第65話 イレギュラー・ワン、或いは人の身を張り拡げる者


 静かな――――……それは少なくとも、静かな戦いであった。

 暗黒の宇宙空間目掛けて発散していく大気の殆どは音波の媒介の役目を手放し、如何なる発砲においても轟音が鳴り響くことはない。

 通常、機体の管理AI及び振動探知カメラがその生来的に抱いてしまう違和感や無音による戦闘失調症の対策として、音声補正を行うが――彼にはそれはない。


 ただどこまでも無音に。静寂に。


 その殺意と死線が、黒き空洞騎士の左右の腕から散弾として放たれていく。あたかも死とは、前兆がないかの如く。

 滅びたる残骸で散る火花。

 揺らめくその影は、漂うその闇は、降り注ぐ鉄の破片は、ただ獲物を求めて眼下の青き惑星目掛けて疾駆していく。

 対して――


「そんな攻撃ッ!」


 大気圏外目掛けて高速で上昇する群青色の機械騎士は、白銀の胴を持つアーセナル・コマンドは、大気との衝突と振動により揺り動くコックピットの中で声を上げる。

 応じて、肩部の光学レーザー掃射砲が照準。

 彼女から見て――否、正確には見える筈もない鉄片の攻撃を、青が色濃く黒に移り変わる天空を睨み、次々と放たれる光線。

 その熱力学的兵器により膨張する体積が、変形する形状が、降り注ぐ位置エネルギー利用型の運動エネルギー弾頭の軌道を変質させ、さながら見えない腕で振り払うかの如く攻撃を逸らさせていく。


「こんなところで死ぬために――生きてきたんじゃ、ないッ!」


 母艦から受け取った敵方向を参照しながら、ホログラムで表示される自機の速度と母艦の速度を参照しながら、シンデレラは敵機を懸命に捜索するが――……。

 だが、見付からない。

 物理的に見える見えないではなく、閉じているのだ。

 その意思が。その殺意が。

 かろうじて飛来する攻撃そのものにのみ感じられるだけで、大元たる敵機を発見することができない。

 それはある種、


(まるで、大尉みたいな――)


 思わず内心で口にしてしまうような断絶。

 無我、無機質、そのような言葉を並べるに足る――ハンス・グリム・グッドフェローのような、閉じきった攻撃の反応。

 意気を込めて母艦を飛び出したシンデレラをしてもその攻撃の対処で手一杯となるような、一方的な進撃の意思であった。

 対して、


(……何故、まだ、落ちねえ。黒衣の七人ブラックパレードの誰かでもいるのか……?)


 攻撃を加え続けるヘンリー・アイアンリングもまた、不気味なその敵の防御を前に沈黙していた。

 ラッド・マウス大佐から施された施術の後、シミュレーションにて繰り返し繰り返しトップランカーたちと戦った。いつしか相手の見えない癖を感じるように、何か、戦闘の息遣いのようなものを感じられるようになった。

 今相対する敵はそのどれにも該当せず、或いは全てに該当するような――そんな違和感。


 あえて当て嵌めるならば――第六位の擲炎者ダブルオーシックスと、かの第一位の超越者ダブルオーワンか。

 無論、その域には届いていないという手触りはあるにせよ……いずれその領域に、或いは今まさにこの戦闘を通じて達するというような予兆さえある。

 レーダーの探知距離にも入らぬような、視界にも収まらぬような、そして地球の磁気偏差や重力偏差、太陽風の影響などにより計算も難しいピンポイントのレーザー照射を行う腕前。

 警戒にはあまりある。否、とうに警戒の領域を通過している――そんな敵であった。


 だからこそ、互いに、


(もっと近付かないと――)


 シンデレラはスロットルペダルを踏み込み、機体が鳴らす限界速度域への警報を噛み締めて天空を目指す。

 そして、ヘンリーは、


(確実に――逃げ場なく、ここで詰ませる)


