[1-8]森の墓標


 村の診療所は大きく荒らされてはおらず、医者も無事だったので、シャイルは開いた傷の手当てをしたあと、明くる朝まで休ませてもらうことになった。

 ヴェルクもガフティを手伝って後始末に奔走ほんそうしており、状態のひどかったローウェルは既に手当てを受け奥の寝台で休んでいる。ミスティアも二晩ほどろくに眠っていないという話なので、大きな怪我こそないが医師判断で休養させることになった。


 自分でも気づかぬうちに結構な体力を消耗していたらしい。

 ベッドに横たわってやわらかな毛布に包まれば、一気に眠気が押し寄せてきて、食事に起きた以外のほとんどを眠っていたように思う。気づけば新しい朝日が昇っていた。



 † † †



 この大陸に生きる六種族の民は、転生ということわりにより同じ魂を抱いて世界を巡る。人が死ぬと魂は肉体から遊離し、精霊に導かれて地奥に住まう大地の精霊王ミッドガルドの元へと集められるのだ。そこで一定年数を眠り、記憶を白紙に返され、やがて新たな肉体を得て新しい生が始まるのだと、伝えられている。

 非物質的な存在ではあるが魂は不滅ではない。大地蛇ミッドガルドの元へ辿りつけずにさまよい歪んでしまえば正常な転生はできず、魂をらう性質のある魔物などにわれてしまえば転生自体ができなくなってしまう。

 肉体と魂は引き合うため、死後いつまでも身体が残っていると転生の妨げになる。大陸で火葬が主流となっているのには、こういった理由があるのだった。


 朝食もそこそこにしてミスティアが森へ行くと言い出したのは、この事情が関係しているらしい。彼女は狩りの途中で金狼と出会でくわし、襲われ、逃げたという。その際に同行していた狩人が二人――どちらもローウェルの幼馴染で男性――が彼女を庇って殺された。同日夜から襲撃も始まったので、遺体の回収と埋葬ができていないのだという。

 診療所へ様子を見にきたヴェルクとガフティが、無言で目配せし合っていたのが印象的だった。最初の日からもう五日ほど経過している。森には肉食の獣もおり、既に持ち去られたか、もっと酷いことになっている可能性も高い。

 しかし、涙も見せず「迎えに行く」「自分でなければ場所がわからない」と主張するミスティアを前に、そんな指摘をできる者はいなかった。


 最終的には、怪我の状態がひどいローウェルは医者の許可が降りず、ミスティアはガフティとヴェルクが同行するなら行ってもいい、ということになった。シャイルも望むなら連れていってくれるという。

 自分とカミルとの関係性を考えれば迷ったが、金狼や狐が彼女を狙う可能性もある。狐に優位を取れて空間転移テレポートが使えることを考えれば、同行するほうが良いと思えたので、蝙蝠こうもり姿でついていくことにした。

 地図上ではここも砦のあるダグラ森の一部、方に横たわるサグロス山脈域との境目だ。奥まで踏み入れば鬱蒼うっそうとした深い森だが、翼族ザナリールたちが狩りをする辺りの木々は枝も払われ、低木や下草も整えられていて、進むのは容易たやすかった。


「この森は温暖で土も豊かで……山菜も、果物も、きのこも、獲物になる動物もたくさんいて。ぼくはいつも二人と一緒に、この辺まで狩りに来てたんだよ」

「山の麓だから水源がいいんだろなァ。俺の頭も潤いそうだぜ」

「うん、そうかも。沢の水もすごくおいしいんだ」

「ほーぅ、その水で珈琲でも淹れたら美味そだなァ」


 楽しげに見えてぎこちない会話を、ミスティアとガフティが交わしている。当時の状況についてはヴェルクも気になっているのだろうけれど、詳しく聞きだすのは躊躇ためらわれた。自然と言葉少なになりながら、四人は森の道を進んでゆく。

 重なり合う梢の隙間からこぼれる陽射しは暖かく、鳴きかわす鳥や動物の声が葉ずれの音と混じって長閑のどかな空気をかもしだす。翼族ザナリールたちがこの森と、ここで得られる産物や獲物を深く愛していることは、他所よそ人であるシャイルにもわかった。


 村が火災を免れたとはいえ、移住は決定事項である。手練れの魔族ジェマは、見知った場所になら空間転移テレポートが可能だ。あの乱戦から逃れた者がいるとすれば、転移魔法が使えた魔族ジェマたちだろう。いつ襲われるともしれない場所に住み続けることはできない。すぐ前をゆく少女の美しい翼はバランスを取ろうとしてかせわしく動いており、ヴェルクは無言のままずっとその後ろ姿を見つめていた。

 肩に乗ったシャイルにわかるのは、彼の紫水晶アメジストを思わせる目がどこか思い詰めたようないろを宿していることと、湿り気ある森林の空気に薄められて甘だるい匂いが気にならないことくらいだ。ヴェルクが引き結んだ口の奥で何を思っているかなど、わかるはずもない。

 素人目には同じく見える景色の中を進むにつれて、前ゆくミスティアの歩みが徐々に鈍くなる。翼の動きも段々強張ってきて、ついにはきゅうとすぼめられ、彼女は足を止めた。


「この、先なんだ」

「俺が見てくる。ガフ、周囲と後ろを警戒しててくれ」

「おゥよ」


 剃髪頭スキンヘッドとラベンダー色の翼を追い越し、ヴェルクが素早く前に出た。待ち受けているかもしれない危険を警戒して、という体だが、二人とも状況次第ではミスティアにという心算こころづもりなのだろう。シャイルもヴェルクの服に爪を立て、眼前に広がるかもしれない惨状への覚悟を決めた。

