赤の花嫁

倉橋玲

赤の花嫁

 白色病はくしきびょう、という奇病がある。

 罹患すると徐々に色を失い、全身が白に染まるという病で、この白色病患者のことを『白無垢』と呼ぶ。

 どうして白無垢と呼ぶのかというと、女性にしか発症しない上、白に染まりきった後の罹患者が何かの色に触れると、触れた部分がその色に染まるからだ。そしてこの状態のことを、『嫁入り時』と呼ぶ。あなた色に染まる、という意味と掛けているらしい。

 さて、この病だが、色素を失う影響で紫外線に弱くなりはするものの、それは他の色に染まりさえすれば解消されるし、重篤な合併症などもないので、健康被害はほとんどない。

 しかし、白色病に罹患した女性は皆、恐怖に怯えることになる。その理由は単純だ。

 白無垢は、高く売れるのである。

 肌も、髪も、瞳も。嫁入り時以降、何色にも侵されずに純白が保たれた部位は、その美しさと珍しさから、非常に高い値がつく。

 特に白無垢の瞳は、物理的に触れた色ではなく、嫁入り時になってから最初に見た色に染まるという特殊性から、一際高い値段でやり取りされていた。

 そんな、嫁入り時を迎えればどんな色にでも染まってしまう白無垢だが、ひとつだけ例外となる色があった。

 白だ。

 白無垢が染まるのは白以外の色だけで、白に触れた部位が白に固定されることはない。


 だからこそ、こんな部屋おりが作られたのだ。


 白一色に染まった狭い部屋は、何度見ても閉塞感で息が詰まる。

 白無垢の売買を専門とする組織の施設内にあるこの部屋は、白無垢を染めないために用意された、白無垢専用の部屋だ。

 そして自分は、白無垢の世話役として組織に飼われている。

 嫁入り時を迎えた白無垢は、混じりけのない白一色を纏った存在で、この状態の白無垢は最も価値が高い。

 だが残念なことに、白無垢は大元の売り手――大概はその親だ――の手を離れる時点で、既にいくつかの色に侵されていることが殆どだ。

 というのも、大抵の場合、嫁入り時を迎えてすぐに、売られるのを拒もうとした白無垢が、自ら他の色に染まってしまうのである。

 白無垢を殺せば、他の色に染まるという現象を食い止めることができるが、白無垢の白は死ぬとくすんでしまい、値がかなり落ちるため、その手段を取る者はあまりいない。

 また、よしんば生きた状態の純白の白無垢が手に入ったとしても、この状態の白無垢は簡単に他の色に染まってしまうため、その白を保つのは非常に困難だ。故に、純白の白無垢を売ることは、殆ど不可能に近い。

 そこで介入するのが、自分が属しているこの組織である。組織はなんでも、唯一、白無垢の白をその死後も保つ技術を有しているそうで、買い手が後を絶たないらしいのだ。

 だが実のところ、自分はあまり詳しく組織のことを知っているわけではない。なんと言っても自分は下っ端だ。組織について知っているのは、仕事上必要のある情報と、上司の話から窺えた少しの事実だけだった。

 だが、それで困ったことはない。自分に課せられているのは、この白い檻の整備と、仕入れから出荷までの間の白無垢の世話をすることだけなのだから。

 いつも通り、部屋の前で服装の点検をする。白無垢がいない今は必要のない行為だが、意識付けることが大切なのだ。白い面と、白一色の上下、白い靴に、白い手袋。

 そして部屋に入ってまず、掃除に取り掛かる。昔と違い、部屋と同化していくような変な気分になることこそなくなったが、それでも、窓ひとつない白に圧迫されるような閉塞感は拭えなかった。

 自分の日常はこんな風に、掃除と洗濯と、白い部屋の設備の点検で過ぎていく。耳に挟んだ話だと、ここ以外にも同じような施設が、いくつか存在するらしい。だが、長らくこの施設の外に出たことがない身では、いまいちピンと来なかった。

 そんな環境だが、特に不満はない。自由か否かで言えば圧倒的に不自由だろうが、食う寝るに困らず暮らせるのは有難かった。親に放棄された自分だが、ここならば、仕事をこなせている内は棄てられずに済むだろう。

