[1-2]夜明け前


 見張りに立つ者が最も警戒すべきは、夜明け前だという。朝が近づく安心感と夜通し気を張った疲労感が噛み合うのか、猛烈な睡魔に襲われるのだ。

 ヴェルクが奇襲に選んだのはまさにこの時間帯だった。見張り役の魔族ジェマは眠っていたわけではない。しかし、ただでさえ潜入側とは実力差がある上、襲いくる眠気と戦っていたのだから、侵入者を見逃しても仕方なかった。

 村全体をぐるりと囲む防衛柵――魔獣や野生動物の侵入を防ぐためのもの――の切れ目が、村の出入口である。警戒心薄く欠伸あくびを噛み殺しながら突っ立っていた見張りの魔族ジェマ二人が、突然声も上げずにくずおれた。遠目からでも彼らのくびから突き出した矢羽根が見える。


「よし、行くぞ。村長むらおさ宅は玄関横が薬草畑になってる、あの家だ。雑魚ざこ兵の制圧はガフたちに任せて、俺たちは何としてでも金狼を討つ」

「わかった。ヴェルク、酔わないように目を閉じてくれる?」

「気にするな、大丈夫だから」


 空間転移テレポートは自己だけでなく、他者をともなうことも可能だ。しかし魔族ジェマ以外は耐性を持たないので身体にかかる負荷が大きい。幾らかでも緩和するため視界を遮断するのは定石セオリーだが、ヴェルクは大丈夫だという。何が待ち受けるともわからぬ状況で目を閉じる危険性も理解できたので、シャイルは食い下がらず頷いた。


「じゃ、行くよ。――望む場所へ〈運べ〉」


 発動には魔法語ルーンの詠唱が必要だが、シャイルが唱える文言はいつも短い。大抵の魔族ジェマはもう少し長く緻密な発声詠唱が必要らしい。

 精霊との相性が良く詠唱なしで魔法を扱える者もいて、そのタイプは下位精霊の姿がいつでも見えるのだという。シャイルはそこまで相性が良いわけでもないので、便利ではあるが不思議でもある。しかし魔法に詳しくないヴェルクは気に留めなかったようだ。

 視界が一瞬歪んで変化する。村の外から、村長むらおさ宅の裏手へ。そこそこ大きな木造平家建ての一軒家は、寝静まっているように明かりを落とし沈黙している。

 事前の打ち合わせ通りシャイルは小型蝙蝠こうもりに姿を変え、ヴェルクの背中に張りついた。黒髪の間から褐色の首筋が覗いていて、甘だるい匂いがする。人をらった魔族ジェマにとってこの匂いは抗い難い誘惑だと聞く。シャイルには理解できない感覚だ。


 背が高く体格も良いヴェルクは隠密行動に向かないと思ったが、杞憂きゆうだと知る。人の目では見難いだろう薄闇の中、足音を立てず、しかし迷いなく進む姿はまるで大型の猫だ。裏口に張りつくようにして中の様子をうかがったヴェルクは、腰ベルトから音もなく短剣を引き抜き、扉の取手部分に突き立てた。ガツ、と鈍い音がして鍵が外れたのを確認し、戸を蹴り開ける。

 家のどこかにぱっと明かりが灯った。裏戸から侵入するのかと思いきや、彼は中を確認してから身を翻して建物の側面へ回り、窓枠に手を掛けた。短剣を戻して大剣を背側から引き抜き、跳躍と同時に窓板に叩きつける。大きな音と衝撃が彼の体躯たいくを通し伝わってきて、振り落とされないよう思わず彼の襟に爪を立てた。

 戸板が外れて大きく開いた窓からヴェルクは室内に乗り込み、一瞬たりと迷うことなく奥へ進んでゆく。


「人質に取られる前に村長むらおさを救出するぞ」

「わかった」


 確認は短く。明かりの灯る部屋へヴェルクが飛び込む。さほど広さのない部屋は寝室なのか、乱れたベッドの上に傷だらけの翼族ザナリールが横たわっていた。両手と翼に細い鎖が絡みついており、あちこち引き裂かれた着衣も赤黒く染まっている。周囲には青い羽毛が散らばって、白いシーツに血痕がにじんでいた。

