悪役令嬢と夜の乙女

 生徒会室にて、ラッセル、アビゲイル、フランシス、光の4人がテーブルに着いている。ウォルターとザラがそばに控え、王太子付きの護衛たちが出入り口を固めていた。


 余談ではあるが、卒業パーティーではいかに公爵家の人間といっても供は連れ歩けないことになっている。王太子であるラッセルが、当然ながら特別なのである。

 学園までついてきた従者たちには控え室として空き教室が解放されたり、希望者は人手がいくらあっても足りないパーティーの運営に駆り出されたりといった具合だった。少しでもお嬢様のそばにいたいザラは、言わずもがな会場での給仕を申し出る。

 そうして事の次第を始めから見守っており、どさくさに紛れてアビゲイルに合流したのだった。

 ザラの姿を見て喜んだ(と親しい者には分かる)アビゲイルを見てラッセルが同席を許し、今に至る。


「それで、何故アビゲイルは冤罪を受け入れるつもりだったのか、婚約者である僕は聞く権利があると思うのだが」


 気のせいと言い張れる程度にだが、ラッセルは“婚約者”を強調した。フランシスは一瞬頬をひくつかせたが、当のアビゲイルは気付いていないようだ。気付いた、というよりはラッセル本人から話を聞いている光が、可笑しそうにラッセルを見た。ラッセルは内心で舌打ちしつつ、腹の立つ人間たちは視界に入れないよう、アビゲイルを見つめる。


「王太子殿下と夜の乙女――ヒカリ様の婚約話が持ち上がっていると耳にいたしました。おふたりは仲睦まじく見えましたので、なんとか平和に身を引こうと考えた次第ですわ」

「きみに冤罪がかかることのどこが平和なのだ」

「アビーはもっと自分本位でもいいくらいなんだよ?」


 ラッセルの株ばかり上げるものかと言わんばかりに、フランシスが口を挟んだ。それも、ちゃっかり愛称で呼びかけることでラッセルを牽制している。

 不毛な争いを目の前にして光は笑いを堪えるのに必死だった。やはり、婚約者と兄の攻防を知らぬはアビゲイルばかりなのである。


 そのアビゲイルは王太子の言葉に顔を赤らめ、兄の言いようをあまり理解してはいなかった。フランシスの頑張りが主に不毛なわけだが、無駄と分かっても足掻きたくなるのが人間心理というもの。ことアビゲイルに関してはフランシスもただの人なのだった。


「やり方も問題だが、その前に。僕とヒカリが“仲睦まじい”? 誤解があるように聞こえるが」

「ごかい……おふたりは想い合っておられるのではなくて……?」

「あー……ややこしいから言っちゃいますね。あたしが好きなの、ウォルターさんなんです」


 突然の爆弾発言に、時間が止まったかのような静寂が訪れる。特に名前の挙がったウォルターと、王太子ルートだと思っていたアビゲイルは思考が完全に停止しているようで、復旧に時間がかかりそうだった。


「アビゲイルとウォルターが茫然自失状態だが……ヒカリ、それを言う必要はあったのか?」


 ラッセルはこの状況での発言という点で驚いたものの、元から知っていたことだったのですぐに我に返ったらしい。フランシスの方は、関わりがないからと口を出す気は微塵もなさそうだった。


「必要ないのに言いませんよー! あたしだって普通の女の子なんですからね? 恥ずかしくないわけないんですよ!?」


 羞恥のせいか光の声は自然、大きなものになる。当然、頬にも赤みがさしており、仕草も大きい。

 その刺激にふたりの意識が戻ってきた。光が冗談を言っているわけではないと感じ取ったウォルターまで顔を赤くしている。


「ヒカリ、さま……は、ウォルターが、すき……?」


 復唱してやっと認識したらしいアビゲイルは、ふたりと対照的に顔を青くした。親友の幸せを願って動いたつもりが、親友の想い人を奪ってしまっていたのだから無理もない。

 呼吸が止まっているのではと心配になるくらい硬直している。その癖、指先は小刻みに震えていた。


「アビゲイル様、大丈夫だから。息してください」


 光が穏やかな声音でアビゲイルに語りかける。指摘されて初めて呼吸が浅くなっていることに気付いたアビゲイルは、意識的に深く息を吸い込んだ。落ち着かなければいけない。

 アビゲイルのすべきことは何か、といえば光の幸せのためにウォルターを解放すること。それには“離縁を認めず”という条件をどうするかだが……解決の糸口は婚姻証明書の条件にあったではないか。


「ヒカリ様、それにウォルターも。心からお詫びいたしますわ。離縁は出来ませんけれど、死別後の再婚は禁じられていなかったと」

「お嬢様!」


 自害をほのめかしたアビゲイルをいち早く止めたのは、渦中のウォルターだった。口を出す機会を失った王太子と兄は怒りすら感じさせる神妙な面持ちでアビゲイルを見つめている。ザラも、悲痛な瞳でアビゲイルに否を訴えていた。