 両腕の散弾を連続して放ち、角度と時間を調節した着弾によってあたかも飽和的な破片の雨を降らせる。

 その胸にあるのは、両者ともにある男の肖像だった。

 一撃では沈まぬ筈の力場を持つ人型を斬裂する死神。相対することは滅びを意味し、その機動が死を呼ぶ狩人。

 自分たちに戦いを教えてくれた――あの。

 イメージするのは、常に、最強の一閃。


「……大尉、オレに力を貸してくれ」


 呟く。


「……大尉。必ずわたしが、力になりますから」


 握り締める。

 先鋭なる黒き空洞騎士【アイアンリング】はその両手のプラズマライフル兼ブレードを。

 白銀の胴を持つ機械騎士【ブロークンスワン】は格納していた腕部ブレードを。

 燃ゆる紫炎の刃を抜き放ち、スロットルを全開に踏み込み――――青と黒の境界たる果ての空で、二つの命が衝突に向かう。


 邂逅は、一瞬とすらも呼べぬ間だった。


 叫び、振り抜く紫炎。

 モニターいっぱいに迫る機体――即ちは刃と刃の衝突。

 互いのヘルメットに展開される耐閃光シャッター。全周モニターが、眩い光に塗り潰される。

 極超音速同士の反航戦――――その相対速度は、コンマ一秒で五百メートルの差を詰めるもの。

 如何なる神の御業か。

 その速度にて敵機との白兵戦闘を成り立たせるとは、あまつさえ鍔迫り合いに興じるなどとは、最早、尋常なる立ち会いの域を逸していた。


「――――ッ」


 互いに――全く互いに、相手のその動きにハンス・グリム・グッドフェローを幻視し、臍を噛んだ。

 力場と力場の衝突。

 全周モニターが閃光に覆われるコックピットの内側、シンデレラの機体内に響く警告音――――母艦との再会合時間の大幅な短縮。

 反動だ。

 上昇の勢いが、射出された勢いが、第四世代型【ホワイトスワン】のジェネレーターを流用し大規模な電力の後押しを受けた力場による加速が、完全に殺されていた。


 相殺――――否、


 警報が加速する。

 敵機が空戦エネルギー的に優位な高空からの攻撃――位置エネルギーを運動エネルギーを変換したからこそ、こうも、その衝突の力が白銀胴の【ブロークンスワン】を苛むのか。

 いいや、否だ。否である。

 単純に、胸に風穴を空けられたその漆黒の機体が――胸部中央にリングを持つその機体が、その出力が高いのだ。

 それは、第四世代型――現状の最新鋭機・最新鋭の実験機体であった筈の【ホワイトスワン】を超えて。

 ただ単純なる力場の鉄槌として、シンデレラの乗機を遥か下方の青き海原目掛けて押し込んでいく。


(こ、の――――ッ)


