学究ノート#4

しゔや りふかふ

第一部 全懐疑

 第一章 直截観察


 我らは直観(直截観察)に基づかなければ何も為せない。この場合、観察とは視覚に依るものばかりであるとは限らない。受け留めたままに、受け取る若(し)かないということである。直観に頼る他に選択肢がない。直観に基づいて思考し、判断し、行動する以外のすべがない。見たまま、観ずるがままを信じるしかない。

 よって、この卷子本の記述の全てには特に記載がない場合であっても、「直観のままであるならば」、又は「直観が正しいという限りに於いて」という条件が附される。


 

 第二章 もし直観を信じないなら


 もし、直観を信じないならば、何もできない。何も進まない。何もできぬまま、未遂不収(いかなる理解も遂げず、いかなる見解にも収まらない)の状態である。


 

 第三章 懐疑の果て


 我々は懐疑の果てに行き着くことはできない。全ての見えるもの、聞こえるもの、思考するもの、ありとしあらゆる何もかもに就いて、物象であると概念であるとに関わらず、たとえ、一匹の犬に就いてであろうとも、それが何か、それはなぜか、と問い究め続ければ、終には「え答ず侍りつ」の状態となり、「それは、そうであるから、そうである」という同義反復若か言うことができなくなる。

 諸概念の根拠は(直観のままであるならば)実に脆弱である。概念の真髄である本質は空に架けた梁や橋に等しい。

 諸概念は崩壊する。考概は空疎である。いや、空疎を言えるか、諸々の概念が空疎であるにあらば。

 これは矛盾だ。空疎でないならば、空疎が生きるからである。自己矛盾である。喰らわんとして躬らの尾を噛む原蛇のように。喰らい尽くすにあらば喰らい尽くせず、喰らい尽くせぬならば喰らい尽くせる。

 だが、以上の全言説はロゴスの布く律法令に基づく、ロジカルな思考方法に依拠している。だが、ロジカルな思考の検証方法など、やり方の見当すらもつかない。ロジカルな考概が依拠するに足らないものであるとするならば、全物象や諸々の概念の何もかもが経緯も根拠もいわれも由来も理由も全く不明で、ただ、唐突なるもので若かない。


 

 第四章 納得という心的現象で若かない


 とすれば、我らは何を以て理解し、納得するのか。いや、理を解してはいない。ただあるのは納得という感情、心的な現象で若かない。明晰判明はなく、まさしく無明、ほとんど暴力である。唐突である。

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