第72.5話 待っててあげる。※

「はあ~! 気持ちい~!」


「んゅ~!」


 例の超大ヒュージ暴食黒粘体グラトニースライムの事件の冒険者ギルドからの報酬の一環で泊まっている高級宿屋。


 〈輝く月ルミナス〉にあたし、ディシー・ブラックリングが正式に入ることが決まり、祝杯を挙げたあと。

 

 ちょっとはしゃぎつかれてしまうくらいにたっぷりと洗いっこを楽しんだあたしとロココちゃんはいま、仲よくいっしょにお湯の中に身を沈めていた。


 ふたりで入るには、ちょっとだけ狭い浴槽の中。前に座るロココちゃんの体をうしろからすっぽりとあたしがつつみこむかたちで。


「はあ~! それにしても、ちょっとはしゃぎすぎちゃった~! もちろん楽しかったけど~!」


「ロココも、たのしい。前に娼館おみせで 洗ってもらったときのこと、思いだした」


 娼館おみせ、そのてん末は聞いている。


 妖樹の森で危ないところだったロココちゃんを救ったすぐあとにその足で、ロココちゃんを洗ってもらうためにノエルがあわてて駆けこんだという話は。


(あ、あのっ! お、お願いがありますっ! こ、この子を洗ってくれませんかっ!)


 そして、見なくても、わかる。きっと、そのときのノエルの顔があせりと緊張で真っ赤になってたんだろうってことは。


 だって、ノエルは、あたしの救世主さまは、十五歳での成人もまだ一年先の、あたしよりも年下の男の子なのだから。 


 あのとき、だまされてつれていかれた倉庫の中で最低最悪な男たちに囲まれてなすすべもなかったあたしの前に、黒い髪をなびかせて颯爽とあらわれた男の子。


(……遅くなってごめん。ディシー)


 その鮮烈な光景を思いだして、あたしはちょっとだけ頬を赤らめた。


「カトレア。ダリア。リリィ。みんなロココにやさしくしてくれた。うれしかった」


 ……あ。それ、みんな、の名前だ。それって、やっぱり……。


「お古の服も、いっぱいもらった。すっごくきれいで可愛いドレスや、寝間着パジャマも」


「うん……。よかったね、ロココちゃん……」


 きっと、そのひとたちも幸せだったと思う。なんの裏表もなく、ただ純粋に自分たちに接してくれるロココちゃんと逢えて。


 だから、なにかしてあげたくなったんだと、思う。


 あたしは、うしろから腕をお腹の前にまわして、ロココちゃんの体をきゅっと抱きしめた。


「それと、ノエルと逢えたのは、きっと運命だから、大切にしなさい、って」


 そのロココちゃんの言葉に、抱きしめたまま前で組んだあたしの腕が、びくんと跳ねる。


 ……そうだ。これだけは、たしかめておかないと。


「ねえ。ロココちゃんは、ノエルのこと、どう思ってるの……?」


 もう、すっかりと酔いはさめていた。


 あたしは、ドキドキと高鳴る胸で、震える唇で、うしろからそっと耳もとでささやきかけるように問いかける。


「好き」


 ――前を向いたまま、はっきりとそう口にしたロココちゃんはさらにつづけた。


「ノエルは、ロココを助けてくれた。だまされて、奪われて、捨てられて。それでも生きようと必死にあらがったけど、もうだめかもしれないと思った、その瞬間に」


 ――ひとつひとつ言葉と、胸の中に抱いた想いをたしかめるように。


「本当に、うれしかった。ノエルといっしょにいきたいって、心から思った」


 ……そっか。やっぱり、ロココちゃんもあたしとおんなじなんだね。


 でも。


「それにこうして、ディシーにも逢えた」


 腕の中のロココちゃんが、その艶めく銀の髪をなびかせながら、振り返る。


「〈輝く月ルミナス〉。ノエルがつくってくれた、ロココにとってはじめての本当の仲間」


 ――まるで青い月のような、その無垢な瞳があたしを見上げる。


「こうやって、いっしょにお風呂に入ってくれて、いっしょに寝てくれて。同じテーブルを囲んで、いっしょに笑いあってくれる。そんなディシーが、ノエルが、大好き」


 ――やっぱり、ロココちゃんのそれはまだ、自分でもそうと気づけないほどに幼く、ほんの淡い想いで。


 だから、あたしは。


「ありがとう。あたしも大好きだよ。ロココちゃん」


 ぱしゃりと水音を立て、ぎゅうっと体全体でしっかりとロココちゃんの頭と体を抱きしめなおす。


 あたしにとって、妹みたいな大切なその女の子を。


「……だからね? 待っててあげる。もう少し先、そんなに遠くない未来で、ロココちゃんがあたしへのものとは違う、自分の中のその気持ちに気がつくときまで」


「……ディシー?」


「さっ、そろそろ上がろ? もうすっかり体ぽかぽかだし! これ以上入ってると、いろんな意味でのぼせちゃいそうだし!」


 耳もとでささやいたそのほんの小さなつぶやきに聞き返すロココちゃんにはあえて答えずに、あたしはにっこりと笑いかけた。 


「ね! ロココちゃん、今夜はいっしょのベッドでおやすみしよーね! とっておきの、お気にいりの寝間着パジャマで!」


「うん……! ディシー……!」


 ほんのりと頬を染めた蕾がほころぶようなその笑顔を見て、あたしはそう決めた自分の選択がまちがってないと、たしかに思った。

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