 白光の中、咄嗟に稼働させた肩部のレーザー砲が漆黒の【アイアンリング】を捉えるのと全く同時――切り結ぶ敵機からの応射を予測した【アイアンリング】は飛び退る。

 その去り際に、蹴撃を一つ。

 あたかも【ブロークンスワン】を、再び地に落とさんとするかのように。


 激しい衝撃に臓腑が苛まれ、マイナスGに体力を削られるシンデレラとは裏腹に――蹴撃の反動と力場の反動を加味した漆黒の機体は、大きな弧を描いた宙返りの後に――反転。

 さらなる振り下ろされし紫炎の一撃。

 無慈悲なる高速の断頭台の刃めいて――――だが、シンデレラが驚いたのはそこではない。


 その最中に、落下とバトルブーストを組み合わせた斬撃の最中に、立て続けにその腕部外甲から噴き出したマズルフラッシュ。加えて、瞬くプラズマ砲。

 接近のための牽制か? ――否、その全てが寸分違わぬ必殺であり、実に精密に繰り出されし死出の炎熱である。

 ことここに至って、シンデレラは、己の中の評価を切り替えた。


 かの黒衣の七人ほどではないなどというのは誤りだ――この敵は間違いなく、彼らに匹敵するであろうと。


 しかし、


「撃てるんですよ、こっちも! 今なら!」


 天空目掛けての垂直上昇のための飛翔から解き放たれたシンデレラの【ブロークンスワン】の、その右手に握られたグレネード投射砲。

 彼女の照準に合わせて発射されるその弾頭が、黒と青の惑星境界の空に爆炎を咲かせる。

 自己の推進力を持たぬ投射砲が故に、ともすれば垂直上昇中の発射は、への自爆になりかねないそれも、停止に等しい現状ならば何の制限なく発射できる。


 結果――降り注ぐプラズマ炎と散弾を相殺し、炎熱と黒煙を撒き散らしたその側から――再び、黒煙を裂いて白煙を纏って現れた漆黒の空洞騎士。


 決定打はプラズマブレードによるものだと言いたげに、黒き敵機の握った大剣じみたプラズマライフルが炎を纏い――などという形容が相応しきなきまでに、それは業炎を滾らせる炎の大剣として振り下ろされた。

 無論――。

 シンデレラは、応じた。

 格納を解かれた左腕のブレード一本で、大上段からの二刀流大剣の斬撃を受け止める――否、受け流す。


 力場と力場の再衝突。


 その勢いを利用するかの如く、左腕一本にて敵刃を滑らせ――素早く機体を回旋。陽光を反射する白銀の胴の前後が入れ替わり、漆黒の敵機の背を取った。

 応ずるは、肩部のレーザー。

 内部のコード類を焼き切る――などという器用な真似は彼女にはできない。いや、必要ない。

 射撃直前に高温が銃口から燐光として漏れ出るそれを、漆黒の敵機の背に目掛けて発射――――否、


(躱した!? この距離――ううん、とにかくおかしいけど、躱した!?)


 言いようのない違和感を齎すような、サイドブースターによるバトルブースト。直角機動。

 その慣性による横滑りのそのままに空洞騎士も身体を反転させ――白銀と漆黒、互いに正面を向けあった同航戦へと発展する。

 散るマズルフラッシュ。レーザー。プラズマ。グレネード。爆発。火花。銃撃。

 同方向へと高速で横移動する二機が、その正面を向け合う二機が、その腕部の銃器が稼働するままに行われる――極限の射撃戦。

 僅かに身を捻り、或いはブレードで切り払い、或いは速度の緩急を付けやりすごし、それらの殺意の応酬は一種の芸術的な戦闘機動の如く――――あたかも編隊が精緻なアクロバット飛行を行うが如く、限界的な至近距離のまま、精確無比な機体操作で続けられる。


 或いはそれは、師たるハンス・グリム・グッドフェローも及ばぬほどに――……双方の全く十全なる操縦と、まるで完全なる行動予測の元に成り立っていた。


 ああ、人は言うだろう。

 その流水が如き絢爛なる死の舞踏を、疾風の如き死線の共同を、暴雨の如き閃光と爆炎の邂逅を、それを指して――言うのだ。人は。

 まさしくそれこそが、汎拡張的人間イグゼンプトだ、と。


 そして、その二機の銃撃戦のその最中、


「まさか……ヘンリー中尉ですか……?」

「その声……シンデレラか……?」


 ふとした直感からオープンチャンネルで漏らされたシンデレラの声によって、唐突にその火砲の稼働は停止した。

 敵味方に撃ち合った――――。

 かつての同じ小隊の、その仲間という事実によって。


 彼女のコックピット内には、母艦との遭遇時間を告げる警報が鳴り響いていた。



 ◇ ◆ ◇



 出撃前――――黒山羊の卵たる飛翔体、近未来的な漆黒の球体のその内にて。

 青きホログラムに取り囲まれし金髪のヘンリー・アイアンリングは、改めてそのホログラムの内容を眺め、白きスーツの美丈夫――ラッド・マウス大佐へと問いかけていた。


「大佐は、いつから……こんな準備を?」


 ホログラムに示された、数多の友軍機。狩人部隊――ハンター――対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーのその諸元。