 一瞬で燃えあがったヴェルクの怒気を肌越しに感じ、シャイルの心臓が震える。窓が大きく開いていて、中にいた者が外に出たのは間違いない。素早く視線を巡らせ室内を確認すると、ヴェルクはベッドに駆け寄った。


「大丈夫か!?」


 立ち込める、れた果実を発酵させたような香り。脳髄を揺さぶる濃い匂いは翼族ザナリールの彼が流した血液だろう。ヴェルクが傷の具合を確かめながら鎖を短剣で叩き切り、拘束を解く。青年のまぶたが震え、二、三度瞬いた。


「……護衛隊?」

「そう、俺らは救援だけどな。良かった、致命傷はなさそうだ」

「俺、は、大丈夫。妹を、守ってほしい」

「妹? どこにいる?」


 青年が身を起こし小声で何かをささやくと、ほのかな青い光が渦を巻いて室内を吹き抜けた。風の精霊による治癒魔法だったのか血の匂いが少し薄くなる。気遣わしげに見るヴェルクへ目を向けて、青年は疲弊ひへいにじませつつ苦笑した。


「俺はローウェル、ここの村長むらおさだ。妹のミスティアを金狼のゼレスが狙っている。まだ見つかっていないようだからうまく逃げのびていてほしいけど、あの子は勇しすぎるから反撃を狙っているかもしれない」

「金狼……ずいぶんと厄介な相手に目をつけられたじゃねぇか。あんたは大丈夫か?」

「魔封の枷さえ外せば精霊魔法を十全に行使できるから、心配ないよ。枷の鍵もそこに掛かっているし」

「わかった。でも、血の匂いをさせて動き回るなよ」

「心得てる」


 そこまで確認するとヴェルクは迷わず窓に向かい、枠を乗り越えて裏庭へ飛び降りた。まとわりつく血の匂いから逃れられて、シャイルは安堵する。首魁しゅかいの姿を見つけられていない状況で姿を現すわけにはいかない。匂いに酔っている場合ではないのだ。

 だいぶ明るくなったのに気づき見あげれば、夜明けの空にあけの雲が流れていた。風は穏やかで、地面は露に濡れ、草葉が朝日を弾いている。そこかしこから喧騒が聞こえるが、ガフティたちはうまくやっているだろうか。

 この時間を選んだことにはもう一つの理由がある。

 深夜の奇襲では、夜目が利かない翼族ザナリールたちの協力を仰ぐのは難しい。しかし、光が戻る明け方であれば。

 狩られる側として辛酸をめている彼らも黙ってやられるばかりではないのだ。翼族ザナリールは風の民、そして弓の民と言われる。朝の下であれば、逃げのび身を隠していた者たちが立ち上がってくれると護衛隊の者たちは知っていたのだ。


 周囲は夜明けの光で色を取り戻しつつあるが、ヴェルクの動きは影のようだ。大剣を背の鞘に仕舞い、庭に建つ倉庫の陰に潜んで周囲をうかがう。眩しげに細めて上方を射た紫水晶アメジストの目が何かを発見し、見開かれた。つられたシャイルもヴェルクの頭に移動し、同じ方向を見あげ、そして絶句する。

 鐘をついて時刻をしらせるひときわ高い建物の上、柱の陰に身を潜める少女の姿が見えた。朝日をきらりと照り返すのはつがえた矢のやじりだろうか。一心に何かを狙う彼女の翼越しに、黒々とした獣が迫っている。とがった鼻先、三角の耳とほっそりした四つ脚、胴体より太く広がる奇妙な形状の尻尾――。


「シャイル、行け!」


 迷う暇などなかった。ヴェルクの声に弾かれ、シャイルは魔法語ルーンを唱える。少女が翼を大きく震わせ背後を振り返るのと、獣が跳躍したのは、ほぼ同時だった。




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