 監獄めいたこの施設と、たまに顔を見る上司と、小さな自室に、白い部屋おり

 それで世界は完結していて、それが全てだと言って良かった。

 そう、彼女がやって来るまでは。




 その日の朝、暫くぶりに顔を見せた上司は、開口一番に、花嫁修業が始まるぞ、と言った。それは上司独特の言い回しで、白無垢がやって来るということだった。

 白無垢自体は、昨夜の内に部屋に入れられたという。上司の話を聞きながら、頭の中を白無垢不在時の業務から白無垢在住時の業務に切り替え、やるべきことを組み立てる。締めに上司が、丁重に、と言ったのに頷いて、白い部屋に向かった。

 真っ白な扉の前に立ち、服装を確認してからノックをする。大抵は返事などないため、反応を待たずにノブに手を掛けたのだが、予想に反し、扉の向こうから軽やかな声が返ってきた。

 ノブを回す手が思わず止まる。気のせい、だろうか。今度はたっぷりの間を置いて、そっと扉を開けた。

 調度品の少ない真白い部屋の中では、白い鎖と足枷で捕らわれた少女がひとり、隅のベッドに座ってこちらへと顔を向けていた。

 白無垢の両の目は白い拘束具で塞がれているから、恐らく先ほどのノックの音に反応して、こちらを向いたのだろう。

 ほとんど全身が白い白無垢だったが、唯一その長い髪だけが黒色をしていた。だがこの黒色、染まったわけではないらしい。白無垢というのは基本的に、罹患から一週間以内に嫁入り時を迎えるものなのだが、この白無垢は罹患から半月経ってなお、未だに嫁入り時を迎えていない、大層稀有な存在なのだと、上司が言っていた。

 だが、そんなことは関係ない。相手がどんな白無垢でも、自分は自分の仕事をこなすだけだ。とにかくまずは、この白無垢にここでの生活の説明をしなくてはならない。

 そう思って口を開こうとしたところで、

「あの、こんにちは。さっきの人、ですか?」

 白無垢が口元に笑みを刷いてそう言った。その柔らかな声音に、喉まで出かかっていた言葉が残らず掻き消える。

 今までここに運ばれてきた白無垢は、どれもこれも怒っていた。または怯えていた。あるいは憎んでいた。

 その感情の対象は、自身を売り飛ばした存在であったり、買い取った組織であったり、運命そのものであったり、と様々だったが、何にせよ、白無垢を商品扱いしている側の人間である自分は、白無垢にとっては敵である。

 ところが目の前の白無垢の声からは、そういった負の感情は全く読み取れなかった。それどころか、笑っている。作ったもの、にしては雰囲気が落ち着いていて、穏やかに見えた。

 思わず面の下で困惑の表情を浮かべたが、目隠しをされている白無垢は当然気づかない。呑気に首を傾げ、もしかしてこんばんはですか、などと抜かしている。

「あの……? ええと、どうしたんですか? もしかして、具合、悪いんですか?」

 白無垢が立ち上がり、こちらへ向かって歩き出した。だが、足枷に繋がれた鎖は短く、狭い部屋の半ばまで来たところで限界が来た。そのまま鎖に引っ張られて転びそうになった白無垢の身体を、慌てて支える。白無垢は血液も肉も白いから、怪我をしたからといって何かの色に染まるようなことはないし、そもそも嫁入り時前なのだから、そこまで神経質になることはない。しかし、キズモノにしたという時点で商品価値に影響が出るとしたら、待ち受けているのは管理不足を責める折檻だ。それは避けたい。