 悪夢めいた姿を思わせる鎖を引き連れた大鋏を持つ機体、一切の余計な凹凸を持たぬ銀色の流線型の機体、十字架めいた高火力砲と棺桶じみたバックパックを背負った機体――そのどれもが、あまりにも常識を外れた一級品であった。

 それは偉大なる技術者にして芸術的な開発者に対する畏敬の念とでも言おうか。

 高揚する気持ちで問いかけた後に、ヘンリー・アイアンリングは後悔した。

 これは聞いてはならない質問であったか――と。


「不公平だと思わないかね?」


 ラッド・マウス大佐のそれは、柔和な笑みであった。

 だが、気圧される。

 圧倒される。

 あたかも蛇に呑み込まれるかの如くに言葉を発せられない、或いはそれが許されぬかのようなヘンリーを置き去りに彼は続けた。


「何が、と言われれば……そうだな。神さ――それは言うなれば法であり、機構であり、世界そのものだよ。そこにはあまりに多くの隔たりがあり、そして


 コツ、と靴音が響く。

 極めて静音に航行するその船――【狩人の悪夢デイドリーム】の中に、ラッド・マウス大佐の靴音が木霊する。


「いや――そのことはいいとも。私が許そう。ただ、不思議に思わないかね? 何故こんな兵器が作られたのか――あまりにも、この兵器は歪なのだよ。精密機器のすぐ傍らに高温の流体を内部に循環させた機体で機動戦闘を行うなど、愚の骨頂だろう?」


 誰かが――何者かがそう仕向けたのかと、言いたいのか。

 全てを計画し、誂え、誘導し、作り上げ、そう仕立て上げたと――……。

 一種の陰謀論じみていて……それはつまりは、宗教と同じだ。ラッド・マウス大佐ほどの男が、まさか、そのようなカルトめいた論理で動いているのだろうか。

 それとも彼ほどの男がそう唱えるならば、或いは本当に……何者かの意思がこの戦いに介入しているというのか。あたかもフィクションの悪の総統のような、全ての出来事の黒幕なるものが。

 そんなヘンリーの懸念を余所に、ラッド・マウス大佐は肩を崩した。


「ふ。……混乱させるつもりはなかったのだがね。安心したまえ……妥当性と必要性から見れば、少なくともこれも必然だとも。力場による防衛は理に適っている。この兵器が開発された背景も、無理なきものだ」

「は、……」

「ああ、ここに何者かの誘導があったとは語るつもりはない――これは間違いなく、人類が一つ辿り着いた極点だろう。そのことには頷こう」


 疑ってしまっていた彼の内の正気を感じさせるその言葉に、ヘンリーは胸を撫で下ろした。

 そんなカルト信者めいた理屈を語る男に自己の脳改造まで行わせてしまった恐怖――――身震いするような懸念が杞憂だったのには、心底安堵する他なかった。

 だが、


「だが、それを含めてなお――この世は間違っているのだよ、ヘンリー・アイアンリングくん」

「大佐……?」

「考えてもみたまえ。あの隕石がこの世に現れたその時から、全ての歯車は狂い出した。住まう場所を奪われたのも、大地を汚染する武器を使い始めたのも、都市一つを焼き尽くす力を手にしたのも……そのことごとくが、明らかな過ちと言えるのではないかね?」


 コツ、コツと進んでいた靴音が止まる。

 ヘンリーの真横で、止まる。

 肩越しに見たウェーブ髪の美丈夫の、半ばヘンリーの背の側に隠れてしまった白きスーツの男の、その表情は伺えない。

 声がする。ただ静かに――どこか愉しむかの如く。


「とは言っても、そこに過ちある世界としても――我々はまさにそこに生きている。生きるしかない。……今更、それら全てを正すことなどできまい。過ちを正そうと願いすぎることもまた、過ちとなってしまうのだ」

