ出したその二日後、馬蹄の響きが追いかけてきた。
「連中です!」
部下のひとりが叫ぶ。
わかっている。
フーティ騎馬隊、想定外にやるようだ。私たちに追いつくためにほとんど不眠不休でやってきたことになる。おそらく脱走者の追討を命じられたんだ。
丘の一つで、私は停止を指示した。
隣の丘の上に黒い具足で統一したフーティ騎馬隊が並ぶのにそう時間はかからなかった。
やれやれ、もっと疲労困憊して、気が立っているような様子が見れればよかったが、奴ら、全く落ち着いて、息一つ乱していないようじゃないか。
どちらからともなく、丘を駆け下りていく。
戦闘だ。
騎馬に限らないが起伏の激しい土地では、逆落としと呼ばれる斜面を駆け下りる力を使った突撃が効果を発揮することがある。逆に言えば当然、丘を駆け上がる方が不利だ。
私もセラたちも、そういう駆け引きはしなかった。
駆け合いで勝負を決しようという同意が、言葉も交わさずに成立していた。
セラが先頭を突き進んでくる。こちらは私が先頭だ。
一瞬で馳せ違い、剣と剣をぶつけ合う。
激しい音と火花が炸裂する。手に激しい痺れが一瞬で走った。
二つの騎馬隊が弧を描き、すれ違う。すれ違う次には、フーティ騎馬隊が三つに割れた。
これは常道に反する選択で、意表を突かれた。
フーティ騎馬隊は全部で三十騎に見えた。三隊に分かれれば、一隊が十騎。機動力はあっても打撃力は弱すぎる。
何を狙っている。
つい先日の、私と同じか。
判断に迷っている暇はない。
手信号で隊を三つに割る。私の直下にはセラを追撃するように指示。他の二隊には、最低限の牽制で動きを制約する。
セラの隊に私が食いついていく。
距離が縮まっていく。やはりフーティ騎馬隊の馬は疲労している。兵士の気力は意志力で奮い立たすことはできても、馬の疲労はどうしようもない。
フーティ騎馬隊の最後尾にいるものに追いついた。
剣を繰り出したが、空を切った。
隊列を離れたのだ。最後尾が一人きりで。
すかさず、私は部下をそちらに向ける。私は更に先へ。再び最後尾のものに切りつけるが、やはり横に逸れて行く。
何か違う。
違和感を感じた瞬間に、急角度でセラ隊が左方向へ折れた。こちらの速度なら、その先頭を横撃できる。
確信と、同時にすぐそばに強烈な威圧感を感じた。
横から?
他の二隊は抑え込んだはず。
目の前でセラを先頭にした隊が私の前方を横切ろうとし、私はそこへ突撃し、そして私たちの右手から、黒い具足の騎馬隊が突っ込んでくる、という形だった。
どうなっている?
数が増えた?
そう、フーティ騎馬隊は別働隊を用意していた。
最初に三隊に別れたのは、油断させ、同時に私たちを分散させる策だった。
フーティ騎馬隊の別働隊はそれほどの数ではなかった。
しかし今、局地的に数はほぼ拮抗し、勢いでは私たちが押されていた。
駆けた。
馬腹を蹴り、馬を叱咤する。
剣を振り上げ、セラ隊の側面に到達。背後では激しい音が交錯し、悲鳴が重なる。
傭兵の一人を切り倒し、突破し、私は包囲を抜けた。
何人が付いてきている?
振り返り、フーティ騎馬隊から距離を取ろうとする。追尾されている。味方はほんの十五人ほどか。
壊滅的打撃。
不意に影が差したような気がした。
視界の端で唐突に光が瞬いた。
首を傾げた私の片耳が弾ける。激痛、血が噴き出す。
矢。
馬をそちらへ向ける。片手が弓を掴み、もう一方の手で矢筒から矢を抜いている。
相手は丘の上、馬上にいる。
遠い。
しかし届かなくはない。
矢に気迫を込める。
耳の痛みは忘れた。
風が止んだ。
そう、静止した。
見えた。
矢を射放った瞬間、風が動きを取り戻した。
閃く光が、宙を横切る。
胸に強烈な衝撃。全身に波が緩慢に伝播する。
目が見えなくなった。
私はもう動いていない。自分の体がもう理解の内からこぼれ出していた。
草の匂いがする。頬に風を感じる。
痛みも苦しみもない。
私は溶けていく。
空気に、溶け出していく。
すぐそばに誰かが立った気がした。
それはきっとあの、不機嫌のまま表情を変えない、小柄な少年だろう。
負けるのにふさわしい相手だった。
最後にそう思った私を、私は意識できなかった。
◆
セラが馬を降りた時、すでにクーリーニアは倒れて動かなかった。
歩み寄ってみると、その胸を一本の矢が貫いている。即死だったかもしれない。
遠くの丘から駆けつけてきたのはランサと彼の直下の二人である。ランサには別働隊を率いさせ、彼は最適なタイミングで戦場に突入してきたが、自分自身は弓での勝負に固執したか。セラは本当に小さく舌打ちをして、馬を降りたランサを睨みつけた。
ランサは不愉快そうないつもの顔で動かないクーリーニアの顔を覗き込み、有るか無きかでほっと息を吐いた。
「俺の勝ちか」
それが彼の感想だった。
しばらくするとセラの部下たちが蛮族の騎馬隊をおおよそ制圧し、捕虜を引いてやってきた。
彼らに見えるところで、ランサが宣言する。ミナン連合はトード伯爵領軍に押し込まれ、遂に軍を退いた。もはや蛮族の兵士の脱走を咎めるものは、直接にはいない。
「あんたたちは後ろ指はさされても、追いかけ回されることはない」
そう言ってから、ランサが身振りで捕虜を解放させた。
彼らが泣いていることを、セラもランサも無視した。
仲間が死ぬのが嫌なら、戦場になど来ないことだ。遠く離れて、ひっそりと生きればいい。英雄にも勇者にもなれないが、死ぬこと、死に接することもなく、生きていける。
倒れているクーリーニアの遺体が運ばれていくのを、セラたちフーティ騎馬隊が整列して見送った。
すでに野の草は色を変え、全てがくすんで見た。空でさえも高くなり、空気には冷たいものがあった。
「彼女の矢は?」
セラは好奇心から、ランサに問いかけた。すでに蛮族の兵士たちは視界から消えている。南へ去った彼らは、故郷へ戻るのだろう。
問いかけを受けたランサが、指で具足の一部を指差す。
脇端のあたりで、なるほど、抉れているのがセラには見えた。
クーリーニアの矢は最後の最後に的を外したのだ。
セラたちはクーリーニアが蛮族の戦士の中の豪傑、蛮族三十八戦士の一人で、雷の弓、という通り名だと知っていた。
どんな豪傑も勝負の場では無名のものに敗れることもある。
それは例えば、慢心のような精神的な要素もあれば、老いという肉体の要素もある。何より、運というものは気紛れで、どちらに味方するかはその時にならない限り、結果が出ない限り、わかりはしない。
「行くぞ」
セラの一声で、フーティ騎馬隊のものが馬にまたがる。負傷者が出ているから、それを近くの協力者の元へ運んでいくものは別行動になる。
サリーンが今、ミナン連合軍に少数で形ばかりの同道をしている。人質に近い。何にせよ、セラの感覚では、サリーンが仕事で失敗するはずはないが、いつまでも放っておくこともできない。
身振りで、セラは隊を動かした。
悪くない戦場だった、と思い、これからの戦場にひっそりと暗澹としたものを感じながら。
(第六部 了)
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