壁を這う生き物
TARO
第1話 壁を這う生き物
私の生まれ育った間ヶ津井町(仮名)は都心からだいぶ離れた郊外の住宅地です。そんなはずないのになぜか周囲から隔絶された印象を与えるような雰囲気を持っています。街の空気はどこか湿っていて黴臭く感じます。そこに住んでいる人々の口癖は
「ああイヤだ…イヤだ」です。この前なんか、上半身裸のおじさんが奇声を上げながら、自転車を手放し運転していました。おじさんは塗料工場の壁に激突しました。自転車は大破して、その傍らでおじさんは動かなくなりました。皆助けるでもなく、眉をひそめて通り過ぎました。
別の日、三揃いのスーツを着た小学生がランドセルを背負ってタバコをふかしていました。周りの友達とはしゃぎながら何やら相談しています。きっと誰かに悪さする気です。人々はうんざりしているのです。そのくせみんなこの街を離れようとしません。(私を含めて)
そんなこの街で私の身に起きた恐怖の出来事をこれからお話ししましょう。
月曜日
憂鬱な一日。朝から雨だった。派遣先の会社の受付業務。めったに客なんか来ない。座っていればお金がもらえる退屈な仕事。
今日給湯室で同僚の沙織から顔のシミのことをからかわれた。最悪。自分でも気付かなかった。後で確認したら、変な形のシミがうっすら頬に出来ていた。ファンデーションを工夫しなければならない。面倒。沙織とはもう口を聞かない。
火曜日
朝から仕事らしい仕事をほとんどせずに一日が終わった。帰宅して、マンションの部屋の鍵を開けると、よどんだ熱気を感じた。
私はクーラーのスイッチを付け、しばらくぼんやりしていた。すると、視界にうごめく何かを発見した。
私は身をすくめつつも、天井に何かがへばりついているのを見た。そしてそれは不意に落下した。
バシッ
と、思いのほか大きな音が部屋に響いた。ベッドに腰掛けていた私は思わず声を上げて、降ろしていた足をベッドの上に上げた。見ると、ヤモリが腹ばいになって動けなくなっていた。私は尻尾をティッシュでつまんで窓から捨てた。
水曜日
昨日、ティッシュ越しにつまんだヤモリの感触がまだ残っていて、ずっと嫌な気分で過ごした。沙織がこの前のことをわざとらしく謝ってきた。そして化粧をほめた。私は何でもないよ、と手を振ったが、生まれて初めて人を呪った。
木曜日
あのスーツ姿のランドセルを背負った子供と帰り際に目があった。顔を覚えられないといいけど。
エレベーターすらない、名ばかりのマンション。体力を使った記憶はないのに帰るとヘトヘトになってる。ドアを開けるとこの熱気。ほんとイヤになる。
クーラーの真下で頭を冷やす。開放感を味わう。
バシッ
大きな音がして我に帰った。まただ。私は恐る恐る床を見た。落ちたあたりにそれはあった。床にべったりとくっついている。動かないので、死んだと思い、私は近づいた。
? 私は目の当たりにしたものをうまく脳で処理できなくて困惑した。
人だった。小さい裸の人間が床にうつぶせに倒れていた。10cmほどの人間の死体が床に無残な姿をさらしていた。次第に体液が広がってゆく。頭の前方には脳漿のようなものが飛び散っていた。私は早急に対処する必要性を感じた。このままでは床に染みが残るからだ。
(うわーきもちわるーい)と思いながらティシュを何重にもして死体をつまんだ。恐る恐るなるべく感触が伝わらないようにしたので、手元が狂い、下に落とした。その時仰向けになって落ちたそれを見てしまい、あまりのおぞましさに私は気絶しそうになった。叩き潰されぐしゃぐしゃになった人の顔を見てしまったからだ。
とにかくさっさと再度つまんで、ごみ箱の中に放り込み、それから床の掃除をしなければならない。この時点で、私は事態の異様さよりもこんな目にあわされることに怒りを覚えていた。
金曜日
寝不足のまま翌日目覚めると、私はごみ箱の中身を恐る恐る確認した。ボールペンの柄でかき混ぜてみたが、それらしいものはなかった。もう、気が抜けてしまって、このまま寝込みたい気分だったが、会社に行かなければならない。
そういえば、沙織はここ二日休んでいる。お陰で彼女の分の仕事もこなさなくてはならない。とはいえ大した量ではないのだけれど。
帰り、ランニングに半ズボンの子供が階段を塞いでいた。私は跨ぐようにしてやり過ごしたが、振り返ったら死ぬほど睨まれた。
不愉快な日常生活が続く。いったいいつまでこんな感じなんだろう? ドアを開けると熱風。しばらくベッドに腰かけうなだれる。ふと気配がして、私はまた天井にうごめく何かに気づいた。バシッ
私は同じ清掃作業を繰り返さなければならなかった。
土曜日
翌朝、やっぱりそれは消えていた。
その夜、二度あることは三度ある、と私はあたりを付けて、出現する時間と現れる場所を見定め、少し前から待っていた。天井に目を向けていたら、壁に動くものを発見した。小さな裸の人間が天井に向かってよじ登っていた。私は注意深く観察することにした。それは裸の中年のおじさんだった。
どういう原理か壁をよじ登ってる。私が注視していることなどまるで気付かず、一心不乱。やがて、天井に到達して、そのまま天井を這いつくばって行く。壁と違って、天井はかなり辛そうだった。何度か、手や足が一瞬離れそうになり、力を振り絞っているのか、全身を震わせていた。そして、私がアッと思っている間に墜落した。人間の体は脆い。大きさに比例して、それは助かる高さではなかった。
おじさんの死体を片付けるのも、掃除するのも、私は慣れっこになっていった。けれど、同じところに正確に落下するので、そこだけ床の色が変色してきたような気がした。何とかしないといけないと思った私は床を拭きながら、ある考えが浮かんだ。
日曜日
私は落下地点に水を張ったバケツを置いた。そして、時間が来るのを待った。這いつくばっているところを捕まえてしまおうとも考えたが、想像するだけで寒気がしてやめた。小さいおじさんは私に気づいていない。コミュニケーションなどもってのほか。
ややあって、おじさんは出現し、壁から天井に向かって這って行った。そして落下した。
ビシャッ
という大きな音と、水しぶきを上げた。私は急いで覗き込んだ。おじさんはうつぶせのまましばらく浮かんで、そしてゆっくり沈んで行った。そしてそのまま消えてしまった。私はいい方法を見つけた、と思いながら、意気揚々とバケツの水を風呂場に捨てに行った。しかし、風呂場に入ってすぐ、私は言葉を失った。
そこには尻を突き出した見知らぬおっさんが湯舟に浮かんでいた。
「そういうことか…」と思わず私はつぶやいた。
(どうしよう…)
そんなわけで、私は途方に暮れてしまったのです。私が体験する奇妙な体験の数々は、ここから始まるのでした。
壁を這う生き物 了
壁を這う生き物 TARO @taro2791
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