 何事もなかったことに胸を撫で下ろしつつ、すぐに身体を離し、白無垢をベッドに戻す。いくら染まらないと判っていても、汚してしまいそうであまり触れたくはないのだ。

「ご、ごめんなさい……、あんまり動けないんですね、これ。あの、怪我とかしてませんか?」

 座った白無垢が恐縮し切ったようにそう言うものだから、なんだか変に気が抜けた。

 溜息を飲み込んで、代わりに必要なことを手短に伝える。足首を捕らえる鎖は短いから、食事等は全て自分が運び、場合によっては食べさせること。トイレは向かって左の壁沿いにドアがあるが、使用する際に説明するので声をかけること。娯楽の類は許可が出ることもあるが、基本は諦めること。直接管理に携わるのは殆ど自分だけであり、用事があれば枕元のボタンで呼び出せること。それから最も重要な事として、ここに来た以上は何をしても逃げられないので、できるだけ大人しくしていること。

 この伝達事項を伝えると、大概は激昂される。だから面倒臭くて、あまり好きではないのだが。

「あ、はい。判りました」

 しかしこの白無垢はひとつ頷いて、ただそれだけで済ませてしまった。

 なんなんだ、と思わず言いそうになり、面の下で唇を噛む。無駄口は必要ない。

「あの、お世話してくれるんですよね? 娯楽品は目隠しがあるので要らないですけど、代わりに、時間があるときはお話に付き合ってくれませんか?」

 そう言って白無垢は、ちょこりと首を傾げた。自分も今度は溜め息を呑み込まず、盛大に吐き出して無視した。




 そんな出会いを果たした白無垢は、なかなか嫁入り時を迎えない。滞在期間も他に例を見ないほどに長くなり、いくら無視しても毎日めげずに話しかけて来る白無垢に、とうとうこちらが根負けした。

 とはいえ大した話をする訳でもない。自分は学がないから話せることは少ないし、話したいこともない。白無垢だとて、部屋に閉じ込められっぱなしでは話題も何もないだろうに、好きな食べ物やら白無垢になる前の生活やらと、話が尽きる様子はなかった。

 自分が請われて話すことは外の天気くらいで、それでも白無垢は楽しそうにしている。こんなやり取りが片手の指では数えられなくなった頃、ついに耐え切れず自分は問うてしまった。どういうつもりだと。何故笑っていられるのかと。

 奇病に罹り、物として扱われ、売り飛ばされる。全く以て理不尽だ。それが何故平常でいられる。

 言ってしまってから口が滑ったと思ったが、もう遅い。ぽかんと惚けたような白無垢に、居心地の悪さから目を逸らしたところで、白無垢が口を開いた。

「私、感謝しているんです」

 この病気について、と言う白無垢の口調は真っ直ぐで、そこに嘘があるようには思えない。

「あなたの言う通り、私に起こっていることは確かに理不尽かもしれませんけど。でも、本当に感謝しているんです。私ずっと、どうすれば役に立てるだろうって思っていたから」

 白無垢へと視線を戻せば、その顔はこちらを向いていた。隠された目には何も映っていないはずだ。それなのに不思議と、心の底を見透かされるような感覚がした。

「両親を亡くした私を引き取ってくれた叔父夫婦が、私を疎ましく思っていることは知っていました。それでも、私を優しく育ててくれました。そんな叔父さんたちに、何か返してあげたかったんです。白無垢って、とっても高く売れるんでしょう? 多分、私に使ってくれた分のお金は、取り戻せましたよね」

 それが凄く、嬉しいんです。

 言いながら、白無垢が自身の服の袖を捲り上げた。白色病特有の、真っ白な細腕が晒される。

「こんなに綺麗な身体になって、お世話になった人に恩返しもできて、死んだ後も私の身体が役に立つんでしょう? 私、幸せだなと思うんです」

 そして白無垢は笑みを深めた。本当に、……本当に、幸せそうに。

 死にたいのか、と尋ねる声は、僅かに震えてしまった。それに気づいているのかいないのか、白無垢は首を横に振り、そういう訳ではないと言う。

 ただ、恩返しできることが、死後も人の役に立てることが、嬉しいだけだと。死ぬことはきっと怖いが、それよりもずっと、幸福を感じるのだと。

 ぞわりと、身体中に鳥肌が立った。

 怖気、ではない。ざわざわと胸の奥底が震えるような心地は、そんな不快なものではない。

 そう、自分はそのとき、確かに感動していた。

 こんなに美しいものがあるのだと、心が歓喜に震えたのだ。


 この少女は、今までの白無垢のどれとも違い、魂までもが美しい。




 少女の真の美しさに気づいてからは、できる限りの時間を彼女の為に使うようになった。

 毎日の掃除や食事の時間以外にも、空いた時間には白い部屋に足を運んで、少女の話し相手になる。だからと言って急に面白い話が思いつくわけもなく、相変わらず天気の話やら、ひねり出して上司の話くらいしかできないが、それでも彼女は嬉しそうに話を聞いてくれた。