「大佐、何を……?」

「……ふ、ふ。そう深刻に受け取らなくてもいい。戯れさ。単なる雑談というものだよ。肩の力を抜きたまえ」

「……」

「さて――しかし、あるべきものはあるべきところに戻す必要がある。その点では、過ちは正されるべきなのだ。これら全ては、その為だ。……剣は、相応しき主に握られるべきだ。そうは思わんかね?」


 耳元で囁くように――。

 蛇がその舌を伸ばすように零された響きの声が、一転、奇妙なざわめきを失った。


「……さて。すまないね。質問に答えてはいなかったか。いつから、と言われたら――だよ、ヘンリー・アイアンリング特務中尉」

「初めから……?」

「ある意味で――脊椎接続アーセナルリンクなる技術がこの世に生み出されたその時から、アーセナル・コマンドなる欠陥兵器がこの世に蔓延ったその時から、私は、備えていたのだ」


 備えているというその言葉に、ヘンリーの脳は、異なる誰かを連想した。

 だが、それもすぐに消える。塗り潰される。

 耳触りの良い響きを持つ美丈夫の声に、薄れさせられていく。


「私は備えていた。いずれ来たるだろうその時のために――如何なる形になれど、如何なる発露になれど、が求められると」


 二人の周囲に浮かんでいた青きホログラムが広がっていく。

 一機や二機程度ではなく、無数に、様々な形のアーセナル・コマンドの機体が――パーツが浮かび上がっていく。

 大海の魚群に飲まれるように。

 小魚が大いなる群れを作り、鱗が照り返す銀の奔流を作り出すように。

 プラネタリウムの如く巡るホログラムを前に、ヘンリーはいつしか圧倒されていた。


「この世界に最も適用した武力の形。今や我々の部隊のこの設立理念こそが、設計骨子こそが――この世で最も有用なのは言うまでもない自明だろう?」

「……」

「ならば――正すべきときが来たのだ。私が、我々がそれを為す。善き狩人に求められることは、ただ、正すことだ」

「正すこと……」

「プロメテウスに授かった炎が、やがて核の炎となり人々を焼いたように……あの隕石が齎した金属は、人々に容易く世界を焼く術と口実を与えた。そんな混乱を、無秩序を、正すだけの力が必要だとは――君とて間近で見たのではないのかね?」


 かつての――焼け落ちたる空中浮游都市ステーション


「その秩序のために、私の力は、私達の力は使われるのだ。故に――備えていたのはいつからかと言われれば初めからであり、そして、今日この日からでもある。……君にとって、あの日があったように――だ」

「……」


 自分たちの小隊が、仲間が、決定的に運命を変えてしまった悪しき先触れ。業炎の堕落。失墜の都市。悪徳の饗宴。

 それは確かに、たとえ脳を改造されて自己を調整する能力を得たヘンリーとて、その精神に爪を立てられるかの如く心の血を流す出来事であり――……だからこそ、


「さて、その上で言おうか。正直、君は――だった。ヘンリー・アイアンリング


 悼むように、慈しむように撫でるかの如きその声に思わず耳を奪われた。


「期待していなかったというと嘘になるが、君をとは見積もってはいなかったのだよ。……正直な話、君の強さへの執念を見誤っていた。君が提案したあの武器システムは、私からでは到底生まれなかった発想だ」


