第117話 トリアージ・ブラック、或いは終焉に至る道程


 脚部の破壊に伴う流体ガンジリウムの喪失は深刻であり、またそれは推進剤の減少を意味した。

 即ちは、機動力の低下。

 そして――第一、アシュレイ・アイアンストーブにハンス・グリム・グッドフェローの如き空戦機動は叶わない。

 それは、軍人で居続けたものだけが持てる力だ。


 前大戦の戦闘を分析し、戦訓を構築し、そして技術として体系付けたからこそ得られる力。


 アシュレイとて、前進の勢いを側方Gに変換することで減速を行いやすくするエッジブレイク程度の宙戦機動マニューバは知ってはいるが――それですら練度不十分。

 ましてやそこから全方位に派生する宙戦機動マニューバなど知りえず、また、ハンス・グリム・グッドフェローとの戦闘を経たウィルへルミナに生半可な機動など通用しない。

 如何に彼が意気ごもうとも、絶対的にその差は埋め得ぬものとして訪れる。気力が物理的な差を超えることは、決してない。


 だが――


「……躱す、だと!?」


 宇宙の闇に向けて吐き出される数多の掃射が、そのまま闇の彼方に飛び去っていく。

 アシュレイ・アイアンストーブは、ハンス・グリム・グッドフェローのように偏差射撃を曇らせるための機動を行ってはいない。絶え間なく動き回り、絶え間なく振り回すような移動はしない。

 どちらかというと終始緩やかに――可能な限り砲撃を装甲で受け止め――しかし、プラズマ砲撃などの決定的な攻撃を前には確実に回避を行うという歩法。


 両足を失った【角笛帽子ホーニィハット】は彼女へと背を向けて。

 背後を振り返ることもなく。

 しかし、吐き出される弾丸を的確に回避していく。さながら、その背中に目玉がついているかの如くに。


 それは、究極的な直感や思念受信なのか?


 ――否。答えは、否だ。


「まさか……破片に映る映像で……!?」


 掃射を続けながら呟いたウィルへルミナの言葉は、半分は正解だった。

 アシュレイ・アイアンストーブは、ウィルへルミナが自爆させた機体や炸裂した砲弾に映る反射像を認識することで背後から己へと加えられる攻撃を認識している。

 更にそこに、次なる絡繰りが潜んでいた。


 時間差をつけながら、一斉に吐き出される流星めいた射撃。


 それは――後の必中を見込み、一度は敢えて回避させることでその回避先へと弾丸を多段的に集弾。

 バトルブーストの使用により喪失された装甲を引き千切り、その一斉射撃によって完全に沈黙させるという攻撃であった。

 だが――アシュレイのその回避は、ウィルへルミナの予想を超えていた。


「な――――」


 肥大化した胴部や肩部などの装甲が顎を閉じたサメの如き印象を抱かせる、近未来的な水棲生物の如き【角笛帽子ホーニィハット】。

 脚部を喪失したその海棲騎士が背負う二つの巨大な円筒タンク――高温ゲル保管装置が穿たれ、その円筒から半透明の流体を吹き出した。

 その反動を用いた推進。

 化学ロケットがそうするように、その流体の噴射を以ってアシュレイは回避を実行する。


 自損覚悟――或いは時間制限付きの高速機動。


 更には吐き出した半透明のゲルを力場にて逆に機体目掛けて叩き付け、本来の噴射とは真逆に目掛けての機動も行う。

 ハンス・グリム・グッドフェローが純粋な操縦技術と欺瞞技術による撹乱回避を行うとすれば、これは完全に機体の姿勢からの何の予測さえも付けさせぬ回避であった。


 半透明の翼を背負い、宙域を泳ぐ海棲騎士。


 無論、ウィルへルミナの持つ超多角的視点に従えば、それすらも十分に予測はできずとも観測はできるものであるが――推進剤を用いず、更に半透明の流体を噴射するという回避方法がウィルへルミナからその利点さえ奪い取る。