 彼女と共にあることで、楽しいだとか、嬉しいだとか、そういう気持ちを思い出す。胸の内が暖かくなるようなこの感覚は、幸福と称されるものだ。

 閉塞感が迫ってくるような白い部屋も、彼女がいるだけで、宝石箱のようにすら思えた。彼女と出会う前と後とで、別の人物に生まれ変わったと言ってもいいくらい、心が満たされていた。

 こんなにも幸せなのは、きっと初めてだ。

 ああ、いつまでもこの時間が続けばいいのに。

 ……とは、思えなかったけれど。

 毛先からじんわりと白に染まり始めている少女の黒髪を見て、そう思う。

 彼女は必ずここを出ていく。その明確な証を目の当たりにしてなお夢を見ていられるほど、幼くは在れなかった。

 そして、彼女の髪が僅かな黒を残すだけになった頃、上司がひょっこりと現れて告げたのだ。

 嫁入り先が決まったぞ、と。




 実は、嫁入り先自体は少し前から決まっていたらしい。ただ、先方の迎え入れ準備に時間を要したため、連絡が今になったのだそうだ。

 曰く、少女を買う権利を得たどこぞの金持ちは、稀少な白無垢を生きたまま囲おうと、屋敷の離れに一室、白を穢さないための大きな白い部屋を用意したのだという。

 もしも少女が死にそうになった暁には、また金を払ってこの組織で色褪せないように加工してもらい、今度は剥製として家に飾りたいという意向なのだと、上司はいつものように淡々と説明した。

 自分も同じように、淡々と少女の状態を報告する。恐らくはもう明日、明後日には嫁入り時を迎えるだろうと伝えれば、上司は丁度良いと機嫌良く笑い、明日引き渡す約束になっているのだと言った。

 急な話だが、判りきっていたことだったからか、あまり衝撃はなかった。ただ、ああ、もうなのかと、ひたひたと心を埋めていく何かがあった。

 何とも言えない気持ちを抱えて少女にこの話を伝えると、彼女は少し驚いた後、判りましたと頷いた。

「私を買った人、どんな人なのかなぁ」

 判らないが、少なくとも、乱暴をされることはないはずだ。大金を払って買った美を損ねるような真似はしないだろう。

 そう言うと、少女はそうだと良いなと笑った。いつものように、不安のひとつも滲ませない微笑みだった。それが強がりでもなんでもないことは知っている。彼女は本気で、心から己の運命を受け入れている。自身が他に望まれ、それに応えられることを、喜んでいるのだ。

 嫌だな、と思った。そう思った自分に遅れて気がついて、驚き、すぐに納得する。胸を浸していくものは、悲しみだ。そしてそれに気づいてしまったことで、もっと悲しくなった。

 悲しいと思っているのは自分だけだと、判ってしまったから。

 だから、多分、そう、何かを残したかったのだと思う。

 彼女に。何でもいいから、何かを。

 それだけで何か報われるような気がした。実際何がどう報われるのかまでは、判らなかったけれど。


 そんな思いで、こうして夜更けに白い部屋を訪れたのだ。


 いつも通り白い衣装を身に纏って扉を開ければ、少女はベッドの上で身体を起こしていた。もう遅い時間で、いつもなら寝ているはずだが、きっと緊張で眠れなかったのだろう。

 そっと電気を点けると、白く美しい姿が光に照らされる。未だにこちらに気づかない彼女に近付けば、その輝かんばかりの美しさがより一層伝わるようだった。

 昼間にはまだ黒の見えた彼女の髪は、今や一片の混じりもない白になっている。見立て通りだ。

 嫁入り時である。

 ぼんやりとしている少女に、そっと声をかけた。

「ひぁっ! ……あ、ああ、あなたか、びっくりした……。こんな夜中に、どうしたんですか?」

 至近距離からの声に肩を跳ねさせた彼女は、けれど声の主が自分であることに気づき、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。

