[0-2]少女と医師


 少しの間、微睡まどろんでいたようだ。かすんでいた視界がまばたきでクリアになる。己が置かれた状況をすぐには把握はあくできず、ゆっくり息を吸い、記憶をさかのぼる。

 名前はシャイル、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマ

 炎属性で、年齢は記憶喪失だおぼえていないが成人はしているはずだ。

 顔に被る上掛けをけようと腕を動かした途端、脇腹から胸に走った鈍痛にシャイルはうめいた。意識を失う少し前に複数の男たちに押さえられて酷く暴行されたことを思い出す。

 無我夢中で、相手が怯んだ隙に何とか逃れ、魔法で場所を移動した。直後に胸の痛みが酷くなって声が出なくなったので、本当に間一髪だった。


 それにしても、ここはどこだろう。

 愛らしい翼族ザナリールの少女と大柄な人間族フェルヴァーの青年に見つかり、を確かめられたことは覚えている。男性に運ばれる途中で気を失ったのか、そこから先の記憶がない。

 じっとしていると幾らか痛みもましになったので、今度は慎重に腕を動かし布をける。漆喰しっくいを塗り固めた天井にカンテラが吊り下げられていた。室内は明るく火は入っていない。痛みを確かめつつ首を動かすと、切り抜かれた窓の向こうに薄曇りの空が見えた。


「目が覚めたの?」


 聞き覚えのある愛らしい声。勢いよく振り向きたいのを我慢し、ゆっくり頭を向ける。同じく切り抜かれた入り口には厚い仕切り布が提げられていて、亜麻色の間から青色が覗いていた。一番最初にシャイルを見つけた、翼族ザナリールの少女だ。


「あ……うん。ここ、は?」

「革命軍のとりでよ。あなた、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマなの?」


 仕切り布から覗く少女は細い眉を寄せて、警戒もあらわに尋ねた。ずきりと痛んだ胸は暴行の後遺症か、彼女の言葉が刺さったからか、どちらだったのだろう。


「僕は、そう。でも、人を食べたりなんかしないよ」

「うん。ヴェルクもそう言ってたわ」


 やっとの思いで答えれば、少女は首を傾げ応じる。ヴェルクというのはあの大柄な人間族フェルヴァーだろう。ではあのとき目を調べたのは、人いを犯したか探るためだったのか。シロ、というのは誰も食べていないという意味だったのだ。

 手の先でそっと身体を探ると、綺麗にかれ手当てされていることに気づいた。


「ありがとう、助けてくれて。僕は、シャイル。革命軍ってことは、ここは魔族ジェマの国?」

「わたしはフェリアよ。あなたを運んだ人がヴェルクで、ここのリーダーをしているの。この森は無国籍領域だって聞いてるけど、詳しいことは知らないわ」


 怯えずに答えてもらえたことを嬉しく思う。調子に乗って起きあがろうとした途端、胸に激痛が走った。悶絶もんぜつしてベッドに沈んだシャイルを見てフェリアは驚いたのだろう、悲鳴をあげて部屋を飛びだしていく。引き留めようとするも声は出ず、彼女も翼族ザナリールらしく素早かったので、止めようもなかったが。

 どこかから慌ただしい物音が聞こえ、石床を叩く足音がこちらへ向かってくる。仕切り布を除けて部屋に入ってきたのは長身で白衣の男性だった。


「起きた? 大丈夫? きみ、肋骨ろっこつが折れて肺に刺さる大怪我してたんだから、まだ起きちゃだめだよ」

「……うぅ、あなた、は」

「俺はここの医師、名前はリーファス。よろしくね」


 彼は躊躇ためらいなく近づいてきて、身体を起こし楽な姿勢を取れるよう手助けしてくれた。ゆるい癖がかかった薄青の髪から、柔らかそうな獣耳が突き出している。

 種族を知るため耳を確認するのは癖のようなものだが、獣人族ナーウェアの部族は多岐たきに及ぶため、何の獣人かまでは判断できなかった。


「リーフ、ヴェルクはどこ?」

「今は来客中。フェリア、そこに積んであるクッションを取ってくれる?」

「わかったわ。幾つ必要?」


 リーファスは少女からクッションを二つ受け取り、シャイルの背側に並べた。痛みをこらえねばならなかったが、身体を起こすと一気に視界が広がり、部屋と二人の様子がよく見えるようになる。

 石材を積み上げて漆喰を塗った、簡素で殺風景な部屋。フェリアが言ったように砦なのだろうと納得した。

 手を伸ばせば届く距離で医師のリーファスが見下ろしている。薄青の髪はうなじを覆うほどの長さで、髪の間から木葉このはに似た長い獣耳、額からは堅そうな一本角が突き出していた。尻尾はここからだと見えにくい。獣人族ナーウェアだと思われるが、何の部族だろうか。

 晴天を思わせるそら色の髪と翼の少女が、フェリア。今はリーファスの陰から心配そうにシャイルを見ている。翼族ザナリールの外見は魔族ジェマと同じく実年齢とは連動しないと聞くが、容姿と言動はシャイルより歳下に思えた。


「きみの状態を説明するよ。ヴェルクが運んできた時、きみは体の至る所を殴打されて数カ所刺突しとつの傷もあった。手脚や背骨は無事だったけど、肋骨ろっこつが折れて肺とかの内臓を傷つけていた。俺とヴェルクで汚れを拭いて手当てをして、俺が治癒の魔法をかけたけど、深い傷は動けば開いちゃうから安静にね」

「……はい。ありがとう、ございました」


 肺に傷という説明にぞっとしてつい慎重に声を出すが、痛みはこなかった。リーファスが笑う。


「どういたしまして。この場所だけど、魔族ジェマの国ノーザンの国境近い森で、近隣に妖精族セイエス獣人族ナーウェアの村が点在している。現状では人数が少ないので、革命軍といいつつもやってることは自警団みたいなものだね。きみの今後はヴェルクも交えてゆっくり話し合うとして、今は心配せず休んで」

「ねぇ、リーフ。シャイルはきっとお腹がすいていると思うのよ」

「あ、そうだね。何か食べられそう?」


 問われれば、今まで痛みにまぎれていた空腹を唐突に自覚した。腹を踏みつけられて胃の中身を吐き出したせいもあり、朝から食べていないのと同じ状態だ。治癒魔法のお陰か内臓は正常に動いているのだろう、飢えだけでなくひどい渇きも感じる。


「わたしもお昼を食べ損なったのよ。だから、シャイルと一緒に食べるわ。いま何か持ってくるから待ってて」


 返答する隙もなく少女が飛びだしていく。食べ損ねたのは自分が転がりこんだせいだろうか。翼族ザナリールにとって魔族ジェマは恐ろしい存在である上、得体の知れない行き倒れだ。彼女が気を遣って無理をしているのでは……と湧きあがった不安を察したのか、リーファスが言った。


「もちろん、この砦にも魔族ジェマを怖がる人はいるよ。でも少なくともフェリアはきみを怖がってないし、ヴェルクも俺も同じだ。食事するなら医師として付き添うけど、遠慮せずに食べてくれて大丈夫だからね」

「ありがとうございます。でも、どうして」


 湖面を思わせる薄水色アクアブルーの両目が柔らかな光を映してなごむ。何か聞けるだろうかと期待したが、リーファスはフェリアが戻ってきても、シャイルの疑問に触れることはなかった。






 

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