3-4

 その週の金曜日、仕事終わりに酒でも飲もうと長谷川を誘った。体調不良は医者の言うとおり、ストレスによる自律神経の乱れである可能性が捨てきれない。酒でも飲めば多少のストレス発散になるのではないかと思った。

 夜八時に仙川駅前に集合し、駅の側にある大衆居酒屋に入った。

「今夜は河童のことは忘れて、パーッと飲もう」

 長谷川は一杯目から焼酎のロックを注文した。

 長谷川は酒が入るとよく喋った。

 大学時代はボランティアサークルに所属し、彼女とはそこで出会った、学生時代はサーフィンが趣味で、二人でしょっちゅう湘南まで出かけた等々、学生時代の思い出や恋人との馴れ初めについて、明るい調子で語ってくれた。僕はほとんど相づちを打つだけだった。

 しかし、言葉に詰まり、目を閉じて俯くことも多かった。ため息をこらえていることも多々ある。会社や仕事についてはほとんど話をしなかった。

「河童さえ取り憑かなければなぁ」

 ふいに、長谷川が言った。肩に手を置き、怠そうに目を閉じて首を回している。

 僕は鳥刺しに醤油をかけながら、慎重に訊ねた。

「本当なのかな?」

「どういうこと?」

 僕は鳥刺しを口に放り込んだ。それを飲み込んでから口を開いた。

「長谷川くんの前世が河童で、その霊が取り憑いているって言った占い師さ。信頼できる人なの?」

 長谷川は目をぱちくりし、不服そうに眉をひそめた。

「なんだよ、神市くん、信じないの?」

「いや、僕のモットーはね、疑わしきは信じるってものだから、だいたいのことは信じるんだよ。だから、長谷川くんが言っていることは信じるんだよ。そもそも長谷川くんが嘘をつく必要はないからね。でも、占い師だろう? それで金儲けをしているって言うんだから、どうもね。金が関わると、嘘をつく理由ができちゃうからさ」

 長谷川は腕を組み、口元を歪めた。

「雰囲気はあったんだけどね。それに安かったし」

「雰囲気だけじゃわからないからね。占い師は眉唾なのが多いから」

 長谷川は焼酎を一口飲み、少し考えてから、残りを一気に飲み干した。それから「うんうん」頷き、「じゃあ、もう一回行って、みてもらおう」と提案した。

 前世は河童だと告げられたのは一ヶ月以上も前のことなので、おそらく向こうはこちらの顔を覚えていない。初めてみてもらう体を装えば、本物でない限り同じ見立て、すなわち自分の前世が河童であると言うことはできないはずだ。

 長谷川は自信満々にそう説明し、「もしもまた占い師が僕の前世を河童だと言えば、そのときは神市くんも、その占い師を信じる気になるか?」と訊ねるので、僕はなるほどと思い、「信じる」と即答した。

 商店街を進み、ガールズバーのキャッチが立っている路地をまっすぐ行くと、紫色の四角い提灯をぶら下げた物置倉庫のような建物が建っている。傍に「占い・霊視 霊堂真作」と書かれた看板が掲げられている。

 窓もなにもない白いステンレス製の引き戸を横にスライドさせると、四帖ほどの空間に、着流し姿で右目に眼帯をした男性がひとり、長テーブルの向こうで座っていた。

 壁には、謎の記号が描かれた紙が無数に貼り付けられており、室内は青とも紫とも言えない寒色系の間接照明で照らされていた。薄暗くて占い師の顔ははっきりと見えないが、少なくとも若者ではなさそうだった。

「ようこそお越しくださいました。ささ、扉を閉めて、そこ、そこのイスにお掛けください」

 占い師が雰囲気とそぐわない営業マンじみた猫なで声で言う。

 テーブルの手前にイスが一脚置かれていた。とりあえず長谷川を座らせた。

「私が霊堂真作です。今日は、なにを霊視いたしましょう?」

「初めてなんですが」

 嘘をついている長谷川の声は上ずっていた。

「あ、初めてのお客様でしたか。それは本当に、ありがとうございます。私が当占いの館、館主、霊堂真作です」

「はい、さっき聞きました」

「うちはね、霊視でいろいろな悩みを解決するっていうコンセプトでやってましてね。ええ、私ね、霊能力がありまして。はい。前世から背後霊まで、さまざまなものを霊視できますが、料金は一律で千円ポッキリです。だから、なんでもおっしゃってください。できることであれば、千円でなんでもいたしますので」

 なんでも好きなことを占ってもらって千円ポッキリとは良心的である。

「同時に複数のことをみてもらうとかできますか?」

 僕は試しに訊いてみた。占い師は声の調子を変えずに「はい」と答えた。

「同時に複数のことをみることも可能でございます。来館に対する料金ですので。千円でいくらでも、はい、霊視いたします」

「同時に二人みることは?」

「ええ、人数制限も設けておりません。同時に来ていただければ、それはもう、一回分の料金で結構でございます」

 どうやら金儲け主義の占い師ではないらしい。

 僕は俄然、霊堂真作に親近感を抱いた。

「それで、まずはなにを霊視いたしましょうか」

 僕は長谷川の肩を叩き、早速本題に入るよう合図を出した。長谷川は緊張したように背筋を伸ばして口を開いた。

「あの、僕の前世を、知りたいんですけど」

「ああ、前世でございますね。前世を知るだけでよろしいんですか?」

「ええ、とりあえずは」

「承知いたしました」

 霊堂はこともなげに言うと、肩甲骨をほぐすように両肩を上下に回し、

「あぶだらぽん!」

「はい?」

「あ、これは、霊視をするときの呪文のようなものですので、お気になさらず」

 霊堂は改めて肩を上下に揺らした。

「あんあんぶらぶら!」

「さっきと違う……」

「なんだっていいんです」

 霊堂は笑いながら言って、今度はただ「えい!」とだけ叫び、体を前に乗り出して、眼帯をしていない左目で長谷川の顔を睨みつけた。長谷川は若干顎を引いて、その顔をぼんやり眺めていた。

