第4話 それぞれの想い

 紆余曲折を経て同居が決定したあずさは早速そう多くない荷物を桜夜の部屋に運び込んだ。その後桜夜とリオが仕事に行ってしまったため、手持ち無沙汰になってしまったあずさは桜夜の部屋を出ると、台所の方に向かうことにした。そこには夕飯を作るサイカの姿があった。


「あずさちゃん、って年上だから敬語の方がいいのかな?」


「今は小娘の姿だからね。別にため口でいいわよ」


「ありがとう。今日はあずさちゃんを歓迎する特製カレーだからね」


「歓迎? どうして歓迎するの? あなたにとってあたしは恋敵なんじゃないの?」


「んー……」


 サイカは少しだけ困ったような笑みを浮かべてからしゃがみ、あずさと目線を合わせた。


「わたしはね。桜夜さんと契約をしたの」


「契約?」


「そう、わたしたち姉妹を救ってほしいって。そして桜夜さんはわたしたち姉妹だけじゃなくて、母さんまで救ってくれた。だからわたしが桜夜さんといるのは恩返しなんだよ」


「恩返し」


「もちろん桜夜さんのことは好きだよ? でもだからこそあの人の幸せを一番に願っている。あなたは桜夜さんが喪いたくなかった存在なんだよね? きっと桜夜さんはまた逢えてうれしいんだと思う。だから、わたしはあなたを歓迎するよ。あの人が幸せになれるように」


 サイカは澄んだ笑顔を見せる。それを見てあずさは苦々しい顔を浮かべて、その場から逃げ出した。


◆◆◆


 縁側に向かったあずさは、怒りに任せてホノカグツチを振るホムラと出くわした。炎こそ出ていないが、その怒気はすさまじいもので、あずさは腰が抜けてへたり込んでしまった。ホムラはあずさの存在に気付くとギロリとそちらをにらみ、ホノカグツチをあずさに突き付けた。


「桜夜の野郎との関係を全部話せ」


 あずさはおびえながらこくこくと頷いた。


「えと……あたしと桜夜君は幼馴染みなの、そして恋人だった。あたしは彼の子どもを生みたかったけど……」


 あずさは切なそうに笑う。


「あたしは病気で死んじゃって、彼に深い心の傷を残してしまった。……でも彼は諦めなかった。玄武様に頼んで転生の秘術を使ってもらった。そしてあたしは生まれ変わった。だからあたしは……あいつの心の傷を癒す義務がある」


 そう言ったあずさはしっかりとホムラの目を見据えた。


「そうか」


 ホムラはホノカグツチを下ろした。


「オレはな。桜夜より強い男を見たことがない。でも、誰かが守ってやらないといけない気がずっとしていた。それはお前を喪ったからなのかもな。オレはオレで勝手に桜夜の力になる。親衛隊だしな。だからお前はお前で勝手に償ってろ」


 話は終わりだとばかりに、ホムラはまた素振りに戻った。


◆◆◆


 それから少しして、桜夜とリオが仕事から戻って来た。サイカが特製カレーをふるまいあずさの歓迎会となったが、ぎこちなさは拭い切れなかった。食後もあずさは手持無沙汰だった。三姉妹はそれぞれ役割を持っている。サイカが家事、ホムラが護衛、リオが秘書だ。まだ子どもの身体のあずさにはどれもできないことだった。どうしたものかとあずさが思っていると、リオがにこにこと彼女に近づいてきた。


「あずさ様。一緒にお風呂に入りませんか」


「お風呂なら桜夜君と……」


「わたくしがお話したいことがあるんです。だめ、でしょうか」


「……そこまで言うなら」


 あずさとしてはもう少しごねたかったが、やめた。肝心の桜夜はまだ執務室で書類とにらめっこでいつ風呂に入るかもわからなかったからだ。


◆◆◆


「はい、終わりましたよ」


「…ありがと」


 髪や身体などをリオに洗ってもらったあずさは素直に礼の言葉を述べた。それにリオは「いえ」と答えて、自分の髪を洗い始めた。そんなリオの姿を、あずさは湯舟の中から見つめる。かつての自分にはなかった抜群のプロポーションを見て、幼くなった自分がよりみじめに感じた。


