第7話
そうこうしている内に、幕は上がり、いざ舞台に上がると、俺も久志も稽古通りに、傍目にみれば順調に役を
実際の俺はといえば、自分の台詞と身体の動作で手いっぱいで、相手役のジュリエット(久志)の表情も真面に見られないし、自分の演技や舞台全体を俯瞰することも到底出来なかったが、それでも客の反応から感じ取るに、中々の盛況ぶりなのは分かった。
さぁ、いよいよ最後の山場に差し掛かり、俺が横たわるジュリエット(久志)を抱き起し、ゆっくりと、そしてそっと、口付けに移行するシーンだ。
舞台中央で、横たわるジュリエット(久志)の肩にそっと腕を回し、ゆっくりと抱き起す。
おや?思ったより、ずっと軽い。身長180センチを超え、俺と同じくらいの背丈の久志は、もっとずっしりと重いものだと思っていた。
抱き起し、女装して化粧を施した久志(ジュリエット)を、本番で初めて見た俺は、思わず自分の目を疑った。
こいつは、そこら辺の女の子より、ずっと綺麗かも知れない・・・。いや、これはスポットライトのせいか?いや、にしてもだ・・・。
それでも、男は男だ・・・。
抱きかかえ、徐々に、目を閉じた久志(ジュリエット)に、自分の顔を近付けていく。
『きゃー♡』とか、『いやーっ♡』とか、女子生徒たちの悲鳴にも似た叫び声が、体育館全体に響き渡り、館内がちょっとしたパニック状態になった。
60センチ・・・40センチ・・・25センチ・・・
『わーきゃー』と盛り上がる館内を見ながら、石里 雅美はきっとニヤニヤ笑っているんだろう。
そして、とうとう10センチっ
もうピントが合わないっ
早く暗転させやがれっ
そう思った瞬間、舞台の照明が一気に落ち、暗転。
館内が『あぁー』とか『ふぅー』など、溜息に近い声で満たされるなか、俺は久志(ジュリエット)を残し、舞台袖に急いで下がった。
俺の次の登場シーンは、七人の小人とジュリエット(久志)の小芝居を挟んだ後の、エンディングだ。
舞台袖で、何故だか俺の視線は久志(ジュリエット)に釘付けだった。そんな俺の様子に気付いてなのか、そうではないのか、いきなり後ろから雅美に肩を叩かれ、ドキッとする。
「良い芝居だったよ。もうちょっとギリまで観てたかったけど・・・。さぁ、最後、キッチリ締めていこうねっ」
そう言って雅美は、もう一度、今度は俺を押し出すように、背中を叩いた。
もう俺の(この舞台の)エンディングシーンだった。
最終シーンに到達し、俺はもうかなり心にゆとりが出来ていて、舞台上の役者の配置や観客席の様子、そして女子生徒たちの表情まで、余裕を持って確認しながら最後の芝居を行うことが出来ていたのだが、どうも変だ、久志(ジュリエット)とは目を合わすことが出来ない。
おかしい・・・。
それでも俺は、最後の台詞まで飛ばすことも無く、確りと幕が下りるまでロミオを演じきった(と、思う)。
幕が下りていく中で、俺は想像以上の館内からの拍手喝采を感じながら、これはバスケットの試合で勝利した時よりも、ずっと感動的なのではないかと、胸が震えていた。
一度幕が下りた後、再びカーテンコールで久志(ジュリエット)と二人、舞台中央に立った俺だったが、観客である生徒たちに向けて手を振りながら、やけに俺に寄り添う久志(ジュリエット)が気になって仕様がなかった。
これもまた、石里 雅美の演出なのだろうか?
今度は『ヒューっ』とか、『かわいいっ』とかの冷やかし声が多数上がっていた。これが男子生徒の声だったなら、俺は迷わず舞台から飛び降りてぶん殴りに行くところなのだが、ほぼ全てが女子生徒の叫び声だったので、どちらかというと、気持ちが良いばかりだった。
最後に、石里部長の挨拶があり、拍手の鳴り止まぬ中、俺達は舞台袖へ捌ける。
楽屋替りの体育準備室に戻り、大道具、小道具、メイク担当などの裏方部員にも拍手で迎えられ、更に悪い気はしない俺だったが、後から引き揚げてきた石里 雅美の言葉に耳を疑った。
「高柳ぃ、土屋ぁ、あんたたち、サイコーだったよっ。いやぁ、こんなにウケると思わなかったわぁ。それでさ、相談なんだけどさ、来月、演劇部最後のコンクールあるんだけど、今回のこの舞台、掛けてみない?」
一瞬何を言っているのか分からなかったが、ふと、まだ俺の隣に寄り添う久志の方を伺った。
久志もこちらを見て、『どうする?』という視線を送って来る。衣装も化粧もそのままの久志と初めて目が合った俺は、また何故だかドキドキしてしまう。
俺はおかしくなってしまったのか?