 噴射されるゲルが彼女の視線を遮り、多角的な目のいくつかを無効化する。

 更にはレーザーの照射。

 宙を漂う金属片に反射させられたそれが的確に、観測を行うウィルへルミナを選んで襲いかかる。


「――っ」


 反射という手間を経たためのエネルギー喪失により、照射即ちが戦闘不能を意味しないが――しかし、留まることは危険。回避を余儀なくされ、つまり強制的に視点の位置の変更を行わされる。

 そんな、第九位とはまた異なる頂点の回避術。

 更には――第四世代型という機体の力もあった。必要に応じて《仮想装甲ゴーテル》を展開するその機体は、第三世代型に比して装甲や機動の効率性や持続力において上をいく。

 結果――アシュレイは全ての攻撃を回避するのではなく、バイタルパートを狙うものや致命的なプラズマの攻撃だけの回避に集中する。


 これならば、前線の兵に比して貧弱なる彼の肉体でも十分に回避機動を続行できる。


 ある種の――――優先順位トリアージ付けだ。


「よくも、ここまで……!」


 苛立つようなウィルへルミナの前方で、僧兵は暗黒空域に前進を続けながらも透明の翼で不可思議な回避を行い続ける。

 アシュレイ・アイアンストーブの持ち味は、敵に撃たせる前にレーザーで沈黙させることでも、撃たせた後にレーザーで撃墜することでもない。

 回避も防御も迎撃も、必要に応じて必要な分だけ可能とする――――その致命の見極めこそが、彼の優れた素質であるのだ。


 ときにはその、ゲルの翼で。

 ときにはただ、バトルブーストで。

 ときには脚部からガンジリウムを噴出し、ときには敢えて反射によって自機体をレーザーで熱するその気化圧にて砲撃を躱す。


 周囲の光景は大きくは変わらない。

 暗き海を、海棲騎士が泳ぎ行く。

 古狩人と大鴉が追い立てる。

 辺りを漂うデブリも、元来から地球衛星軌道を廻るものもあれば――先のウィルへルミナの攻撃により炸裂し、その慣性のままに同一速度で周回を続けるものもある。


 破片の海で。

 爆発の空で。

 大きく周回速度を上回ることなく、彼らはいつ終わるかともしれない攻撃と回避の劇を続けた。


 だが――――いつ終わるかとも知れずとも、それは、終わるのだ。


 アシュレイ・アイアンストーブが回避に己の熱量武装を用いる以上、ときに流体ガンジリウムを用いる以上、それは終わるのだ。

 そして、如何に躱し続けると言えども――そんな持続力はアシュレイ・アイアンストーブの得手ではなく、それは彼の長所ではない。

 対するウィルへルミナの弾薬の消耗もあるが、元より有している武装の規模が違う。一個大隊と単機であらば、後者の弾薬が先に尽きるのは明白。


 故に――――決定的な場面は到来する。


 半透明の翼も尽きた群青色の海棲騎士。

 対する彼女は――彼女たちは、未だ、撃墜のための弾薬を有し……。

 詰まるところ、それは、ある種の詰みチェックなのだ。


「これで終わりだ、“不殺の僧兵サージェン”!」


 その言葉と共に、推進力を喪失した群青色の【角笛帽子ホーニィハット】へと遂に全方位から弾丸が叩き込まれる。

 アーセナル・コマンドにおいて推進力の喪失はつまり装甲力の喪失であり、最早、機体そのものの物理的な装甲のみがアシュレイ・アイアンストーブを守る唯一の鎧となる。

 それは、あまりにも頼りない鎧だ。

 大隊規模で襲いかかる曳光する弾丸の嵐を前に、単機などは絶対的に対抗し得ない。