「どうかしましたか?」


「……なんでもない」


 あずさの恨めし気な視線に気づいてリオは声をかけるが、あずさは口元までお湯につかりながら目をそらした。リオは首をかしげながらも、身体を洗い始めた。そうして身を清めると、あずさのいる湯舟に入ろうとする。


「お邪魔しますね」


 リオは話したいことがあると言っていたが、いっこうに話題を振ってこない。そのことにしびれを切らしたあずさは尋ねる。


「それで話って?」


「話?」


「話したい事があるんじゃないの?」


「ああ」


 リオはのんびりとした動作で柏手を打つ。


「あれは口実です。日本では裸の付き合いが大事と聞きましたから」


「ふうん。そういってうちのわんこともお風呂に入ったわけ?」


「ふふふ、それはどうでしょうか」


 剣呑な表情になるあずさと、笑顔のリオ、風呂場はあやしい雰囲気に包まれた。


「そもそもさ、リオだっけ。あんたはどうしてあんなに冷静でいられたの?」


「わたくしは桜夜様の秘書ですからね。彼の過去も宣下も……」


「そうじゃない。なんであたしに取られることに対して冷静でいられるの」


「あの方は誰のものにもなりませんよ」


 あずさの問いにリオはきっぱりと答えた。


「あの方は特別。その自由を制限することは四方院家にも、私たち姉妹にも、あなたにもできません」


「そ」


 あずさは短くつぶやくと湯舟から立ち上がり浴室を後にした。


◆◆◆


 あずさはそのあとピンクのパジャマに着替え、桜夜の執務室の扉を叩いていた。中から返事はなかったが、扉を開ける。そこには流暢な英語で電話をする桜夜の姿があった。彼はあずさの存在を認識すると電話を続けながらウインクをしてみせた。その慣れた所作に桜夜の成長を感じ、あずさはドキッとした。彼女は少し顔を赤くしながら来客者用のソファに座り、電話が終わるのを待った。


「どうしたの? あずさ」


「久しぶりに一緒に寝よ?」


「うん、いいよ。お風呂に行ってくるから寝室で待っていて」


◆◆◆


 あずさが一組だけ引かれた布団の上で座って待っていると、15分と立たずに桜夜が入浴を終えてやってきた。


「おまたせ」


「ううん」


 桜夜が電気を消そうとする。自然とあずさは布団に入った。電気を消した桜夜もその布団に入る。するとあずさが桜夜に抱き着き、子ども特有の温かさを彼に感じさせた。


「ねえ、桜夜君」


「なあに? あずさ」


「桜夜君が女の子を侍らしているのは、あたしがさみしい思いをさせちゃったから?」


「……さみしい、か。忘れてしまったよ。そんな感情」


「でも……」


「彼女たちと僕はただ契約を結んだに過ぎなかった。でも彼女たちは僕に好意を示した。でもね、あずさ。僕はもう誰の好意も信じられないんだ。だから僕は、彼女たちの好意を利用しているんだろうね」

 

 あずさは信じられないという表情で桜夜の顔を見た。桜夜はかなしそうに笑っていた。


「幻滅した? だから君が彼女たちを切り捨てろというなら切り捨てるし、許嫁関係を解消したいなら解消しよう。四方院家相談役という地位は僕に絶対に必要なものではない」


 そこにいた桜夜はあずさの知っている桜夜ではなかった。まるで人生を諦めてしまったかつてのあずさのようだった。だから……。


「そんな、かなしいこと言わないでよ。大切なものなんてないみたいに言わないでよ」


 あずさはボロボロと泣き出した。そんな彼女を胸元に抱き寄せた桜夜は優しく頭を撫でた。


「ごめんね。そんなふうにあたしがしちゃったんだよね。あたし、いくらでも償うから……」


「気にしなくていいんだよ。君はまた僕と逢ってくれた。それだけで僕はもう、十分だ」


 泣き止まないあずさを困ったように見ながら、桜夜はその頭を撫で続けた。


to be continued








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