第一章 突然の風

声を運ぶ

「今朝、静岡県伊豆半島の海岸で、クラゲが大量に発見されました。原因はまだわかったおらず、専門家が調査中です。それでは、海洋生物研究者の山岸さんにお話を伺ってみましょう。山岸さん、こんばんは」

「こんばんは。山岸です。よろしくお願いします」

「早速質問していくのですが、クラゲが大量に発生したことで、漁や観光に被害は出ないのでしょうか」

「えー、そうですね。クラゲは死んだ後、海水に溶けて消えてしまいます。すぐに撤去作業が行われますが、万が一残ったとしても、そこまで被害は出ないでし」

 私はプツッとスマホを切った。

 クラゲのニュースか、どうでもいいや。

 

 風の切る音がするして、頬を突き刺す。冷たい空気を吸い込み、肺が凍てつくかのようにきりきりする。

 こんなに寒いなら、上着くらい着てくればよかった。なんで制服だけで出てきちゃったんだろう。

 街の夜景って、そんなに綺麗なもんでもないな。もっとキラキラした車の光とか、ビルの光とかを期待したんだけど。

 まばらに見える歩いている人。

 ポツポツ通る車。

 ほとんど消えているビルの光。

 お酒が入って、大きな声で盛り上がっている会社員たちのグループ。

 それから排気ガスと焼肉の匂い。

 ちょっとガッカリだけど関係ないか。どうせ私は今から死ぬつもりだから。

 特に思い残したこともなければ、大切な人もいない。やりたいこともない。

 ただつかれた。生きたくない。

 呼吸するのさえもだるい。

 だからもう諦めよう。「生きる」に執着して何になる。

 私みたいな「怪物」は、いないほうがいい。私が消えても、誰も悲しまない。むしろ喜んでくれるかもしれない。

「さて、いきますか」

 私はビルの屋上のギリギリに立った。意外と高いな。まぁ9階ぐらいだし、そんなもんか。

 走馬灯って本当にあるのかな。嫌な走馬灯しか出てこなさそうだけど。

 これから生きることを放棄できると思うと、心臓が興奮でバクバクして、血液が全身を駆け巡る。

 胸いっぱいに、澄んだ空気を吸い込む。

 今から死のうとしているというのに、意外と落ち着くんだな。深呼吸も案外バカにできない。

 きっと私が死んでも、全国のテレビで放送してくれないんだろうなぁ。

 せめてこの地域のテレビとか新聞くらいには載ってくれないかな。

 クラゲみたいに、何もなかったように消えたくない。

 でも私はひっそり死んでいくんだろう。

 もうこの街には、この世界には、私の居場所なんかない。みんな私のことを「怪物」と言う。

 私が歩くと、みんなが蔑んだような目で見てくる。

 私みたいな「怪物」は、この世にいらないから、違う世界で居場所をみつけよう。

 ふと空が気になって、上を見上げた。

 満天の星空があったりして…なんて期待したけど、そうでもなかった。

 暗闇にぽつんと三日月があった。そしてひとつふたつの一等星。

 風が強いせいか、星が瞬いている。

 まぁ星は少ししか見えないけど。

「満天の星空じゃない夜空も、まあまあいいかな」

 人生の最後くらい、満天の星空が見たかったけど、そこは妥協しよう。

 こんな愚かなものになるくらいなら、来世は人間じゃない何かに生まれ変わりたい。

 神様もとんだ失敗作を作ったもんだ。

「さようなら、世界」

 身体が宙に舞おうとしたそのとき、バンッッッと屋上のドアが開く音がした。

 まさか誰かが止めに来たのか?こっちは勇気を振り絞ってとぼうとしていたのに、迷惑なやつだ。

 見ず知らずの相手に止められてやめるほど、私の心は弱くない。

 再び地面を蹴ろうとしたそのとき、

「待って!!」

 やわらかくて、澄みあがって悲しいほど美しい声がした。

 その声は、まあるくて暖かくてやさしくて、包み込んでくれるような声だった。

 どこか懐かしい気がしたのは、気のせいか。

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