 故に、


「……そうだね、終わりと言うのには同意するよ」


 それは、先ほどのウィルへルミナとの邂逅の会話の――完全なる意趣返しの言葉だった。

 そして連続した砲撃の掃射が、腿から下を失った群青色の水棲騎士の総身に殺到し――――

 彼女がその不可解なる光景に息を呑むと同時、静かに告げられる言葉。


「僕の姿が、見えたかい? ……だったら君は、助からない」


 静かに微笑むアシュレイ・アイアンストーブは、しかし、既に完了させていた。

 何を完了させたか――


「《検傷分類トリアージ》――《絶命ブラック》。術式執行」


 ――――


「これは……蜃気楼とでも言うつもりか!? 大気もなく――いや、まさか、高温ゲルを……!?」

「そうだね。大気や水分がないせいで手間取ったけど……無いなら、僕が用意をすればいいだけだ。君たちの爆破や自爆で振り巻かれた材料も十分にある――――反射も収束も、十分に行える」


 ウィルへルミナの行った過剰砲撃や、機体の自爆。

 それによって生み出された数多の金属片や内容物などのそれらを緻密なるレーザー狙撃により移動させ、その配置や気化や損壊を以って彼は構築していた。

 彼の意のままに光を操る空間を。


 それは、アシュレイ・アイアンストーブの手術台。


 地球に落下しない周回速度を保つ以上は、彼も彼女もそれらも相対位置が大きく変化することなく残り続ける。

 つまり既にこの軌道衛星上は、彼の支配領域にある。


「だが! 幻など、実体ごと吹き飛ばしてしまえば――」

「無駄だよ。……言っただろう? もう君たちは、助からないんだ」

「何を――――いや、まさか!?」


 コックピット内で青褪めるウィルへルミナと、穏やかな笑みで応じるアシュレイ。

 地球の衛星軌道上において、地球の引力に引かれ落ちない速度というのは決まっている。

 それは地球との距離に応じて増減し、高度が高いほど速度は緩やかになり――例えば高度三五〇〇〇キロメートルほどでは秒速三キロメートル強。四百キロメートルにおける速度は秒速七.七キロメートル弱となる。

 これが、何を意味するか。

 この速度では、およそ一時間半ほどで地球を一周する計算となる――――つまり。


「もう、夜が明ける。……それが、君たちという悪夢の終わりだ」


 ということだ。

 一時間半も必要ない。最大でも半周もすれば、どの時間に戦っていたとしてもそこは確実に直射日光を受ける領域となろう。

 アシュレイ・アイアンストーブのあの回避は、全て、それを齎すまでウィルへルミナたちを引き止めるためにあった。

 

 そして暗黒の宇宙に浮かぶ青き星の際が、輝く。

 指輪を嵌められた乙女の如く――黒きベールに覆われていた大地は、その、元来の青さを取り戻していく。

 即ちは、悪夢の終わりを告げる日の出の呼び声。

 陽光が射し込むと共に、空域は眩く輝き――――破滅術式は、執行された。


「逃げ場のない超高温の空間だ。……ああ、そうだ。なんだったかな……炎というのは、なんだろう?」


 砕け散った装甲片は鏡代わりに。

 散布した高温ジェルがレンズを成し、飛び散った銀血は陽光を乱反射させる。

 気化した燃料は高温の気体として空間を荒れ狂い、収束と拡散――反射と集中を繰り返す直射日光はその熱量を存分に吐き出し、それらの高温気体が周囲一帯を染め上げる破壊式。