 それを見ていると、自然と自分も笑うようになっていた。

 彼女は綺麗だ。見た目以上に、何よりも魂が、心が美しい。彼女の中身は、正に白く無垢な美しさを湛えている。

 だからきっと、受け入れてくれると信じていた。

 動かずに前を見ていて欲しい、と言うと、少女は首を傾げた。それはそうだ。前を見るも何も、目隠しをしている彼女には何も見えないのだから。けれど彼女は、大人しく従ってくれた。

 そんな彼女の後ろ頭に手を伸ばす。後頭部のところにある鍵穴に鍵を挿して回せば、かちん、と軽い音を立てて目隠しがずれ、落ちた。


――白、だ。


 瞳も何もかも美しい白となった目が、驚きに見開かれ、こちらを見つめている。それを真正面から見つめ返し、何にも覆われない少女の美しさに見入った。

 しかしその白は、端の方からじわりと侵食され、瞬く間に赤へと染まり切ってしまった。

 よく見慣れた色だ。鏡で毎日のように見る、自分の目と同じ色。

 もう二度と移ろわぬ赤が、少女の瞳を鮮やかに染めた。

 何が起きたのか判らないという顔で、少女は呆然としている。目的を果たし、顔を離したところで、彼女はようやく理解したらしい。白い顔から驚きが収束し、段々と落ち着いていくのが判る。鏡などないため、彼女自身が見ることは叶わないが、その目がどうなったのかは察しただろう。

 少女の視線がこちらへ向けられる。赤い瞳が見つめ合う。

 怒るだろうか。悲しむだろうか。はたまた拒絶が来るだろうか。

 果たして、

「……あなたって、そんな顔だったんですね」

 困り顔で、けれど確かに微笑みながら、少女はそう言った。そこに怒りや悲しみはなく、ただ、こちらを案じる心が垣間見える。そこにほんの僅か、喜びが見えた気がしたのは、流石に願望だろうか。

 判っていて、けれどやはり、安心した。

 ゆるされたのだ。

「あの、怒られないようにだけ、気をつけてくださいね」

 その言葉にしっかりと頷いて返し、外した目隠しを元の通りに戻す。大人しく目隠しを付けた少女は、そのままベッドに潜り込んだ。そんな彼女と、おやすみと挨拶を交わし合って、自分も自室に戻る。

 目を覚ましたのはいつもの時間で、厨房に向かうと上司がコーヒーを飲んでいるところだった。

 上司がいる、ということは、もうきっと朝早い内に出荷を終えたのだろう。その考えに違わず、上司はこちらに目を向けると、通常業務に戻れとだけ言った。返事をして、頭を白無垢不在の業務仕様に切り替える。

 簡素な朝食を終え、掃除道具を持って白い部屋に向かう。部屋の前で服装を確認し、扉を開ければ、当然ながらそこには誰も居なかった。僅かに乱れたシーツが、そこに今朝まで彼女が居たことを告げるのみだ。その僅かな痕跡も、これから行う掃除で跡形もなく消え去ることになる。

 一歩踏み入ると、宝石箱のよう、とすら思った部屋は、見事なくらい元通りで、窓のない白一色の閉塞感に、息が詰まる思いがした。

 もう二度とあの彼女に出会えることはなく、また単調な日々が続いていくのだろう。

 それを理解して、けれど、心が暗く沈むことはなかった。

 目を瞑れば、少女の赤い瞳を鮮やかに思い出すことができた。あの赤は白い目隠しに覆われ、彼女が死ぬそのときまで、明かされることはない。

 自分と彼女だけが知っているのだ、彼女の白が完全な無垢ではないことを。

 自分の色に染まった少女を思い、その甘美に心から笑う。


 ああ、彼女は“私の”花嫁だ。

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