 全てのホログラムが掻き消え、ヘンリーの肩に手をおいたラッド・マウス大佐のその逆の手には【アイアンリング】――胸の空洞と三つの輪を持つ機械騎士が浮かんでいた。


「認めよう。……本当に君は一部で私の想定を完全に超えている。それはあのハンス・グリム・グッドフェローにも成し得なかったことだ」

「大尉、にも……? 大佐、オレは――……」

「だから――こう言おう、。必ず私の元に戻ってくるのだ。……


 改めて、肩に手を置いているラッド・マウス大佐が振り返った。

 その言葉にも――その瞳にも。

 噓はないと、ヘンリーはそう思いたかった。



 ◇ ◆ ◇



 そして刻限が迫る宇宙と地球との境界線にて、まず口を開いたのはヘンリーであった。

 両手に握られた高出力のプラズマブレード兼プラズマライフル。その両肩部と両大腿部に喰らい付くかの如き増設スラスターユニット。

 鋭角的な漆黒のボディの中心で、風穴と三つのリングが威容を放つ――専用機体である。

 一度、宙に足を止めたその機体が、


「……何でもいい。武器を捨てろ。でなきゃ、オマエを撃ち落とす」

「な……」

「聞こえなかったのか? オマエのその機体じゃ、オレには勝てない。……【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】になんか協力するのをやめて、さっさと戻ってこい。……大尉だって、きっと心配してる」

「……っ」


 シンデレラは――ヘンリーの言葉に唇を噛み締めた。

 彼女とて、かつての技量ではない。

 だからこそ、知れるのだ。今のヘンリーとその機体の持つポテンシャルは、確かに彼女を凌駕していると。

 未だその機能を本領発揮していないとは、判るのだ。判ってしまうのだ。だからこそ――素直にそう認めるしかない。

 だが、


「戻れません……戻れるワケないでしょう! 殺されかけたんですよ、わたしは! あんな――あんな風に! それに、その大尉を……! 大尉のことをあんな……!」


 彼女自身の憤怒のため、何よりも義憤のため――それを認める訳にはいかなかった。

 ――と。

 そう、歯を食い縛るしかない。そして、そうすると決めていた。そうしなきゃいけないと思っていた。そうし続けると、戦闘への恐れから吐瀉に塗れながらも立ち上がったその時に、シンデレラ・グレイマンは誓ったのだ。

 あのとき、自分を匿ってくれたアシュレイの診療所が無法者の襲撃にあったその時に、彼が自分に贈ってくれたドッグタグを握り締めて再起した――その時に。

 だが、


「そうかよ。オマエは……大尉を裏切るんだな。大尉を裏切って、大尉の敵になるんだ」

「――ッ。大尉を、その大尉を裏切ったのはどっちなんですか! あんなに優しい人に人殺しの尻拭いをさせた! あの日も! 今日も!」

「その人殺しの大元は、オマエら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】だろうが! 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】があの街に武器を隠し持っていなければ、あんな派手な殺し合いにはならなかった! 少なくとも、大尉がその協力をさせられることだってなかった!」

「先に――先に撃ったのは、撃とうとしたのは【フィッチャーの鳥】でしょう! あの日のデモの原因だって、【フィッチャーの鳥】が市民に暴力を振るったから! いつものように!」


 ずっと、誰が悪いのかを考えていた。

 どうしてこうなってしまったのか。どうして自分たちが今銃を向けあっているのか。

 その根は、一つだった。変わらなかった。

 自分が彼と出会ったまさにあの日あの時のようなことが――それを再び、幾度も、当たり前に起こした者がいるから。


「大尉のためと言うんなら――……大尉の心を踏み躙って! また人々を憎しみ合わせている……また争いを呼ぶ! そんな【フィッチャーの鳥】こそ、大尉にもっと多くの人殺しをさせるものだって何故わからないんですか!」

「軍人が――敵を殺すことをどうこう言うかよ! 軍人やってる大尉が、今更だ!」

「軍人だって……軍人だって、敵がいなければ殺すこともない! 殺したことに苦しむこともない! 大尉がどれだけ怒ってたかは、ヘンリー中尉にはわからないでしょう! どれほど苦しがっているか! だから、また争いを起こさせるなと言っているんですよ! 何度も! こっちは!」


 激高のまま、同じく足を止めた機体のコックピットの内でシンデレラは叫んだ。


「備えていて、備えていて、備えたままで使わなければいいのに! それなのに使いたがる! 貴方たちは暴力を、当たり前に振りかざす! だから――そんなのだから、あの人が苦しむんだ! 優しいあの人が!」