 以って、作られるは純白なる光域が全てを塗り潰す抹消空間――――。


 圧倒的な――圧倒的すぎる空間殺戮。

 如何に《仮想装甲ゴーテル》と言えども、光線そのものは遮れない。アーセナル・コマンドに積載可能なその程度では、光子に影響を及ぼすほどの出力を確保できない。

 故にそれは、完全なる防御不能の攻撃。

 どころか――――空間そのものを覆い尽くすその攻撃は回避不能であり、即ちは必殺だ。


 只人よ、知るがいい。

 炎熱を統べる者に、一体何を焼き尽くす炎を語ろうか。

 熱を統べるということは即ち物体のその流動を支配するということであり、それは光を支配する権能までも拡張される。

 その男の執刀を前に、伍することなど叶わない。


 遍くを照らし、遍くを焼き払う白光の主。


 それが――第六位の擲炎者ダブルオーシックス

 生と死のその境界を見極め、炎熱を自在に掌握する炎の王である。


「く――――――」


 白光に呑み込まれる無数のアーセナル・コマンド。

 高温の気体や直射日光の照射によって、そして急速稼働を行う冷却材によって、それですらも冷やしきれない機体温度上昇によって回線を焼き切られ、それらの兵器は次々と沈黙する。

 逃げることも、防ぐことも叶わない白光の聖域。

 

 勝敗は決した。


 不可視の声として、沈黙の断末魔として飛び交う電波。

 次々に上がる行動不能を表す撃墜のサイン。

 空域に漂う機体たちが紡ぐネットワーク上には、加速度的にその敗北を知らせる警告が鳴り響く。

 完全に完了したアシュレイ・アイアンストーブの必殺を前に、誰一人逃れることができないという現実を吐き出し続ける。


 だが、故に、


「く、は、は――――くくく、ふはははははっ!」


 ウィルへルミナ・テーラーは高らかに笑いあげた。

 それは心の底からの感服と、故にこそ訪れた彼女の勝利ための勝鬨だった。


「そうね、終わりよ。……ええ、本当に大した力! 圧倒的な個人戦力! まさしく、この世の全てを焼き付くせるまでの暴力! 認めてあげるわ……この場の最強は、貴方のものだと!」


 それはある種の彼女の敗北を告げる言葉であり、


――――


 故にそれは、疑いのない勝利としてウィルへルミナの手中に収まる。


 何故、彼女が未だに言葉を発するか。何故、機体の電子系統を破壊されず、通信を続けているか。

 生きているからだ。

 無事だからだ。


 つまりは――――退


 しかし、この高温の空間からバトルブーストで逃げ切ることは不可能だ。

 そのための通電に伴う温度上昇が機体の死の運命を早め、逃げ惑うそのこと自体が自らの死を招く結果となる。自力の推力による離脱は、ただ撃墜の未来を招くだけだ。

 ――


「まさか……」

「感謝するわ、黒衣の七人ブラックパレード……その圧倒的な破壊を前に、人は、恐怖を抱く他ない。例えそれが如何に巨大なアーク・フォートレスの内に居ようと――と確信させるには十分」

「君は、初めから……」

「ええ。勝利はくれてやる――だが、【雪衣の白肌リヒルディス】は我々が頂いていく」


 そう。

 それこそが、ウィルへルミナ・テーラーの描いた未来図のための最後のピース。

 彼女もまた、知っていたのだ。

 如何に己の力が絶大であり急激に発展しているとしても――それでも、黒衣の七人ブラックパレードには敵わない。それは人類が辿り着く極点にして、この世界における最高戦力。未踏の山嶺を踏み超えるものであり、神にすら届き得るほどの超常の技量。

