女性恐怖症の俺が何故か幽霊(女子)と暮らしてます。
弌原ノりこ
第1話「新居に不審者がいます」
三月末、俺は実家を離れ、就職と共にシェアハウス・太陽へと引っ越してきた。
シェアハウス・太陽はH市元町の高級住宅街にある。某芸能人が別宅として購入した一軒家だったものを改装し、四年前から紹介制のシェアハウスとして提供を始めたそうだ。
俺の姉貴が『太陽』の大家さんと知り合い、就職を期に家を追い出されそうになっていた俺に空き部屋を提供してくれるよう話をつけてくれた。そのため、俺は実家から車で約三十分の実家から出てここへ来ることになった。ちなみに職場には実家から通った方が五分ほど早い。追い出す意味がないんじゃないのかと思う。
「荷物はこれで全部?」
「はい、手伝ってくださってありがとうございました」
「いいのいいの、どうせ僕も暇だったから。何かあったら管理人室に電話してね」
そう言って、大家の馬嶋さんは手を振って階段を降りていった。その後ろ姿を見送り、俺は自分の部屋を眺めた。
ワンルームマンションタイプのこのシェアハウスは、個室に備え付けられた風呂とトイレ、それから小さなキッチンの他に共用の風呂とダイニングスペースが設けられている。シェアハウスにしては人が接するスペースがえらく少ない気もするが、他人と関わることがそこまで好きではない俺にはありがたい。
扉の横の壁には部屋番号「05」と俺の名前「伊藤勇平」の名前が飾られている。フルネームを丸出しにしているのはなんだか恥ずかしいが、伊藤は二人いるらしいので仕方ない。
自分の部屋だというのに、俺は妙に緊張してドアに手をかけた。
「お邪魔しま……ただいま?」
部屋は真新しく、備え付けの小さな冷蔵庫とデスクが西日を反射してピカピカと光っていた。中央は俺が寝転べるスペースがある、はずだったのだが、運び込んだ段ボールが山になっていて狭い。備え付けられているベッドは大家さんから借りている寝具が一式用意してあり、シーツを敷いて布団をかければもうすぐに眠れるようになっている。ありがたい。
荷物の運び出しで疲れていたので、俺はシャワーを浴びたらすぐに寝ることにした。
明日は生活用品の買い出しに出掛けよう。
適当な段ボールを開け、適当なTシャツとスウェットを取り出し、適当に汗を流してしまうと、俺はベッドに倒れ込んで、すぐに眠ってしまった。
*
眠ってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。瞼を開けると、カーテンを付け忘れた窓から月明かりがモロに差し込んでいて、かなり眩しい。けれど、今から設置するのも面倒くさい。明日やろう。そう思って、改めて目を閉じると、何か違和感があった。
再び目を開けて、部屋を見詰めた。カーテンを付け忘れた窓、段ボールの山、その向こう側にデスクと冷蔵庫、手前に人影。人影があった。一人暮らしの、俺の部屋に。人影は逆光で顔が見えなかったが、ベッドのわきから俺をじっと見つめている気配があった。
「不審者!?」
がばりと身体を起こし、ベッド横に設置してあった非常灯を向けた。人影はぎょっとしたが、光を避けられず非常灯の光を受けてその姿を現した。
不審者は黒いボブカットに、白いワンピースを着た女の子だった。それを認識すると、俺は悲鳴をあげて壁際に逃げた。不審者はその姿に驚いた顔をしている。驚いたのはこっちだ。
他人と関わることが好きではない、と俺は言ったと思うが、訂正しよう、あれは少し違う。
男全般と子ども、高齢の女性なら平気だ。なんなら、話すことも交流を持つこともいい。俺は、若い女だけが怖いのだ。近寄られると汗が止まらないし、挙動不審になった俺を見て侮蔑の表情を向けられたりすると、震えが止まらない。
「ねえ、あなた」