「今、その優しい人を――そんなあの人を苦しめてるのは、オマエだろうが! 銃をとって! 銃を向けて! 向けられて! 裏切ってるのはオマエなんだよ、シンデレラ!」

「違う!」

「違わないだろうがッ!」


 金髪が翻り、黄緑色と琥珀色の瞳が激情に染まっていく。

 向かい合って宙を漂っていた筈の機体は既に、その手に握った武器へと力を込めていた。

 予期――予兆。

 膨れ上がっていく、ある領域への加速度の予兆。


「ここにいたヘンリー中尉は知らないでしょうけど……またあの人に焼ける街を見せた! あの人の前で街を焼いた! 【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】があろうとなかろうと、【フィッチャーの鳥】は簡単に死を呼ぶ!」

「そんなあの人の前で――その時オマエは何をやってたんだよ、シンデレラッ! 助けたのか! 声をかけたのか! 大尉に、怒らないでくださいって言ったのか!」

「それは――……」

「言ってやるよ……オマエは大尉を説得できねえと思ってるから、大尉に声をかけずにこんなところにいる! 裏切ってるのは、とっくにオマエの方なんだよ!」


 大剣めいたプラズマライフルを振り翳して、ヘンリーは怒声を上げた。


「【フィッチャーの鳥】が分断を進める? そうさせるのは、誰だ! いただろうが、今日も! 個人が、全てが! 何もかもを焼けちまうほどの力を持ってるんなら、それが世界にあるなら! 止めなきゃならねえんだよ! 誰かが!」

「それは誰かであって――あの人でなきゃいけないなんて、ないッ!」

「あの人が、その誰かになりたがってるのに――奪うのかよ、それを! 兵士であることを! 奪ってどうする! その隣にでも居座る気か! 所詮、胎でしか物を考えない! 女なのかよ、オマエも!」

「そんな言い方――――!」


 シンデレラもまた、グレネードランチャーを持つ機体の群青色の腕を曲げた。


「じゃあどうする! 誰をその誰かにするんだ!」

ッ」


 互いに――決定的だった。

 いや、或いはこの二人にとっては、未だ自己が完全に凝り固まらぬ年若いこの二人にとっては、それは決定的な分断ではないのかもしれない。

 しかし、神ならぬ少女たちはそれに気付かず。

 如何に決意をしたところで、未だ若干十四才であるシンデレラ・グレイマンには己を律しきれず――――。

 仮にも軍人とはいえ、そして最適化のための手術を受けているとはいえ、未だに士官学校を卒業してからさほど時間が経たず――手術のが馴染みきっていないヘンリー・アイアンリングもまた、己を抑えることができない。


「世が焼けるのを、分断を、オマエが止める? 住んでる場所が別れてるのに、何をどう止めるって言うんだよ! こんなものは、もうこうなるしかない! これが誤り切ったこの世界のあるべき姿だ!」

「過ちと判っていて、何故、それを見過ごすつもりなんですか!」

からだ! 変えたいなら、政治家にでもなればいい! オレたちは兵士だ! あとのことは、社会の別の奴らの役割だろうッ!」

「そうしてと言うから――だからこんな風にッ! お互いの痛みも知らずに殺し合う! 自分じゃない誰かが死ぬなら、それでいいと思うッ! 他人事じゃなくて――貴方もその社会の一部だって、どうして思わないんですか! 間違ったまま進んでいったときに死んでいくのも、貴方と同じ人だと言うのに!」


 二人とも、戦いに奪われた者だった。人体というある種の人間性を、捧げさせられてしまった者だった。

 その、怒り。

 己の立つ理由を損なわれることは、信念を損なわれることは、そんな捧げた人間性をも完全に踏み躙られるものだと――或いは既に人間性を踏み躙られてしまったという怒りが、今まさに噴出したのかもしれない。


