3-2 三人の子どもたち
◆
私がセラたちと出会ったのは、ホールダー公爵領の街の一つである。
今から何年か前の春、彼らはいきなり私の店へやってきた。
「銭を貸していただきたいのですが」
あの時、そう言ったのはやっぱりサリーンだった。もちろん名前も知らない、初対面だ。
「あなた、上背はあるようだけど、まだ子どもよね」
私は仕事の片手間に返事をした。
「親が死んだか、悪党に恐喝されているかでしょうけど、私は返ってくる見込みのない銭を貸す気はない。ましてや子どもは信用しない」
サリーンの横に控えている少年が腰にある剣の柄にそっと手を置いたのは、私も見ていた。
この時、私の護衛はヴァナという男性で、正当な剣術を使う、堅物の男だった。
まさか少年が剣を抜きかけているのを無視するわけもなく、ヴァナも剣の柄に手を置いた。
しかしこうなると、ずっと黙っていて何の反応もしない三人目の少女が不気味だった。
ひっそりと影のように立ち、まるで人形のように動くことがない。呼吸しているのかも怪しいほどだ。
その瞳にあるのは、ある種の虚無、もしくは絶望にも思えたが、詮索する気にはなれなかった。
この世の中で、虚無を抱えるものも、絶望に飲み込まれるものも、決して少なくはない。どこの街にも腕や足を失ったものがいて、住む場所もなく路上に座り込んだり、横になっていたりする。死病にかかり、死体のような姿で倒れているものもいる。そういう人たちの目にあるのが、絶望という奴だ。
背ばかり高い少女が涼しげな声で訴えてくるのを、私はほとんど聞き流した。
「そんなに銭が欲しいなら」
彼女が息継ぎで言葉を止めた時、私は狙いすまして口を挟んだものだ。
「妓楼にでも上がって、技女をやりなさいな」
瞬間だった。
少年が剣を抜こうとし、ヴァナも剣を鞘走らせた。
二人の動きはほとんど同時で、どちらが速いかはわからなかった。
結果が出なかったのは、二人の間に割り込んだものがいるからだ。
その小柄な人物は、手のひらでヴァナの剣を柄頭を押さえて抜剣させず、少年の方は容赦なく蹴り飛ばしていた。もんどりうって少年が転がり、後頭部が壁にぶつかり鈍い音を立てた。
「ちょっと……っ!」
思わず私も席を立っていたが、二人の剣士を一瞬で制圧した人物の眼光に、それ以上の言葉が口から出なかった。
小柄な少女の発する気は、尋常ではなかった。
虚無であり絶望であり、しかしそれ以上に底が知れないものが、瞳の奥に見えた気がした。
ヴァナが剣を元に戻し、やはり驚いた表情でそれでも私の横で姿勢を整えた。今度は直立しているのではなく、いつでも剣を抜ける構えだった。少女に対して無警戒ではなくなったから、剣は抜けるだろう。
しかしその少女の腰にも剣がある。
背丈に似合わない長さに見えたが、持て余すことは決してないだろう。
私は改めて、その少女を確認した。
年齢は十五くらいだろうか。視線の配り方に隙がなく、体はただ立っているようでも、力みも脱力もせずといったところ。
少年が起き上がり、不満そのものの顔で直立した。背の高い少女が「銭を貸していただけますか」と確認してくる。
まったく、怒りが爆発した結果、私は機先を制されている。
この三人の子どもはは、先ほどのように無視する、放り出すには惜しいような気がしていた。
「銭を借りて、どうするの?」
席に腰を落ち着けた私が問いかけると、話をしている少女は表情を明るくさせるが、少年は露骨に舌打ちし、小柄な少女は仮面のように表情が動かないままでいる。
「銭を借りて、武具を整えます」
えっ、と思わず声が漏れてしまった。
「武具って、誰が使う武具?」
「私たちです」
頭がクラクラしてきたのは、誰にも責められないだろう。
十代だろう子どもたちが、銭を借りて、武具を揃えて、それでどうなる。
荒唐無稽な話、嘘を言われて銭を取られている気もしたものだけど、目と鼻の先で展開された少女の動きを見れば、全くの素人ではないとわかる。武具を使うのに足りる技量はあるのだ。
しかし、子どもが武具を買って、どうなる?
「どこかで私兵にでもなるの?」
「傭兵になろうと思っています」
明確に答えたのはさっきから話している少女で、他の二人は一度も口を聞いていないのが、不自然といえば不自然だった。しかしそれがどうでもいいと思えるほど、不自然しか起こっていなかった。
「傭兵になるって、あなたたち三人で? 子ども三人で、ってこと? 笑えない冗談ね」
圧倒されていた気持ちも、徐々に平穏に戻りつつある。
どう考えても返ってくる見込みのない銭を貸すバカはいない。少なくとも私はバカではない。
「これでも仲間が他に十名ほどいます」
反論したのはやっぱり上背のある少女で、私は身振りで追い払おうとした。
「話にならないわ」
そういったその瞬間だった。
外に通じる扉が開いた、というよりすっ飛んだ。
ヴァナが今度こそ剣を抜き、私を乱暴に椅子から引き摺り下ろしてしゃがませた。
人の喚声が爆発し、絶叫、怒号が入り乱れる。
何が起こったのかは明白だった。どこぞの間抜けが私の店を襲撃しているのだ。
ホールダー公爵家の治安維持の警ら隊がすぐに来るだろうが、その時に私が死体に変わっていては、何の意味もない。
そこまで考えて、急に店が静まり返ったのに理解が及んだ。
恐る恐る、卓の向こう側の様子を見た。
血がそこらじゅうにこびりつき、床は血だまりでいっぱいだ。
そこに男が四人、倒れている。手からこぼれた短剣も見えた。
「これで有能であるのは示せたかと」
言葉には自信というより、後ろめたさがある響き方が感じ取れた。
少女二人と少年は、ちゃんと立っていた。そして三人ともが剣を抜いている。
彼らが切ったのか? この不規則な事態に、とっさに対応したということか。
「話はこいつから聞けば良い」
少年がいきなり口を開き、死体の一つを蹴り飛ばした。何をしているんだ、と思った次には、その死体がぶるりと震えたものだ。死体ではない、死んではいないのだ。
いきなりの乱戦で、しかも手加減する余地さえあった。
とんでもない技量だった。ヴァナが私兵二人を連れていてもこうはいかないだろう。
やれやれ、私はとんでもない連中と出会ってしまったらしい。
諦めるしかない、か。
「明日にまた来なさい。今日は店を片付けないとね」
三人組はめいめいに反応した、というか、少女一人は口元を緩めさえしなかったが、ともかく、彼らは納得したように帰って行った。私はといえば、ヴァナに私兵を使って店舗の清掃をするように指示した。
警ら隊がすぐに来るはずで、説明しないといけない。ややこしいことだ。死体がいくつもあるのを、どう伝えればいいだろう。
襲撃されるのは初めてではないのだけど、この時ほど、一瞬で片がついたのは初めてだった。
「恐ろしい手並みです」
床を掃除する部下を見ながら、ヴァナが私に耳打ちした。囁く声には驚きと同時に、畏怖に近いものがあった。
私はただ頷き返して、銭をどれくらい都合して、どれくらいの利子で、いつに返済期限を切るべきか、それをもう考え始めていた。
(続く)
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