いやいやいや、それは無いだろう。想像以上の歓声に包まれて、少し気持ちが高ぶっているだけだ、きっと。もう充分、お腹いっぱいだ。
それより、もうこの先は大学受験が控えている。十一月まで遊んでいる訳にはいかない。
そんな俺の表情を察してか、久志が「部長、それはちょっと・・・」と、切り出した。
「この先、僕は専門学校に行く予定だから良いんだけど、洋明君は、大学受験も控えてるし、来月までお願いするのは、ちょっと・・・」
女装している久志が、別におねぇ言葉を使っている訳ではない。声のトーンも至って普通で、普段から少し声質は高めなので、テノールくらいではあるのだろうけれど、何だかやけに艶っぽい。
いやいやいや、何を考えてるんだ、俺わ。
「え?なに?高柳って、大学はバスケで推薦じゃないの?あんたなら、大学バスケ、特待で行けるって、皆噂してるからさ、私はてっきりそうだとばっかり思ってたよ」
寧ろ雅美の方が男みたいだ。
「そっかぁ、それじゃ、仕方ないね。ま、今の話は気にしないで。後は私の演出の力で何とかするわ」
雅美はそう言いながら、空笑い風に「ははは」と笑って見せたが、このやり取りで、少しだけ、場の雰囲気が残念な感じになってしまった。
「あんたら、落ち込んでる場合じゃないよっ。私の演出力と自分たちのチームワークを信じな。今日は打ち上げだけど、明日中には高柳抜きの台本上げてくるから、明後日からまた、磨きをかけて、今年こそ、入賞目指すよっ。それと、今回、こんだけ盛り上げてくれた高柳先輩にお礼を言いな」
雅美の体育会系のようなノリりに、少々驚きを隠せない俺だったが、後輩の女子生徒たちから「先輩、ありがとうございました」と、それぞれに言われ、同級生の女の子たちからも「高柳君、楽しかったよ、ありがとうね」と握手を求められ、その柔らかい手に何度も触れることが出来て、俺はバカみたいに幸せな気分になっていた。
「洋明君、ありがとう。楽しかったよ。来月の公演、残念だけど、もし、時間が在ったら、観に来るだけでも来てよ」
「お、おう。行けたら行くわ」
「うん、是非来てね。君が居ない分、僕も頑張るよ」
演劇部員が『頑張る』と言うのが、何をどう頑張るのか、体育会系の俺にはよく分からなかったが(走り込みや、シュート練習をする訳でもないだろうし)、取り敢えず、『おう、頑張れよ』と言ってみた。
久志はそれに「うん、ありがとう、頑張る」と、もう一度満面の笑みで応えてくれるのだが、やはり俺にはピンと来ない。
「ところで洋明君?あの、ちょっと言い難いんだけど・・・、良いかな?」
いきなり話を変えて来た久志に、特に何も感じることも無く「ん?なに?」と応じると、久志は少し躊躇った様子を見せながら、「うん、あのさ・・・」と、話を繋ぐ。
「あのさ・・・、洋明君、僕も、他の皆みたいに、洋明君のこと、『ヒロ』って、呼んでも良いかな?いや、なんか、馴れ馴れしくて嫌だっていうのなら、嫌で良いんだ・・・」
そう言われればそうだった。
久志は俺のことを『洋明君』と呼ぶが、俺のクラスメートも部活仲間も、皆一様に、俺のことを『ヒロ』と呼ぶ。
俺にとってはどうでも良いことだったが、それほど親しくしていた訳でもない久志が、気を遣って『洋明君』と呼んでいたのなら、そんなことは気にせず、クラスメートとして『ヒロ』と呼んでくれるのは一向に構わないし、何も問題は無い。
「ああ、何だ、そんなことか。そんなの、どっちでも構わないさ。好きなように呼べよ。そんなこと一々気にしてる方が変な感じだぜ」
「うん、分かった」
嬉しそうにそう言う久志だったが、文化祭の後の卒業迄の間、特に親しく付き合った記憶は無い。確かに文化祭後、仲間内のグループの端の方に久志も居たようには思うが、俺も受験で忙しく、そうそう飛び跳ねても居られない状況になってしまったし、仲間でつるむと言っても、学校での休み時間と下校時の駅前アーケードで小一時間ほどマックで駄弁るくらいで、大したイベント事も無くなっていたから。
そう言えば、演劇部の県のコンクールも結局は観に行かなかった。これは別に忙しかった訳ではなく、文化祭の後、既に俺の演劇に対する興味が消えてしまっていただけだ。
聞いた話では、やはりその年も入賞は逃したらしい。
俺が忙しそうなオーラを出していたからなのか、石里 雅美も、その他の演劇部員も、敢て俺に絡んでくることは無かった。
俺の方も、入賞を逃したという話を聞いても、「へぇ、そうかぁ」というくらいのものだった・・・。
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