傘がない

春雷

第1話 序

 都会では自殺をする若者が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いてあった。先進国では最悪とも言われる数字で、これは、この国の負の側面を明確に映し出している。けれども、この国の人々は大抵、そんなことには無関心だ。そんなこと、とは、「若者が自殺をしていて、年々その数は増減を繰り返しているが、先進国の中ではトップと言えるほどの一定数を近年は維持しており、これは社会的にも重要な問題ではないか」ということだ。私はその多くの人々の無関心を責めたりしない。人にはそれぞれ個別的な事情があるし、それぞれ問題も抱えているだろうと考えるからだ。しかしながら、この問題に対し、ある程度の関心を持ちながら、そんなことは全く瑣末な問題である、と考える人がいるならば、私は最大限の敵意を以ってしてその人を糾弾するだろう。

 だけども、問題は、今日のこのひどい雨だ。昨日の予報では曇りの予想であったのに、今日になってかなり天気がぐずつき、結構な土砂降りになってしまった。今日は日曜日であるから、仕事に出る必要はなく、特に出かける用事もないから、そこまで困ることではない。しかし、雨を眺めているとどことなく憂鬱になるし、心なしか気分も悪くなってくる。それは気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そこのところは私自身、あまりよく把握できていない。


 行かなくちゃ。


 どこかで、声が聞こえた。


 その声はあるいは気のせいかもしれなかった。それでも私には本当にその声が響いたように感じた。私は頭がおかしくなっているのだろうか。実際、正気かどうかなんて私1人では確かめる術はなかった。

 とりあえず、まずは落ち着こうと、私はキッチンへ向かった。雨足はひどく、ざああ、という音は、静かすぎるこの部屋には必要以上に響いた。その音は、世界が私1人になってしまったのではないかと錯覚させるような響きを含んでいた。私はひどく孤独を感じた。

 私はキッチンに来ると、まず、エプロンを着ける。もちろん、今はただコーヒーを淹れるだけなのだから、エプロンなどつけなくても構わないが、私は習慣としてキッチンに立ち入る際は、エプロンを着ける。習慣というものは意外にも大事なものだ。習慣が人を形成する。習慣が乱れている人は、それなりの人格を備えているし、習慣がきちんとしている人は、性格もまたきちんとしている。習慣はその人の仕事にも影響する。習慣が完成されていればいるほど、その人がする仕事はよりハイクオリティなものになる。習慣と仕事の質は比例する。私はそのことをきちんと弁えているから、日頃から習慣を乱さぬよう、きちんとした計画を立て、時間通りに動くようにしている。勿論、私も若者だった時期があり、その頃はもっと乱れた生活をしていたから、自然、性格もとてもじゃないがいい方だとは言えなかった。しかし、年を重ねるにつれ、私という人格もだんだんと形成されるようになり、自分自身の性格や行動、思考の傾向などを把握するようになって、はじめて習慣というものの重要性を知った。その当時はもう今の仕事に就いていたから、28歳か。遠い昔のように感じる。私は習慣の重要性を思い知ってから、自分の生活習慣を見直してみた。それはもうひどいものだった。時間はズタズタに切り裂かれ、体は怠惰を貪り喰い、思考は常に宙を舞っていた。それはもはや生活と呼べるものではなかった。そこで私は自己改革をすることにした。朝早く起き、朝食を食べ、ランニングをし、仕事に行く。そして昼はヘルシーなものを食べ、夜は軽く済ませる。睡眠はしっかり取るようにして、酒とタバコは控えるようにした。たったこれだけである。たったこれだけのことで、私は健康をとりもどし、人間らしい自分というものを取り戻すことができた。

 あれから何年が経過したのかー私はもう年を数えることをやめていた。そんなもの数えたところで仕方がないし、特に自分の年を知らないからと言って困ることもなかった。

 それはー私の仕事が特殊だからということもー関係しているだろう。

 私はコーヒーに特にこだわりはない。そのため、いつもインスタントで済ますようにしている。友人たちはコーヒー狂と言えるほどのコーヒー好きで、絶対にインスタントのコーヒーは飲みたくないと言う。お前の舌は馬鹿なのか、と。確かに、そうなのかもしれない。私は今まで碌な飯を食ったことはないし、特に高級な飯を食いたいとも思わなかった。別に食事が嫌いなわけではなかったが、生活における優先順位としては限りなく低かった。1位は映画でその他は全部最下位。偏りすぎた性格は時によくない事態を引き起こすが、そんなことは私の知ったことではない。性格は急に変えられるものではないのだ。特に根本的な治療が必要な場合には。

 ポットがコトコトと音を立てる。やがてその音はコボコボといった感じになり、その音が限界を迎えようとした時、ケトルは止まる。湯が沸いたのだ。なかなか面白い。さて、コーヒーを飲むとしようか。その時だった。


 行かなくちゃ。


 まただ。一体何だというのだろう。

 例えば映画か何かにあるように、宇宙から誰かがメッセージを発信しているのだろうか。いや、その発想はあまりに馬鹿げている。子供じゃあるまいし、そんなことが起きるはずもなかろう。まあ、私が言えたことじゃないが。

 一旦その疑問は棚上げして、私はコーヒーを飲むことにした。インスタントコーヒーの袋から、2匙ほど粉を掬い出し、緑色をしたスヌーピーの絵柄のコップに入れる。ケトルを持ち上げ、コップに湯を注ぐ。スプーンでそれをかき混ぜる。冷蔵庫から紙パックのミルクを取り出し、コップに注ぐ。カフェラテである。ちなみに私はカフェラテとカフェオレの違いはわからない。

 程よい温度になったそのカフェラテを口に運ぼうとした時、私の頭の中に、ある思い出が表出した。

 それは、突然だった。

 なぜ?

 今の今まで忘れていて、これまで思い出したこともないのに。

 カフェラテが私の記憶を呼び起こしたのだろうか?それともこのひどい雨が?あるいは私の憂鬱な心境が?でも実際はそれら全てが重なり合った結果なのだろう。

 いいだろう。もう一度、向き合おうじゃないか。

 その、思い出に。

 あの、空白に。

 それは、こんな思い出だった。



 私が小学生の頃だったろうと思う。私は、詳しい場所は言えないが、田舎の方の学校に通っていた。私が通っていた小学校はなかなか平和な学校で、特に問題は見当たらないような学校だった。

 しかし、それは欺瞞だった。

 私はそれを見抜いていた。だからこそ私はその学校が嫌いだったし、その内部や周囲にいる大人たちを嫌悪していた。偽善どころではない、その醜悪なる善の思想を吐き気がするほどに憎んでいた。大人たちは問題が問題として表出するのを恐れていた。そのため、問題は問題とならなければ、問題とはならない、つまり、問題を歯牙にも掛けないようにすれば、表面上、学校としての体裁は保て、全く完璧で平和で潔癖な学校になると信じていた。盲信していた。それは狂っていると言ってもよかった。そして実際狂っていたんだと思う。

 私はその学校で問題児扱いされていた。

 よその小学校ではきっと面倒な児童ぐらいの認識で済んだろう。しかし私のいた学校は非常に特殊だったから、私は問題児だとされていた。

 例えば、こんなことがあった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る