[1-7]破壊の炎に心を寄せて


 世界には、全事象を支える柱として七体の精霊王が知られている。

 炎翼鳥フェニックス青海蛟リヴァイアサン風鱗竜トルネード大地蛇ミッドガルド世界樹ユグドラシル氷晶狼フェンリル、そして統括者ウラヌス。皆それぞれに自我を持ち務めを果たす世界の管理者たちであるが、人族へ積極的に関与することはない。かれらの役目は精霊力の源として世界を維持することだからだ。

 つまりヴェルクの言うように、顕現けんげんした炎翼鳥はその姿をかたどっただけでに過ぎないのだ。しかし翼族ザナリールの兄妹は、シャイルなら止められるかもしれないという。

 初級程度の炎魔法なら扱えるシャイルだが、本職は魔法使いではない。ローウェルは魔法職の中でも複数属性を使いこなせる、精霊使いエレメンタルマスターという系統なのだろう。魔法の技量だけでなく、精霊や魔法に関する知識も深いようだ。そんな彼がいうなら、試す価値はありそうだった。


「わかった。僕は何をすればいいかな」

「精霊と意思を通わせるのに言葉は必要ないんだ。君がいつもを効かせる時の要領で、炎翼鳥を見つめて、呼びかけてごらん」


 隣に立ったローウェルの手がシャイルの背に添えられる。言われた通りに炎翼鳥を見つめれば、長い首が揺らいだ。いかにも鳥らしい仕草で頭を傾け、真紅に輝く瞳でじっと見返してくる。話しかけねば、と焦燥がよぎった。


「炎の精霊王、フェニックス! 僕の声が聞こえる?」


 言葉は不要と言われたが、感覚が掴めず無理だった。声を上げて手を掲げれば、きらめく朱色のくちばしが開いて高く透き通る声が響く。波紋のように広がりゆく余韻に精霊たちが一層ざわめきたった。炎翼鳥が巨大な翼を羽ばたかせるたび、羽毛が散るようにあざやかな火の粉が舞いあがり、風に吹き流されてゆく。

 光が満ちた薄曇りの空を背に舞い揺らめく幻想の巨鳥は美しいが、不吉でもあった。あれが飛び立ち火の雨を降らせたら、村はあっという間に炎に包まれるだろう。


「駄目だよフェニックス、お願いだ! この村を焼くのはやめてくれ!」


 焦燥をそのまま言葉に込めて呼び掛ければ、炎翼鳥の目が鋭くなった。大型の鳥がするように上体を持ち上げ、激しく羽ばたく。甲高い鳴き声には苛立ちが込められているようで、シャイルは戸惑いローウェルに目をやった。翼族ザナリールの青年は何かを言いかけたところで、はっとしたように杖を掲げる。


「〈炎の盾よ〉」


 詠唱ともいえない短い文言だが、眼前に炎をまとった障壁が幻出げんしゅつした。直後、勢いよく飛んできた炎の塊が障壁に当たって弾け、細かな火の粉に変わって散ってゆく。驚いて炎翼鳥を見れば、流れ込んでくるのは怒りに似た感情で。

 どういうことかわからずシャイルは混乱する。それを見抜いたのか、傍らのローウェルは苦笑とともに呟いた。


「かれも苦しんでいるんだ。おのれを召喚しかたちを与えた者の命令と、それに相反するとの狭間で」

「でも、あれは炎の精霊王……じゃないよね?」

「あの姿は仮初めだね。しかし魔力の塊なら意思はないと言えるだろうか?」


 それは、と答えようとしたところで、またも炎弾が飛んできた。どうやら問答している暇はないらしい。ローウェルの言葉を自分なりに理解しようと、シャイルは炎の羽毛をまき散らしている炎翼鳥に意識を凝らす。

 カミルによって召喚され、村とこの場にいる人々を焼き尽くすよう命令された、炎の精霊力。ただの魔力の塊――ではないのかもしれない。そうでなければ、ひと鳴きごとに胸をざわつかせる悲しみに似た感情の理由がわからないからだ。


(炎翼鳥……僕に声を、想いを聞かせて欲しい。なぜ、悲しんでいるのか。君の怒りは、誰に向けられているのか)

「〈氷晶ひしょうの乙女よ、とばりを〉」


 祈るように話しかけたシャイルの隣で、ローウェルが短い呼びかけを重ねさらなる魔法を展開する。吹く風が冷たい湿り気を帯び、濃い霧が湧きたって、羽ばたきのたび散らばる火の粉を包んでは消してゆく。炎翼鳥が鳴き声をあげ、ますます激しく羽ばたいた。


「延焼はさせない。こちらは任せていいよ」

「わかった」


 強い確言に短く信頼を返す。彼が魔法を扱うさまは、シャイルが今まで見てきたどの魔法使いとも違っていた。精霊を使役するため構築された魔法語ルーンではない、友人に話しかけるような囁きだ。

 彼にならうにはどうしたらいいだろう。息を整え、もう一度炎翼鳥を見る。流れ込む意思をとして受け入れ、耳を傾けるつもりで目を閉じた。

 炎の中にいると錯覚するほど、弾ける火の音が近い。熱さはなく、煙の匂いもなく、けれど目を閉じていてさえ感じられる、まばゆいばかりのきらめき。手を伸ばした先に温かな熱源を感じた。同時に雪崩れ込んでくる激情。


「そうか、君は再生の炎フェニックスではなく、破壊の――」


 はっと目を開き、シャイルは炎翼鳥を見返した。羽ばたきをやめ首を曲げた美しい幻鳥が、何かを待つようにこちらを見ている。ローウェルが視線を傾けシャイルを見て、一度頷き口を開いた。


