第28話

 アパートに戻ると、姉が映画を観ていた。

「テレビ直しておいたわよ」

 ということだった。

 観ている映画はロマンス映画のようだった。

 俺は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、口をつけて飲んだ。体は冷えていたが、その水の冷たさは妙に心地よかった。

「あたしの買った水勝手に飲まないでよ」

 姉がそう言うので、俺は財布から小銭を取り出して、姉に渡した。

 少し本を読もうと思ったが、読みたい本がなかったので、本屋に行く事にした。


 俺の住んでいるアパートから一番近い本屋は、2kmほど離れた場所にある。露店で、なかなか広い店舗で、品揃えも割と良い。マニアックな本が見つかることもある。

 小説を買おうと思い、小説コーナーを覗いた。

 実に様々な小説が置いてある。芥川龍之介、阿部公房に始まり、三島由紀夫、村上春樹に至るまで。日本でさえ、これほどの小説が出ているのだから、海外のものも含めると、かなり膨大な数にのぼるだろう。おそらく一生をかけても読み切れまい。それは素晴らしいことでもあり、寂しいことでもあるような気がする。まだ読んでいない本に、自分の人生を決定的に変えてしまう本があるかもしれない。そんな本に出会えるかもしれないと言うことが、本屋に行く最大の幸福であるのかもしれないと思った。

 梶井基次郎の『檸檬』を手に取った。冒頭を読んだ。でも今の自分の心境にあまりフィットしない感じがした。今読むべき小説ではないのかもしれない。

 結局恋愛小説と探偵小説を買った。漫画も2冊買った。少し買い過ぎかもしれないと思ったが、まあ良いだろう。

 帰る途中にあるファミリーレストランに寄り、夕食にする事にした。

 そのファミリーレストランには結構客が入っていて、2席ほどしか空いていないようだった。カウンター席のない店のようで、これから混むであろう時間帯に、テーブル席で1人食事をするのは申し訳ないという気がした。

 店員と話をして、帰ろうかと思っていると、相席はどうだろうかと提案された。

 ちょうど今店に入って来た中年の男の人も一人客のようで、ご一緒に案内してもよろしいかと訊かれた。少し迷ったが、承諾する事にした。たまにはこういう事も悪くないだろう。

 その男性と2人でテーブル席に着いた。俺は比較的安く腹も満たせそうなハンバーグセットを注文した。男性はコーヒーのドリンクバーを注文した。

 俺は斜めに向かい合っているその男性を横目で見た。

 少々痩せ気味の男性で、顎に髭が生えている。顔立ちは険しく、何かを追究しているような雰囲気がある。目は鋭く、口元は堅く結ばれている。髪はかき上げられており、ややオールバック気味。白髪も少し混じっているようである。

 俺は注文を待つ間、探偵小説を読む事にした。

 10ページほど進んだところで、その男性に話しかけられた。

「何を読んでいるんだい?」

 あまりに唐突に話しかけられたので、咄嗟に反応することができなかった。小説の世界に没入していたという事もある。やや遅れて、

「探偵小説です」と答えた。

「ジャンルではなく具体的なタイトル名を訊いているだけどな」

「ええと、エラリークイーンの『Xの悲劇』です」

「何故その本を選ぼうと思った?」

「そう言われると少し困りますね。面白そうだからではないでしょうか」

「そうか」

 それきり男性は黙り込んだ。俺は相席にしたことを後悔した。

「君は大学生か?」そう言われた。

「ええ」

「どこの大学だ?」

 俺は自分の通っている大学名を告げた。

「ほお。そこは私も所属している大学だ」

 まあそういう偶然もあるだろう。この場所は大学からそう遠い場所でもないし。

「では君にこんな提案をしても良いかな?あるバイトをして欲しいのだが」

 男は低い声でそう言った。

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