鶴の話

春雷

第1話

 鶴は、一人ぼっちでした。朝から晩までずっと一人。誰とも話すことなく、この東北の寒空の下、一人で凍え、体を震わせていました。時々ひどく自分が孤独であると感じることがあり、どうしようもなく叫び出したくなる日がありました。そんな時は一人ただただ泣き続けるのでした。誰にも届くことのない叫び。きっとどこかの誰かに届くだろうと信じ、祈るような叫び。しかしその思いは誰にも届くことはありませんでした。

 鶴は風の噂で聞きました。仲間は全滅してしまった、と。ということは、つまり、自分が鶴という種の最後の一匹であるということです。鶴は、もはや悲しいとは思いませんでした。どちらかといえば、虚しさを感じていました。自分ががらんどうになってしまったような気がしました。

 東北の冬はとても厳しいものです。鶴が今いる場所は、田んぼなのですが、現在は一面雪に覆われ、見渡す限りに白が広がっていました。

 鶴はそんな田んぼに積もった雪の上に立ってあれこれ考えていました。これまでのことやこれからのことを、考えていました。けれども、いくら頭を捻っても、もはや何も考えることができなくなっていました。寒さのせいだ、と鶴は思いました。そこで、ちょっと飛んで何処かへ飛んでいこうと思いました。自分の知らない何処かの土地へ。この考えは以前から考えていたことでした。自分の知らない場所へ行き、人生の幕を引こう、そう考えていたのです。

 鶴は飛び立ちました。鶴としては非常に力強く飛んだつもりだったのですが、寒さのせいで体力が削られており、うまく飛び立つことができませんでした。少し浮いては落ち、浮いては落ちをしばらく繰り返していました。

 そのうち調子が出てきて、何とか飛び立てるようになってきました。ちょっと不格好ではあるけれども、鶴はそもそもの姿が美しいため、どことなく優雅な雰囲気さえ漂わせていました。もし、鶴がミュージカル舞台の主役で、周りに大勢の観客がいたならば、大喝采が辺り一面に、鳴り響いていたことでしょう。

 しかし、鶴は一人でした。どこにも観客はいませんでした。どこまでも鶴は孤独でした。鶴は自分が孤独であると認識するたびに、何だか寒さが倍加したように感じました。あるいはそれは気のせいかもしれませんが、鶴にとってはどっちだっていいことでした。なぜなら、鶴自身が寒いと感じているのは真実だからです。

 鶴は飛びました。一里も二里も飛びました。ひたすらに、必死に、息を切らせながらも、それでも休むことはなく、もう無我夢中に、何も考えることなく、一心不乱に、ただただ飛びました。ずっとどこまでも飛んでいけるような気がしました。けれどもやはり鶴にも限界がきます。次第にふらつき、意識も途切れ途切れになってきました。

 そんな時、ふと、あるものが鶴の目に飛び込んできました。

 最初は雪原の中に黒いものがあるなあ、といったような認識だったのですが、だんだんと近づいて見ると、それがどうやらトラバサミである、ということがわかりました。要するに獣捕りの罠です。それがトラバサミだとわかると、鶴は、トラバサミの側に、すっと降りていきました。そしてこう思いました。

「もういっそこれに捕まってもいいや」 

 心から、そう思いました。

 そして、片足で雪原に立ち、もう片方の足をトラバサミのぱっくり開いた口の中に、挟もうとしました。鶴の目には、そのトラバサミが、地獄で口を開けている何やらおぞましいケモノのように見えていました。

 もうちょっとで鶴の足が罠に掛かろうとしかけた、その時です。

 バサバサバサっ、という音が聞こえました。どうやら近くの森から鳥たちが一斉に飛び立った音のようです。鶴はその時初めて、自分が今いる場所の近くに、森があるということを知りました。どうやら知らず知らずのうちに、自分の視野というものが、狭まっていたようです。

 鶴は、もう何だか胸がいっぱいになって、もう一度飛び立ちたいと思いました。

 罠に向かっておじいさんが歩いてくるのが見えました。

 鶴は、そのおじいさんを見るや否や、すぐさま飛び立ちました。それはもう先程のような、不格好な飛び方ではありませんでした。とても優雅な飛び方でした。まるで雪原で高貴な踊りを踊っているかのようでした。

 バサっという音を立て、鶴は夕陽の落ちる方へ飛んで行きました。

 おじいさんは、鶴が飛び立った方を、いつまでもいつまでも、鶴が見えなくなっても、辺りが暗くなっても、見続けていました。

 そして、夜の帳がすっかり降りた頃、ボソリと呟きました。

 「鶴よ、そんなつもりじゃなかったんだ」

 誰にも届くことのない祈り。誰にも聞こえやしない祈り。

 おじいさんは、もう泣きそうなくらいに、鶴と同じ孤独を感じ、そして、鶴のために自分が何かやれたろうか、と思いました。

 何遍も、何遍も、考えました。

 そして、いつの日か鶴にまた会うことができたのなら、今日の日のことを謝ろうと思いました。夜の星を眺めながら、そう思いました。

 誰にも知られない誓い。誰も知らない物語。

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鶴の話 春雷 @syunrai3333

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