第43話


 大きく息を吐いたノアはエヴァンに背を向けるようにしてベッドへと腰掛ける。


「……ダメ、なんだ」

 呟いた声は今にも消えてしまいそうだった。震える声は、エヴァンが今まで見てきたノアの姿のどれにも当てはまらない。


「……サラに、帰ってほしくない」

 そんな切実な願いは、自分で遠ざけた。


 幼い頃から欲しいものはなんでも手に入れてきた。王家の者としての制約は多かったが、手に入れられないものなどなかった。それが当たり前になって、いつからか何かを望むことすらなくなっていた。ただ、国民の幸せそうな顔を見ることだけが、ノアを満たしてくれた。


 それをたった一人の人間が、全てを狂わせた。心から欲しいと思う。そばに置いておきたいと思う。だがそれ以上に、彼女には世界中の誰よりも幸せでいて欲しいと願ってしまうのだ。



「どれだけ、自分に言い訳をしても。納得させようとしても」


 一国を動かすことのできる自分であっても、どうすることもできない願い。


「私の隣で笑っていてほしい。サラと一緒にこの帝国の平和を創っていきたい」


 サラの願いを受け入れてやればよかったか。しかし、診療所での出来事が脳内にちらついて恐怖を呼び起こす。


「私はあいつを引きとめてしまいそうで……もしもその結果、あいつが不幸になったらと考えたら──恐いんだ」


 誰よりも、愛してやれる。

 この世界、そして彼女のいた世界──全てをひっくるめた世界中の誰よりも。


 それでも、彼女は?


 彼女の世界で、愛する男がいるかもしれない。今はいなくとも、これから先必ず現れる。自分がやれない彼女にとっての平凡な幸せは、その男が叶えてくれるだろう。彼女と同じ人間でもない自分と一緒になり、いつか後悔するときがくるはずだ。その時にはもう、後戻りはできない。

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