「あなたが死んじまったら、俺たちは誰に忠誠を誓ったらいいんですか……!」

「ウォルター、言葉」

「っごめん」


 感情的になるあまり、少し砕けた口調が出てしまったウォルターをザラがたしなめた。

 そのおかげで我に返ったウォルターは、言葉を選ぶためにか考え込んでしまう。その後を引き継ぐ形で、ゆっくりとザラが話し始めた。


「お嬢様、バンフィールド家の使用人、特に若年者たちはあなたに救われた者ばかりなのです。ご自分の命をそんな風に使おうとなさらないで」

「お嬢様は人一倍責任感が強い方だと、嫌というほど存じています。だからこそ、ラッセル殿下の婚約者として他の方法を探すべきだと僕は思うのですが、お嬢様はどうですか」


 使用人ふたりに諫められて、アビゲイルが逡巡し始める。

 過度の過ちは命を以て償われるべきという考え方は、日本でもこの世界でもあるものだ。とはいえ、望まれていない死はただの逃げではないのか。けれど、本当にこの死は望まれていないと考えていいのか。ただの優しさではないのか――

 アビゲイルの失敗は命をかけるほどのものではないと皆が思っていた。ここでも、気がつかないのは本人ばかりなのである。


「そう、かもしれませんけれど……」

「あーちゃん」


 唐突に、光が声を上げた。日本で親友を呼んでいたのと同じ声、同じ音で。


「な、ぜ……ひー、ちゃ」

「皆さんアビゲイル様に言いたいこといっぱいあると思うんですけど、ちょっとふたりで話させてくださいね?」


 席を立った光がアビゲイルの手を引いて部屋の隅、執務机のそばまで移動した。本当は部屋を移りたかったのだが、そうすると全員付いてきそうな気配があったため光が妥協したのである。

 貴族が通う学園の生徒会室なのだ、日本の高校と比べるととんでもない広さがあった。ティータイム用のテーブルと執務机との間には盗み聞きが出来ないくらいの距離はあるので、おかしな話をしても問題はない。


「やっぱり、あーちゃんだった」


 光としては抱きつきたかったところなのだが、人の目が邪魔なので我慢した。嬉しくて嬉しくてつい口角が上がってしまう。

 言葉の意味を飲み込むのに少々手間取ったらしいアビゲイルが、少しの間沈黙したあと、眉間にしわを寄せて半ば睨むように光を見つめた。


「……鎌をかけたんですの?」

「あたしの能力だとね、転生者っていうのは分かるんだけど誰かまで分かんなくて。あーちゃん、考えるとき耳たぶ揉んでたでしょ? アビゲイル様もひとりのときやってて、もしかしたらなーって思ってたんだぁ。今日あたしへの好感度が爆上がりしてたからほぼ確信」


 びっくりする情報しかなかったために、アビゲイルは頭を抑えた。ひとつずつ処理していこう。


「……転生者が分かる能力?」

「うん、ゲームのステータスみたいな? 見たいなーって思うとその人の横に名前とか状態とかでるの。好感度もね。で、そのステータスに“転生者(記憶あり)”って今出てるよ。“断罪回避”とか“ウォルターの妻”とかも。面白いでしょ?」


 ゲームらしい能力といえばそうだが、なんとも便利なものである。人の名前を覚える必要がないというのは大変羨ましい。貴族社会において、それは垂涎の能力ではないだろうか。

 ともかく、光の持つ能力はアビゲイルの思った通り断罪イベントを崩す力を持っていたわけだ。崩れた今となってはどうでもいいことであるが。


「そうですわね、興味深い能力ですわ……それより、耳たぶ……?」

「あ、気付いてなかった? そりゃそっか、どう見ても無意識にやってたもんね。公爵令嬢様でもひとりになると油断しちゃうのかな? かわいいね!」


 馬鹿にしている響きは一切ないが、本気で言っているからこそ言われた側は照れてしまうタイプのやつである。

 アビゲイルは咳払いひとつで誤魔化すことを選んだ。光はずっと、にこにこしている。


「事情は分かりましたわ。なぜこんなタイミングでいう気になりましたの?」

「あーちゃんが“死ぬ”みたいなこというから。手っ取り早く止めようと思ったら、あたしがあーちゃんのこと知ってるって教えて、死んじゃダメって思ってもらおうかなって」


 確かに、親友を残して死んでしまうなんて、二度はいらないどころか一度もないならその方がいい。


「……わたくし、まんまとひーちゃんの策にはまりましたのね」

「そゆこと! 大丈夫、結婚なかったことに出来るから!」


 本日何度目かの思考停止に陥ったアビゲイルがたっぷり数秒固まったあと。


 ――それさえ教えてくださったらこんな時に“親友がこちらの正体を知っている”なんて衝撃の事実、知らせなくても良うございましたわよね!?


 光に対して心中で絶叫したのだった。

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