 少し急勾配になった道を越えると、視界が開けた。すぐ先は緩い下り坂で、沢が干上がった跡地に低木が侵蝕している。込み合った様子の窪地は向こう側もまた斜面になっており、道が見えた。ざっと見る限り、目を覆いたくなりそうな光景は見当たらない。


「何もないね、ヴェルク」

「…………いや。あれが見えるか、シャイル」


 重く苦しげな息でヴェルクが答えた。促されるまま視線を巡らし、目をらす。窪地くぼちの一箇所に、低木や絡まった蔦や下草が払われ剥き出しになった地面が見える。こんもりとした二つの盛土それぞれに、細く長い棒が立てられていた。それが何を意味するか、なんて。

 シャイルが絶句している間にも、ヴェルクは足を早めてそちらへ向かい、斜面を降りると駆け寄った。真新しい白木の墓標に刻まれた名はなかったが、丁寧に押し固められた根元に折れた弓と折れていない弓が置いてある。

 ヴェルクは何も言わず、それでもシャイルの身体にも伝わるほど身体を震わせながら、祈るように目を閉じて右手を胸に添えた。シャイルもたまれず、そっと地面へ滑り降りてから人型に戻り、彼の隣で祈りを捧げる。

 わずかな時間そうしてから、どちらからともなく斜面を登り、元来た道へ向かった。


 言葉にできない感情が胸を満たしている。きっと、ヴェルクも同じだろう。この事実をミスティアにどう伝えたらいいのか、シャイルにはわからなかった。思いつかないまま、無言で前ゆくヴェルクにしたがう。

 急勾配の道に出ると、ミスティアがすぐにこちらを見た。細い眉を寄せ今にも泣きだしそうな表情かおをした少女は、それでもここで友を失った日から一度も泣いていないのだという。シャイルが何かを言う前にヴェルクが踏みだし、右手を差し伸べた。


「大丈夫だ、行こうぜ」

「……うん!」


 色の濃い大きな右手が、白くて小さな左手を掴む。導くように少女の手を取り、広い背中は迷う素振りも見せず斜面の向こうへ消えてゆく。ガフティの問うような視線に気づき、シャイルはどんな顔を向ければいいかわからぬままに、小さく笑って見せた。


「ガフ隊長、僕たちも行こう」

「了解だ」


 意識的に、ゆっくり歩く。同行したのは自分含め三人だけれど、彼女を見守るにはそれですら過剰に思えて。坂の上に到達し、足を止める。ざっと見回し窪地を見たガフティは、おおよその状況を察したようだった。何も言わずシャイルの隣にしゃがみ込み、行儀悪く開いた両膝にそれぞれの肘を乗せて下方を眺めている。

 二つの墓標を前にして、少女は翼を震わせ両手を握りしめていた。隣に立つヴェルクが、大きな手を彼女の小さな背に添えている。ここからでは二人の後ろ姿しか見えないが、しゃくりあげるような嗚咽おえつが葉ずれのざわめきに混じり、さえずる小鳥の声を遠ざけ、シャイルの胸を揺さぶった。


「……どうして、どうして」


 嗚咽が、痛切な叫びへ変わる。両翼が力なく垂れ下がり、ミスティアは両手で顔を覆って泣き崩れた。ヴェルクが隣で地に膝をつく。慟哭どうこくする少女に全身で寄り添って、彼女の心を受け止めるように。


「ぼくらを、だと思うなら、どうして、食べようとするの」

「……そうだな」

「ぼくらは、じゃない!」

「……ああ、その通りだ」


 短いやり取りが胸を刺す。彼女の怒りは、悲しみは正当だ。本来、魔族ジェマは人など食べずとも生命を維持できる。魔族ジェマもまた人であり、肉食を定められた鳥や獣ではないのだから。

 喉の奥にかたまりが詰まっているようで、苦しい。目が熱くて、視界が歪む。ヴェルクにすがって泣き叫ぶ少女を見るのがつらい。けれど、彼女をあんなふうに追い込んだのは兄が率いる勢力だ。ともに悲しむことも、いたむことも、烏滸おこがましいのではないだろうか。


「ほらよゥ」


 気怠げな声と同時に視界がばさりと塞がった。少しごわついて汗臭い、黒地のコート。肩をぐいと引き寄せられ、布地の上からあやすように背中を叩かれる。それでこらえていたものが決壊した。隊長の軍用コートに隠れ、シャイルは声を殺して泣いた。

 自分の謝罪など意味がないとわかっているし、相手だって困るだろう。それでも、どうしようもなく誰かにゆるしを請いたくて。


「……ごめんなさい、ごめん、なさい」

「よしよし、ごめんなさいができるのはイイ子だ。シャイルは良くやった、頑張った、だから俺が許してやらァ。ここで思いきり泣いたら、明日からは胸を張って戦えるな?」

「うん、……頑張る」


 厚手の黒い布地にさえぎられ、今なら誰も自分を見ていない。押し殺した声は低くこもり、森のざわめきにかき混ぜられ、向こうの二人に届くことはないだろう。そんな仮初めの穴蔵に心を安んじて、シャイルは少しの間ガフティのコートの中で泣き続けた。





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