吸血鬼に恋する少女

ヘイ

第1話

「私の夢はね、好きな人と一つになる事なんだ。だから、良かった」

 

 満月の夜に彼女は笑った。

 見惚れてしまうほどに美しいと感じたのは灰色の少年、灰原はいばら照史あきとが彼女に恋をしてしまっていたからだろう。

 例えば彼女が単純に魔性の女であったのなら、それでも良かったのだ。

 彼女が喜んだのは、ただ唯一の欲求を照史ならば満たしてくれると思ったから。

 

「そっか。嬉しいなぁ……」

「何で泣くの、照史くん」

「いや、嬉し涙だよ」

「嬉しい時は笑った方が良いんだよ」

 

 さも当然のことの様に幸せを説く。

 けれど分かってしまっているのだ。

 

「そうだね」

「じゃあ、笑って」

 

 彼女、三橋みつはし花蓮かれんが灰原照史に恋をしたのは、灰原照史が吸血鬼だったからだ。

 

 

 

 

「アキト」

「…………」

 

 夕日が窓の外から差し込んでくる。黄昏時、夜に近い時間でありながらまだほんの僅か夜にはならない時間。

 照史にとっては夜を待つ後少しの時間。

 

「授業、終わったぞ」

「……悪い」

「いや、良いけどよ。寝不足か? 今日は一日中ボケっとしてたぞ」

 

 ボヤけた視界で照史はゆっくりと世界を観測する。自らよりも筋肉質で身長の高い短い黒髪に眼鏡を掛けた青年を捉え、象がはっきりと定まるまでを待つ。

 

ひじりか」

 

 人間としての友人である黒川くろかわ聖は照史が吸血鬼という人間とは、全く違った種族であることを知らない。

 

「まあ、悩みって言うか……」

 

 だからこそ、真実の悩みなど照史には打ち明けられない。灰原照史は吸血鬼である事を隠し、人間として生きていたいのだから。

 黄昏の空の下は静かな物ではなく、とは言え五月蠅すぎずに心地の良い声を風が運んでくる。

 グラウンドを使っているのは陸上部とサッカー部。野球部グラウンドの方からは雄叫びの様な声。

 

「そうだ。アキト、お前は部活やらないのか? お前、三橋さんのこと好きだって言ってたし、距離縮めるのに悪い手段でもないだろ?」

「……サッカー部、だっけか?」

 

 花蓮への興味を失ったと言うわけでもなく、ただ満月の夜の日の出来事を照史は上手く消化できていない。

 彼女は人間ではない照史へと好意を寄せているから、今更サッカー部に入ったところで意味はない。

 重要なのは人間ではないと言うところ。

 サッカー部の照史にも、サッカーの上手い照史にも彼女は興味を抱かない。

 

「いいよ、俺は」

 

 言い訳を心の中でこねくり回しても、結局照史がいつもたどり着くのは、人間として生きていたいと言うことだ。

 厄介なのはこの点だ。

 吸血鬼の照史が運動をすれば、世界記録を軽く塗り替えてしまう。接触競技ともなると何処かで誰かの身体を壊してしまうかもしれない。

 それは人間とは言い難い。

 けれど彼女はより一層に怪物である灰原照史を求めるのだ。

 

「この方が良い」

 

 もういっそ。

 

「まだ教室にいたんだ、照史くん」

 

 彼女のことを忘れて、恋というものも無かったことにして。こんな恋などあってはならないのだと、それでサヨナラだ。

 

「三橋さん? あれ、アキト? どう言うことだ?」

 

 聖の疑問を無視して花蓮はツカツカと照史に歩み寄り、腕を掴んで無理矢理に引っ張っていく。

 

「……どうして」

「ん? 照史くんを迎えに来たんだよ?」

「部活は」

「あー、良いの良いの。どうでも」

 

 優先事項は全て照史が一番になっているのだろう。

 

「俺は君に何かをした覚えはない」

 

 告白もアプローチもせずに、高嶺の花を遠くから眺めるだけ。それが偶々、枯れて萎れて、落ちてしまいそうだったから。

 受け止めた。

 

「……やっぱり人間じゃないよ、照史くん」

 

 飛び降りた時の彼女は死んでしまった方が良いと言う目をしていたはずだと言うのに、今の彼女はとても嬉しそうで、楽しそうで何故だか照史は胸が痛んだ。

 

「ねえ、照史くんは、さ。吸血鬼なんだよね」

 

 校舎裏で彼女は立ち止まり振り返った。空はグラデーションのかかった様に薄暗い。夕日も沈みつつある。

 まだ僅かに暑さの残る季節、風が吹いて照史の頬を撫でた。

 

「そうだよ。俺は吸血、鬼……で」

 

 目の前で起こった事象に驚いた。

 噴き上がった血液に照史の心臓が跳ねた。血が上がった原因は左手に握るハサミが原因だろう。照史は、衝動的に血の溢れ出る花蓮の傷だらけの右手首に噛み付いていた。

 

「あは、は。痛いのかなって思ったけど……全然っ、そんな事ないんだね。ちょっとくすぐったいかな?」

 

 照史は慌てて花蓮を突き飛ばす。

 違う。

 こんなのは人間ではない。

 

「照史くん」

 

 血の記憶が奔る。

 彼女の血の記憶が。自らの身体を傷つける彼女が、淫らに身体を揺らす彼女が。知らない誰かと。

 満たされぬ顔をして。

 家族は彼女を見ていない。

 照史は気がつけば花蓮を抱きしめていた。

 

「ごめん、ごめん」

「……苦しいよ、照史くん」

 

 肩を押して床に倒れ込んで彼女は誘う様に両腕を開いた。

 

「ほら……全部、食べて?」

 

 一つになりたいと彼女は願った。

 知って欲しかっただけ、居場所が欲しかっただけ。だから、相手の何もかもを知って自らの全てを知ってもらって。

 けれど、人間には出来ない。

 

「ごめん、花蓮さん。俺は、アナタが好きだ」

「……そうなの?」

「だから」

「私は照史くんに食べてもらいたいだけ……。一つになりたいの。セックスなんかじゃ足りないから」

 

 求めて。

 

「食べたくない。俺が絶対に幸せにするから」

 

 二度目の抱擁。

 どうしてか、花蓮の目尻から涙が落ちていく。分からない。

 今までに経験したことのない温かさが花蓮には心地よかった。

 

「…………」

 

 気がつけば花蓮は彼を抱きしめていた。

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