 故に彼女は、直接勝利を諦めた上で――目的の達成に尽力した。


「ふふ……言ったでしょう? アシュレイ・アイアンストーブ――……貴方の敗因は初めから、戦場を離れ過ぎたことだと」


 直接、アシュレイを倒せればそれも良し。

 しかしそんな伝説を打ち立てることができずとも――それもまた良し。

 何故なら既に、趨勢は決しているから。

 ウィルへルミナ・テーラーの演算は、黒衣の伝説を飛び越えた。


「如何に技能を磨いても、それは強すぎる駒の一つでしかない。駒に判断は下せない……目の前にいる敵を倒すしかない」

「……ッ」

「この絵図を作り上げられたその時点で、この結果は決まっていたのよ」


 そんな宣言の通りに、【雪衣の白肌リヒルディス】の不可視なる触腕――――天体衝突を誘引するその強大なる力場を以って、彼女は戦場を離脱していた。

 入れ替わりに襲いかかるは、無数のスペースデブリを投射するような多面多角的多段攻撃。

 周回軌道の景色そのものが刃と化し、壁と化し、押し潰さんと迫るような面制圧ならぬ空間制圧。

 流石のアシュレイ・アイアンストーブと言えども、既に満身創痍の状態で……そして最高の技を出した状態で、その離脱を引き止めることは敵わない。


 不可視なる力場の鉄槌と、膨大なる宇宙ゴミの弾幕を捌ききるそのときには、【小夜啼鳥ヨリンデ】は撤退を完了してしまっていた。

 アーク・フォートレス――【星の銀貨シュテルンターラー】運搬衛星:【雪衣の白肌リヒルディス】と共に。



 ◇ ◆ ◇



 衛星軌道上の戦闘は、終了した。

 結果だけ見れば【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の圧勝ではあるものの、【フィッチャーの鳥】はともかく、【蜜蜂の女王ビーシーズ】には完全に上を行かれた形である。

 母艦との合流を果たした後、武装の大半と両腿から下を失った【角笛帽子ホーニィハット】のコクピット中でアシュレイは肩を落とした。


「……ごめんね、グレイコートくん。僕は、役割を果たせなかった」

『いや……十分だ。相手に未知の諜報能力と制圧能力があると知れたのも大きい。あの力の傾向が読み取れただけで、それは得難い収穫だろう』

「……」


 更に一機――鋭角なる鬼火の刃とも言うべきフレデリックの【ブルーランプ】の参戦に伴い、マクシミリアンもギャスコニーとの決着を諦めた。

 ウィルへルミナの力を下に指揮されたコマンド・レイヴンの大群を以って【蜜蜂の女王ビーシーズ】と【フィッチャーの鳥】が協力関係にあると欺瞞させた彼らは、一時的な友軍として共同し、マクシミリアンたちへと襲いかかった。

 だがアシュレイの大規模破壊による隙をついて離脱した彼は、冷静な声のままに続けた。


『我々の支援者への圧力を防げたのだ。当初の戦闘目的は達成した。これで少なくともルイス・グース社は、こちらと手を切ることもできなくなった』

「……」

『そして考えようによっては、秘匿兵器が衛星軌道都市サテライトの残党に奪われたという――これ以上ないほどの【フィッチャーの鳥】の失態にもなろう。彼らを追い詰めるという意味では前進だ。この構図を作れた時点で、こちらの負けはなくなっていたのだよ』


 その言葉は、アシュレイとて、嘘だと分かった。

 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は確かに【フィッチャーの鳥】の蛮行を正すために生まれたが、それは何も彼らの失点や失着の全てに諸手を上げて歓迎することを意味はしない。

 確かにこの顛末は、彼らを追い詰める手段にはなろうが――しかし、いつ発射するかも知れぬテロリストたちの手に【雪衣の白肌リヒルディス】が渡ってしまうというのは、それ以上に避けたい事態であった筈なのだ。