「シャイル、言葉に決まりはなく、必要なのは願いだよ。君はかれをどうしてあげたい?」


 精霊使いである彼の言葉を過不足なく理解できた自信はない。しかし、言葉に決まりがないのだとしたら、魔法の知識が乏しい自分でもかれを解放できるだろうか。反芻はんすうするように先ほどの感覚を思い返し、シャイルは強く頷くと叫んだ。


「君の心を尊重し、命令からの解放を願う! ごめんよ、炎翼鳥。精霊だって――精霊だからこそ、破壊のために力を振るいたくはないよね!」


 ――精霊は、人を傷つけることができない。


 幼い頃、誰かから教わった。精霊たちは人を愛し、人の幸福を望む。傷つけることを望まず、許されていない。ただし人の意志が介在する時にのみ、精霊魔法は攻撃や破壊の性質を帯びるのだ。

 姿こそ炎翼鳥だが、しょうじられた精霊力は破壊に類するものだった。しかし破壊属性だろうと、精霊であれば人など燃やしたくないに決まっている。望まぬ指令を押しつけられ、その上さらに相反する願いを向けられれば、苛立ちもするだろう。

 シャイルが言葉を切った余白にかぶせるように、ローウェルが小声で囁いた。


「……在るべき場所へ」

「炎翼鳥、君がいるべき場所へ、お帰り」


 彼に倣い、言い加える。真紅の目がゆっくり何度か瞬き、美しいくちばしが開いた。さえずりのようにやわらかな鳴き声を響かせて、炎の翼がほどけるように散りはじめた。散りきらめく金色の火の粉と燃える羽毛が白い霧に混じり合い、双方溶けいるように消えてゆく。高く昇ったがその隙間から明るい光を降らせていた。


「お見事。お疲れさま、よくやってくれた」


 とん、と背中を叩かれる。思わず見れば、ローウェルが深青の目を細め満足げに微笑んでいた。身長はシャイルとほぼ同じなのに、中性的な容貌と手入れの行き届いた長い髪、ミスティアと良く似た顔立ちも手伝って、不思議な気分に陥る。甘だるい匂いを感じるので、虐待された傷はまだ治癒しきれていないのだろう。

 翼族ザナリールであり守るべき対象でもある彼に助けられてしまい、シャイルは気恥ずかしくなってうつむいた。


「いや、僕一人ではきっと無理だったよ。……ありがとう、ローウェル」

「ううん。自分では気づいていないかもしれないけど、君には特別ながあるようだね。君は精霊たちに、すごく……幸せを願われているよ」


 不思議な言い回しに、問い返す言葉が思い浮かばず、シャイルは黙ってローウェルを見つめた。精霊使いの青年は意味深に微笑んだあと、ふいに視線を揺らして木製の杖を地面につく。溜息をつきながらゆっくり畳んだ翼はひどくむしられていてぼろぼろで、それを見た途端シャイルは現実に返って青ざめた。


「ローウェル、怪我もその翼もすぐ手当てしないと! どうすればいいかな、砦に空間転移テレポートで連れて行こうか!?」

「シャイル、でかしたぜ! 家も畑も無事だし、ローウェルは村の医者に診てもらうほうが早いんじゃねェか?」


 話に割り込んできたのは剃髪頭スキンヘッドに三白眼の人間族フェルヴァー、ガフティだ。シャイルが炎翼鳥に集中していた間、彼らも避難誘導と捕らえた魔族ジェマの移動に奔走ほんそうしていたのだろう。ローウェルは顔をあげ、彼を見てほっとしたように相好を崩した。


「そうだね、そうしようかな」

「よっしゃ、掴まってろよォ」

「自分で歩けるけどね!?」


 大股で近づいてきた大柄の彼はローウェルの腰に手を回し、ひょいと肩に担ぎ上げて歩き出す。元々翼族ザナリールは男女ともに軽いのだし、彼は細身だからなおさら簡単だっただろう。

 最初会った時ヴェルクが自分を横抱きにしたのを思い出し、つい苦笑が漏れた。懐かしく恥ずかしい記憶に浸っていると、隣に影が差す。


「シャイル、おまえ、無茶しやがって」


 腕組みをして難しい顔をしたヴェルクがすぐそばに来ていた。彼にも目立った怪我や火傷はない様子で、安堵する。


「これくらい無茶したうちに入らないよ」

「なに言ってやがる。傷開いてるぞ?」


 視線で指摘され自分の腹を見れば、血の染みが広がっていた。一瞬、返り血の可能性を考えるも、認識した途端に遅れた痛みがやってきて膝の力が抜ける。くずおれる前に、ヴェルクの腕に支えられた。


「うわ、気づかなかったっ……痛たた」

「正直、おまえの無茶のお陰で助かったけどな、それはそれだ。運ぶぞ」

「うわぁっ!?」


 たくましい腕に軽々と抱き上げられ、口から悲鳴が漏れた。意識がない時はどうしようもなかったが、意識も記憶もはっきりしている上に公衆の面前、という状況は恥ずかしすぎる。しかも両手をどこに置いたらいいかわからない。


「ひとまず、診療所行くぞ」

「待って待ってヴェルク、降ろしてよ! 自分で歩ける……それか蝙蝠こうもりになるから!」

「馬鹿。この状態で小型化したら貧血で倒れるだろうよ」

「うっわぁ、だって恥ずかしすぎる……」


 実際には皆、荒らされた村の片付けや遺体と捕虜の移動で忙しく、気に留める者もいなかったのだが。

 徒歩五分ほどの距離が、今のシャイルには永遠の道程のようにも思えたのだった。




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