[1-8]森の墓標
村の診療所は大きく荒らされてはおらず、医者も無事だったので、シャイルは開いた傷の手当てをしたあと、明くる朝まで休ませてもらうことになった。
ヴェルクもガフティを手伝って後始末に
自分でも気づかぬうちに結構な体力を消耗していたらしい。
ベッドに横たわってやわらかな毛布に包まれば、一気に眠気が押し寄せてきて、食事に起きた以外のほとんどを眠っていたように思う。気づけば新しい朝日が昇っていた。
† † †
この大陸に生きる六種族の民は、転生という
非物質的な存在ではあるが魂は不滅ではない。
肉体と魂は引き合うため、死後いつまでも身体が残っていると転生の妨げになる。大陸で火葬が主流となっているのには、こういった理由があるのだった。
朝食もそこそこにしてミスティアが森へ行くと言い出したのは、この事情が関係しているらしい。彼女は狩りの途中で金狼と
診療所へ様子を見にきたヴェルクとガフティが、無言で目配せし合っていたのが印象的だった。最初の日からもう五日ほど経過している。森には肉食の獣もおり、既に持ち去られたか、もっと酷いことになっている可能性も高い。
しかし、涙も見せず「迎えに行く」「自分でなければ場所がわからない」と主張するミスティアを前に、そんな指摘をできる者はいなかった。
最終的には、怪我の状態がひどいローウェルは医者の許可が降りず、ミスティアはガフティとヴェルクが同行するなら行ってもいい、ということになった。シャイルも望むなら連れていってくれるという。
自分とカミルとの関係性を考えれば迷ったが、金狼や狐が彼女を狙う可能性もある。狐に優位を取れて
地図上ではここも砦のあるダグラ森の一部、
「この森は温暖で土も豊かで……山菜も、果物も、きのこも、獲物になる動物もたくさんいて。ぼくはいつも二人と一緒に、この辺まで狩りに来てたんだよ」
「山の麓だから水源がいいんだろなァ。俺の頭も潤いそうだぜ」
「うん、そうかも。沢の水もすごくおいしいんだ」
「ほーぅ、その水で珈琲でも淹れたら美味そだなァ」
楽しげに見えてぎこちない会話を、ミスティアとガフティが交わしている。当時の状況についてはヴェルクも気になっているのだろうけれど、詳しく聞きだすのは
重なり合う梢の隙間からこぼれる陽射しは暖かく、鳴きかわす鳥や動物の声が葉ずれの音と混じって
村が火災を免れたとはいえ、移住は決定事項である。手練れの
肩に乗ったシャイルにわかるのは、彼の
素人目には同じく見える景色の中を進むにつれて、前ゆくミスティアの歩みが徐々に鈍くなる。翼の動きも段々強張ってきて、ついにはきゅうとすぼめられ、彼女は足を止めた。
「この、先なんだ」
「俺が見てくる。ガフ、周囲と後ろを警戒しててくれ」
「おゥよ」
少し急勾配になった道を越えると、視界が開けた。すぐ先は緩い下り坂で、沢が干上がった跡地に低木が侵蝕している。込み合った様子の窪地は向こう側もまた斜面になっており、道が見えた。ざっと見る限り、目を覆いたくなりそうな光景は見当たらない。
「何もないね、ヴェルク」
「…………いや。あれが見えるか、シャイル」
重く苦しげな息でヴェルクが答えた。促されるまま視線を巡らし、目を
シャイルが絶句している間にも、ヴェルクは足を早めてそちらへ向かい、斜面を降りると駆け寄った。真新しい白木の墓標に刻まれた名はなかったが、丁寧に押し固められた根元に折れた弓と折れていない弓が置いてある。
ヴェルクは何も言わず、それでもシャイルの身体にも伝わるほど身体を震わせながら、祈るように目を閉じて右手を胸に添えた。シャイルも
わずかな時間そうしてから、どちらからともなく斜面を登り、元来た道へ向かった。
言葉にできない感情が胸を満たしている。きっと、ヴェルクも同じだろう。この事実をミスティアにどう伝えたらいいのか、シャイルにはわからなかった。思いつかないまま、無言で前ゆくヴェルクに
急勾配の道に出ると、ミスティアがすぐにこちらを見た。細い眉を寄せ今にも泣きだしそうな
「大丈夫だ、行こうぜ」
「……うん!」
色の濃い大きな右手が、白くて小さな左手を掴む。導くように少女の手を取り、広い背中は迷う素振りも見せず斜面の向こうへ消えてゆく。ガフティの問うような視線に気づき、シャイルはどんな顔を向ければいいかわからぬままに、小さく笑って見せた。
「ガフ隊長、僕たちも行こう」
「了解だ」
意識的に、ゆっくり歩く。同行したのは自分含め三人だけれど、彼女を見守るにはそれですら過剰に思えて。坂の上に到達し、足を止める。ざっと見回し窪地を見たガフティは、おおよその状況を察したようだった。何も言わずシャイルの隣にしゃがみ込み、行儀悪く開いた両膝にそれぞれの肘を乗せて下方を眺めている。
二つの墓標を前にして、少女は翼を震わせ両手を握りしめていた。隣に立つヴェルクが、大きな手を彼女の小さな背に添えている。ここからでは二人の後ろ姿しか見えないが、しゃくりあげるような
「……どうして、どうして」
嗚咽が、痛切な叫びへ変わる。両翼が力なく垂れ下がり、ミスティアは両手で顔を覆って泣き崩れた。ヴェルクが隣で地に膝をつく。
「ぼくらを、人だと思うなら、どうして、食べようとするの」
「……そうだな」
「ぼくらは、鳥じゃない!」
「……ああ、その通りだ」
短いやり取りが胸を刺す。彼女の怒りは、悲しみは正当だ。本来、
喉の奥に
「ほらよゥ」
気怠げな声と同時に視界がばさりと塞がった。少しごわついて汗臭い、黒地のコート。肩をぐいと引き寄せられ、布地の上からあやすように背中を叩かれる。それで
自分の謝罪など意味がないとわかっているし、相手だって困るだろう。それでも、どうしようもなく誰かに
「……ごめんなさい、ごめん、なさい」
「よしよし、ごめんなさいができるのはイイ子だ。シャイルは良くやった、頑張った、だから俺が許してやらァ。ここで思いきり泣いたら、明日からは胸を張って戦えるな?」
「うん、……頑張る」
厚手の黒い布地に
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