 怒りだ。


 年若き二人は、戦場の高揚と狂気入り交じる感情の嵐を、未だ完全に御し切れるほど達観していないのか――或いは。

 それを完全に御してしまえるのは、規格域外イレギュラーワンのみであると言うのか。

 なんにせよ。

 シンデレラの信念からしても、ヘンリーの役割からしても、眼前の敵機と戦闘に及ぶのは――感情的な話だけではなく、ただ理性から言ってもあまりにも妥当なものであった。


 故に、全く同時に二機はその銃口を向け合い、


「……それで、オレを撃つのかよ、シンデレラ」

「――――っ」


 ヘンリーのその口撃が意図か、そうでないのかはさておき。

 一拍遅れたシンデレラに対して、牽制の散弾を放つ漆黒の機体――空洞騎士【アイアンリング】は加速する。

 再びの上空へ。

 初動で勝ったヘンリーの機体は、暗黒の宇宙目掛けて――より高きへ、空戦エネルギーを獲得しにかかる。

 対するシンデレラは、すぐにでも放たれる散弾に備えるべくグレネードランチャーを構え、


「――――」


 奥歯を噛み締め、咄嗟に行われた真横へのバトルブースト。

 陽光を反射する白銀の胴が航跡を残して棚引くと同時、あまりに痛烈な――――密度の薄い大気を、それでも裂き散らす大口径レールガンの主砲が天へと目掛けて飛翔した。

 敵機をレーダーの射程に収めた母艦『ドラゴンフォース』による砲撃。それが立て続けに三発。

 巨人の狩人の矢めいた弾頭が、天地を分かつ。


 危なげなくそれを回避したヘンリーも――しかし、舌打ちする。


 今まさにレーダー上で接近する敵母艦の速度は既に第二宇宙速度――音速の二十倍以上の速度を有するそれは一つの質量弾であり、仮に正面から迎撃したところでその勢いまでは殺しきれない。

 そしてその援護を行うだろうシンデレラと、僚艦『アークティカ』を纏めて沈めることは今のヘンリーをして――或いはヘンリーのみならず、黒衣の七人ブラックパレードをしても困難かもしれない。

 結果、彼は戦場からの撤退を決意する。

 既に敵の友軍と、宇宙における【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の別働隊には、修復不可能なほどの打撃を与えているのだから。

 

 同時、シンデレラもまた唇を噛んでいた。


『すまないね、シンデレラちゃん! こちらでは君を回収できそうにない! 今から加速を行って、もう一隻を待つんだ! 君のお父上がいる方の船だ!』

「……っ、了解です! アーサー艦長!」

『ああ、だから姓じゃなくて名は仰々しくてあまり好きではなくて――ああいい! もういいとも! そうだ僕がアーサー艦長だ! あのレッドフードとも戦った歴戦の艦長だとも!』


 真空の、暗黒の宇宙に程近き空域で――二つの星が離れていく。

 かつて共に戦った、背中を預けた二人が離れていく。

 全く違う陣営に――全く違う立ち位置に。その願う祈りも、求める答えも、異なる形に離れていく。


 ……ただ、少なくとも。

 戦場を離れるその瞬間に、相手に武器を向けてしまったことへの苦さと――相手に武器を向けられたことへの怒り。

 そして何より殺さずに済んだことへの安堵と、殺すことができなかった己の不甲斐なさへの憤懣と、それでもこれを繰り返したくないと――そう祈るだけの人間性は、二人は持ち合わせていた。


 故に、


「ヘンリー中尉……撃てませんよ、また、貴方を……」


 俯き加減の金髪のその奥に瞳を隠して、シンデレラは消え入りそうな声で呟き、


「クソッ……シンデレラ……なんでこんなことに……なるんだよ」


 眉を強く顰めて、ヘンリー・アイアンリングは歯を食い縛った。

 彼らは、未だ、人域に留まるが故に。

 規格域外には――――成り得ない。

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