不審者は俺を見て話し掛けてくる。俺は震えたままその女から身を守るように身体を縮め、そっちを見る。
「あたしが、見えるの?」
「……は?」
何て言った、この不審者。
「あたしのこと、見えてる?」
「み、見えてるもなにも……いるじゃないですか、そこに」
「そうなのね……ねえ、ちょっと来て」
不審者はそう言って俺の腕を掴んだ。恐怖からか背筋がゾクゾクして鳥肌が立つ。それを無視して女は俺を引っ張って、風呂場の鏡の前に連れてきた。
「な、な、なにがしたいんだよ……あんた」
「ね、鏡見て」
近くに女がいるという恐怖のせいで、俺は言われるがままに鏡を見た。そこには恐怖で顔をひきつらせて半べそにしている俺が写っている。
「……情けない顔ですね」
「それはそうだけど、そこじゃない。あたしはどう?」
不審者が写っている場所に目線をやると、そこには何も写っていなかった。影も、何も。
「……どういうことだ」
今腕を掴んでるのが女であるという恐怖や、部屋に不審者がいるという状況すら塗り替える不条理に、俺は首をかしげた。
「あたし、幽霊みたいなんだけど、なんでかあなたには見えるみたい」
「……幽霊なのに触れてるけど」
「うん、触れるのも初めて。あなた、何者?」
「いや、こっちの台詞なんですけど……」
鏡に写らない仕組みはわからないが、見えて触れる女が幽霊だとは思えない。俺は大家さんに電話をした。
「すみません、新居に不審者がいます」
*
俺の通報ですっ飛んできた大家さんは、俺の説明をうんうんと頷いて聞いてくれた後、生暖かい目で俺を見つめ、飴を取り出して手渡した。黒飴だ。
「伊藤くん、疲れてるんだよ」
「いや、本当に見えないんですか。こいつ」
「見えてないし、触れないわ」
そう言って不審者は大家さんの胸の辺りに腕を突っ込んでいて、背中を突き抜けた手がひらひらと動いていた。
「うわっ会話に入ってくんな」
「……今日は大変だったからね、ゆっくり休むんだよ」
大家さんはそう言って部屋を後にして去っていった。
「本当に、見えてないのか」
「ね、言ったでしょ?あたしはあなた以外に見えないの」
不審者は物憂げな目で俺を見て、俺の手を掴んだ。
「どうして、あなたには触れるんだろうね」
「……わかんないよ、そんなの」
さっきは気が付かなかったが、その掌は冷水みたいに冷たくて、体温がまるで感じられなかった。冷たいのに肌はまるで強ばっていないのが不気味だ。
「普段なら誰もあたしを見付けられないから自由に過ごしてたんだけど、あなたには見えちゃうんだね。新生活の邪魔しちゃって、ごめんなさい」
深々と頭を下げる不審者、もとい幽霊に俺はたじろぐ。実害を被っていないし、そもそも何も知らずにここに来たのは俺の方だ。彼女ばかりが悪いわけじゃないだろう。
「俺としては、生活の邪魔にならないなら大丈夫……でも、少し距離を置いて欲しい、です」
幽霊は笑って頷く。人懐っこそうな笑顔だ。
「うん、なるべく離れて生活する。でも、一つだけお願いしていい?」
「……命と健康を害さないなら」
「害さないよ。……久しぶりに人と話せるのが嬉しいから、ここにいる時はお話させてくれない?」
とびきり嬉しそうに笑って、幽霊はそう言った。俺は女性と話すことが怖い。だけど彼女は、女性である前に幽霊だ。生きている相手よりは、怖くない。
「あんまり、話すの上手くないんですけど、それでも良いなら」
「ありがとう、勇平くん」
「……あと、手は離してくれると助かります」
「あ、ごめんね」
こうして、俺と幽霊の同居生活が始まった。
女性恐怖症の俺が何故か幽霊(女子)と暮らしてます。 弌原ノりこ @mistr_1923
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