 だが、マクシミリアンは咎めない。


 どんなときでも希望を捨てない――というよりは兵たちに捨てさせない指揮官としての力なのだろうか。

 彼はあの状況から、兵力を完全に温存したまま母艦も含めて無傷で離脱を果たした。

 黒衣の七人ブラックパレードという戦力を前にも曲がりなりにも二年近く戦線を保ち続けた衛星軌道都市サテライトの、その理由の一旦を知った気がした。

 そして、


『それに――……』


 彼は安堵の吐息と共に、


。……私にはそれだけでも福音に思えるが、いけないかね?』


 本心からそう聞こえる呟きを漏らした。

 通信ホログラム越しに穏やかに見詰めるような琥珀色の瞳に、アシュレイの灰色の瞳が僅かに見開かれる。

 それから、小さな微笑が取り戻された。


「ありがとう。……こんなことを言っていいのかは判らないけど、君は優しいんだね」

『……優しかったら、戦ってなどいないさ』

「ふふ、それはどこかでも聞いたね。……とにかく、ありがとう」

『礼はいい。役立って貰うだけだ』


 【フィッチャーの鳥】の残存部隊の追撃を躱しつつ、まずは『アークティカ』及びシンデレラ・グレイマンとの合流を行う。

 その後は何にせよ、あとはアーク・フォートレスを確保した【蜜蜂の女王ビーシーズ】が何を行うかと、今回の【フィッチャーの鳥】の失態に保護高地都市ハイランド連盟軍の上層部が如何なる判断を下すかにかかっている。

 いずれにしても、【フィッチャーの鳥】には後がない。


 そう判断するには、十分だろう――――。



 ◇ ◆ ◇



 透明の命綱に曳航されるように宙域を離れるウィルへルミナは、ヘルメットを外して声を漏らした。

 紙一重――紙一重だった。

 アシュレイ・アイアンストーブによる大量破壊。

 己の掌握下となった機体たちを陽光の遮蔽に用いることでかろうじて撃墜を免れた。それらの撃墜信号がアーク・フォートレスに伝わるのがあと少し遅ければ、あの場で灼熱の棺桶と化した機体に押し込められて敗れていたのはウィルへルミナの方だっただろう。

 それほどの、殺傷能力。破壊能力。殲滅能力。


「……恐ろしい力ね。人間に、あんなことができるなんて」


 改めてその勝利は、極めて薄氷だったと自認する。

 彼ら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は、アーク・フォートレスの破壊でなく確保を目的として戦っていた。

 もし破壊が主目的であったならば、間違いなくあの場でアシュレイ・アイアンストーブは【雪衣の白肌リヒルディス】すらも焼き尽くして大気圏の塵に変えていただろう。離脱など、許されなかった筈だ。


 全ては戦闘の勝利条件の設定。

 そして、そのための情報の獲得においてウィルへルミナが上回ったが故の戦略的な勝利にすぎない。

 だが、ともすれば戦術的勝利を以ってそれも塗り替えられなかった――それが、かの黒衣の七人ブラックパレードであるのだ。


 その力の半分も出せない舞台で、徹底的に弱点を狙って封じ込めを図り、その上で最高の攻撃をぶつけ、まさかそこからの逆転を許すとは――……存在そのものが決戦兵器と呼ばれるには相応しいほどの暴力だろう。


 だが、勝ったのはウィルへルミナだ。

 彼らは圧倒的な勝利の存在が故に、決定的な敗北を齎す存在が故に、それが戦場で与える甚大なる恐怖は――全てウィルへルミナ・テーラーの力となる。

 銘打つなら、船と同じく【蜜蜂の女王ビーシーズ】。

 女王蜂が巣を築くかの如く――。

 怒り、怯え、苦しみ、恨み、憤り――増幅されたそれらの負の思念に自己の感情を共振させ、意識を転写し、やがては大本の精神と人格すらも焼け落とさせる究極の人と人との交流の力である。


「……ふふ、見ている? ハンス・グリム・グッドフェロー……貴方の刃では、私の喉元には届かない。刃の貴方では、私を止めることなど叶わない。……悔やむことね。もう二度と、貴方は、私の前には立ちえない」


 喜びの言葉にしては悔恨を孕んだ声のままに、ウィルへルミナ・テーラーは青く浮かぶ星の、暗夜に目掛けて消えていく。

 巣を旅立った蜜蜂の女王が新たな巣を作るように。

 彼女もまた、その勢力を確立するために――飛んでいく。


 だが、


「敵機発見――――交戦を開始する」


 鋭角の猟犬は、来る。

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