皇帝の余興

 やがて秋貴妃様が戻ると、明鈴は同僚の侍女に呼ばれた。


「じゃあ、またね。うまくいくように祈ってる」

 去り際に、明鈴がこっそりと言う。


 会場の準備は着々と進んでいった。

 百人は入れそうな室内を大きく使って、四方に貴人たちの席が用意されていく。

 部屋の一番奥、北側に置かれたのは皇帝陛下の玉座だった。文月も初めて見るような豪華な椅子で、螺鈿らでんや黄金を使って装飾されている。東側にあるのは皇后様の席だ。こちらも豪華だが皇帝の玉座よりはひと回り小さい。


 西側には春貴妃様と夏貴妃様、南側には秋貴妃様と冬貴妃様。それぞれの席の後ろには明鈴のようなお付きの侍女たちが、不安そうに立っている。

 盛り上げるための演出だろうか。部屋の隅には大きな銅鑼や宴席で使う楽器まで持ちこまれていた。そして最後に、貴人たちの前にある長机に食べきれないほどの料理や酒が運ばれてくる。


「そろそろ始まるようですね。私は、たぶん犯人が名指された後に、共犯者として処刑されるでしょう。文月殿と話をする機会もこれが最後になるかもしれません」

 ポツリと天佑さんが言った。


 もちろん文月たちにも席はない。部屋の入口近くの場所に、さっきからずっと立っている。


「そんな、そんなことさせません。仙月様に頼んで救っていただきます」


「文月殿は優しいですね。ですがひとつだけ、アドバイスをさせてください。自分にできることと、できないことの区別はつけた方がいいですよ。ここは皇帝陛下の御前です。全てを決めることができるのは、この世で皇帝陛下だけです」


「それでも絶対に助けます。皇帝陛下が天佑さんを斬るというなら、私が代わりに斬られます」


「私のアドバイスを聞いていなかったようですね。そんなことをしても、皇帝陛下の気が変わるとは思えません。あなたが無駄死にをすれば、救おうとした私を裏切ることにもなるのです。それで私が喜ぶとでも思ったのですか」


「そんな……」


 ブワァァァン。

 銅鑼の音と共に、皇帝陛下が入ってきた。

 部屋の中にいる全員が膝をつき、頭を下げる。皇帝陛下の玉体は、許しがあるまでは直接は見ないのが礼儀だ。文月も目の前を通る時、黄色い裾をチラリと見ただけだった。


 銅鑼の反響が終わってしばらく経った後、よく通る声がした。

「皆の者、顔を上げるがよい」


 皇帝陛下はガッチリとした体格をした中年の男性だった。

 もちろん近くで見るのは初めてだ。血の海を潜り抜けて中華を統一した帝王だというのに、あまり怖そうな印象はない。むしろ表情には不思議な愛嬌のようなものが感じられる。


「まあ、そう緊張するな。これも退屈しのぎの余興だと思えばよい。

 今から、事件の真相が全て明らかにされる。ただしその結果は、まだわしも知らん。この中にも事件に関わった者がいるかもしれんが、それもまた一興だ。せいぜい楽しんでくれ」


 楽しんで……とは言うが、貴妃様たちはそれどころではない。

 身に覚えがあるかどうかは関係がない。少しでも歴史をかじった者なら、無実の罪で断罪された人間がどれだけ多いかを知っているはずだ。これだけの貴人が集まっているのだから、それが自分でないという保証はない。


 真っ青な顔をしている四人の貴妃様とは対照的に、皇后様だけは余裕の笑みを絶やさなかった。怯えている女たちの顔を、いかにも楽しそうに眺めている。


「さあ、始めよ!」


 皇帝の号令と共に、もう一度銅鑼が鳴らされた。

 古琴の美しい音が流れ始める。そこに入口からひとりの人物が進んできた。

 仙月様だ。貴妃たちの使わない青い色の服が目にも鮮やかだ。舞台として空けられた部屋の中央まで進むと、仙月様は皇帝に向かって優雅に礼をした。


「探偵の仙月シェンユェです。今日は皇帝陛下のご命令により参上いたしました。これから後宮を騒がせたくだんの事件について、真実を紐解いていきたいと思います。

 まずは、その発端から。十日ほど前、冬貴妃様のお屋敷で毒殺未遂事件が起こりました。毒味薬の侍女が、貴妃様に出された食事の異常に気づいたのです。すぐに吐き出して口をすすいだために大事には至りませんでしたが、その食事を犬にやったところ毒が入っていたことが判明しました。

 冬貴妃様のお屋敷は大混乱になり、後宮中の宦官を動員して捜査が行われました。やがて、お屋敷からは離れた倉庫の中で二名の遺体が発見されました。氷水ビンスイ小猫シャオマオという二人の侍女です。彼女らの部屋から毒薬が見つかったことから、犯人はその二人だと断定されました。事件の発覚を恐れて、互いに胸を突いて自殺をしたと考えられたのです」


「それならば、それでいいではないですか。どうしてそれ以上、事件を掘り起こす必要があるのです」


 秋貴妃様だ。

 この推理ショーを早く終わらせたくてたまらないのだろう。助手として、自分の侍女を貸し与えていたことも忘れているらしい。


「後宮に噂が広まったからです。そもそも、二人の侍女には冬貴妃様を殺そうとする動機がありません。冬貴妃様が亡くなって得をする誰かの命令で殺した。そう考えるのが普通です。その噂の方が……」


「いいですよ。私を名指ししなさい。ここは皇帝陛下の御前です。陛下以外のいかなる人間に対しても気遣いは無用です」


「許す。皇后が言うように、誰にでもわかるように話せ」


「はい。事件の裏には皇后様がいるというのが、もっぱらの噂でした。ご寵愛の深い冬貴妃様を除こうとして犯行を指示したと考えたのです。

 そこで、後宮の乱れを防ごうとした中常侍様から事件の背景を探るように依頼されたのが私です。私は中華で初めての探偵として事件の解決に挑むことになりました。

 ……ですが、ここで疑問に思う方もいるでしょう。どうして私が選ばれたのか。どうして名もないひとりの女に、後宮を揺るがすほどの重要な事件の解決を任せることになったのか。それを、ようやくお話しする時が来ました。実は、仙月シェンユェなどという女はどこにもいないのです。経歴も全て嘘です。本当の私には別の名前があります」


 仙月様が仙月様でない?

 文月は驚愕した。頭が真っ白になる。

 部屋にいる全ての人間が次の言葉を待った。

 探偵は一礼すると、その美しい手で自分の頭から冠を外すような仕草をした。


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