「はい。見えました」

 少しして霊堂が姿勢をただし、朗らかに言った。

「あなた、かなり珍しい前世ですよ」

 今度は長谷川が前のめりになった。

「僕の前世はなんですか?」

「河童です」

 長谷川が慌てて僕の顔を見た。僕は驚いたのと同時に、喜びを感じた。

「河童って本当に河童ですか?」

 長谷川が霊堂へ顔を向け直して訊ねる。霊堂は笑う。

「ええ、私が見る限り、あれは河童でしょうね。そういえばいつだったか、前世が河童の人、ほかにいたな」

「河童って、どんな河童ですか? なにか、この世に未練を残したとか、わかりますか? 例えば、なにかしたいことがあるとか」

 長谷川は夢中になって詰め寄った。霊堂は困ったように「え? え?」と声を漏らした。

「その河童が求めていることがなにか、知りたいんです」

「河童が求めること? ううん。確かになにか、あなたに要求しているような仕草をしてはいましたけどね、なにを求めているかまでは、ちょっとわかりかねますね」

「霊視できないんですか?」

「いや、霊視はできますよ。事実、私にはその河童が見えていますからね。ただ、河童の言葉はわかりませんから。前世が人間、特に日本人なら、古い人間でもある程度言葉が通じますから、もっと詳しいところまでわかることもあるんですけど、ねぇ、お客さん。ピェーとかキェーとか言うだけの河童と会話なんてできませんよ」

 霊堂が目閉じた。どうやら瞼の裏に、霊視した河童の姿が見えているらしい。

「そもそも、河童って言い切ることができるかどうかも、ちょっと自信ないくらいなんですよ。いや、人間なら、『俺はどこどこのなに兵衛だ』とかって自己紹介してもらうこともできますけど、河童はなにも言いませんからね。ただ見た目が河童っぽいから、河童だと言っているだけで」

「どんな見た目なんですか?」

 僕は気になって訊ねた。

「ええ、見た目はもう、素人目でも河童だって思えるようなものですよ。頭にお皿があって、甲羅を背負ってて、クチバシがあって、二本脚で立っていて、手に、キュウリみたいなものも持ってますしね」

「キュウリ、みたいなもの?」

「ええ、いや実際のところなんなのかは判然としませんけどね。なにか、うにうにしているものを持ってます。言われてみれば、キュウリにしてはうにうにしてますね。キュウリじゃないのかな? なにしろ確かめることができませんから」

「ほかに、なにかわかることありますか?」

「そうですね……なかなか川に入ろうとしませんね。仲間の河童は川に入っていますが、お客様の前世である個体は、川に入ろうというそぶりを見せませんね」

「川に入らない?」

「ええ。周囲の河童が白い目で彼を見ているので、嫌われているのかもしれません」

「どうにか、その河童が求めていることだけでも確かめることはできませんか? 水浴びをしたいとか、キュウリをたくさん食いたいとか」

 長谷川がすがるように言っても、霊堂は首を縦に振らなかった。

「いやぁ、難しいですよ。私が嘘を並べ立てる、詐欺まがいの占いをやってるのであれば、お客様の信頼を得るために、なんでもかんでもできるって言うかもしれませんけどね。いかんせん、私の力は本物ですから。できることとできないことがもう、はっきりしちゃってるんですよ。できれば確認してあげたいですけども、さすがに河童の言葉はわかりませんからねぇ……おそらく、いじめられて川に入れないから、どうにかして川に入りたいなぁとか思ってるんじゃないですかねぇ。定かではないですが」

 それ以上言っても、河童がなにを求めているか知ることはできそうになかった。

 それから僕らは、その河童が現在、長谷川に取り憑いていること、長谷川の体調不良がその河童の霊によるものであることなどを霊視で確認してもらい、霊堂のもとを後にした。

 いろいろみてもらったが、料金は本当に千円ポッキリだった。

「前回みてもらったときと、ほとんど言っていることは同じだった。やっぱりあの占い師は本物なんだよ。本物なんだよ、本物なんだよ!」

 家へ帰る道中、長谷川は弾むような調子で繰り返した。

 僕も、同じ意見だった。

 霊堂真作からは人を騙そうとするような邪心のようなものが一切感じられなかったし、実際、約束の料金以上の金をせしめることをしなかった。

 よくよく考えてみれば、嘘をつくなら、河童という明らかに怪しい答えを用意するはずがないのだ。

 あの男はおそらく、道楽で占いをしているのだろう。

「やっぱり水浴びをもっとしなくちゃダメなんだ。明日も仙川に入ろう」

 現実問題、長谷川の悩みはなにひとつ解決していないのだが、彼は、だいぶ飲んだアルコールの力も相まってか、すべてが解決したかのようにはしゃいでいた。

 ただ、僕にはひとつ、気になることがあった。

 霊堂はあくまで、「河童のようなもの」を霊視したに過ぎないという点だ。

 もしかすると、河童のように見えるだけで、河童ではないのかもしれない……。

「……ええい! なんにせよ河童だ!」

 僕はチラチラと揺れる疑念を酔狂の力でなぎ払い、ひとまずは、長谷川が前世の霊に取り憑かれていると確信を持てた今回の結果を喜ぶことにした。

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