第17話 淡雪

僕の人生では考えられないくらい、旅は順調に進んでいた。


それもこれも、淡雪というオートマターのお陰であろう。


今こうしている間も、僕は薪(たきぎ)を拾ってきて、

積んだ石の間に並べているだけだ。肝心の食料はと言えば、


「貴方様、いい獲物が手に入りました」


後ろから声がかかったので振り返ると、

そこには仕留めた野鳥2匹を手に持った、

ブラウスとギャザースカート姿の

いかにもお嬢様然とした機械人形が佇んでいた。


「夕食のための狩りをして参ります。すぐに戻ります」


そう言って、手近にあった拳(こぶし)ほどの大きさの石塊(いしくれ)を

2、3個持って、出発したのがほんの10分前である。


それなのに、本日の晩餐の主食である野鳥を

もう捕まえてきたのだ。とんでもない速さである。


「相変わらずすごい技術だな。おかげで毎日保存食の

 燻製(くんせい)肉だけにならず、おいしい料理を食べられて助かるよ」


お礼を言って、準備のできた竈(かまど)の前を譲った。


とんでもございません、と冷えた声音(こわね)ながらも

恐縮した口ぶりで、淡雪は僕に代わって竈(かまど)の前に陣取る。


そして、集めておいた乾燥した木の棒を細い丸太に当てると、

激しく前後に擦(こす)り始めた。


すると2、3秒で火がつく。


目にも止まらぬ早業(はやわざ)だ。


ちなみに、初日に僕が試した際は、

30分以上やっても発火しなかったので、

すでに火をつける係りからは外されてしまっている。


まあ、最初に僕が火を起こそうとしているのを見て、

淡雪が「そんなことをさせるのは申し訳ない」と言って

散々止めたので、それに配慮している面もあるのだが。


そんなわけで、僕は枯れ木集めや竈作り、肉の捌き。

あとは保存食の固いパンを食器に並べたりと、

お手伝いのようなポジションに収まっている。


残った時間は終始下草を食(は)んでいる馬と

適当に遊んだりだ。


なんだか僕の駄目さ加減が助長されそうなゆるい生活だが、

そのことを何とかしようだとかは一切考えない。

とりあえず毎日がつつがなく進んでいれば問題なし、とするのが、

怠惰を絵に書いたような男であるところの、僕の信条である。


そんなわけで暫くすると、調理機能も万全に備えたオートマターが、

ほどよく味付けした鳥の串焼きやスープ、

ジャムたっぷりの保存食のトーストを皿に並べ始めた。


日もすっかりと暮れていて、

南の空には月が炯炯(けいけい)と輝いている。


僕はエールを呷(あお)りながら、「この世に欠けたるところなし」、

といった心地で、目の前の十分に気の利いた料理を口に運んだ。


次第にアルコールも回り始め、気持ちよくなると、

普段の寡黙(かもく)さも忘れて淡雪との会話に興じた。


「君は本当に狩りがうまいな。ミトの町を出て三日だが、

 最初の日、急に獲物を引っさげて帰って来たときは何事かと

 思ったもんだ。その投擲(とうてき)の技術もすごいが、

 何よりも獲物を発見するのが早い。普通は獲物が来るまで、

 何時間も待たないといけないものなんじゃないか。

 やっぱり、あの機能を使っているのか」


淡雪は動かしていた箸の動きを止めて頷いた。


「魔力音ですね。ご慧眼にあらせられます。

 あの鳥、名前をイサフポトと言うのですが、

 大戦の頃から存在する古い種です。

 そのため初期設定として、

 私の中に魔力音のパターンデータがあるのです」


へえ、と僕は声を漏らして感嘆する。


大戦といえば、ギルド規約に記載されていた、

太陽皇帝が魔神族を討伐するために起こした戦争のことだろう。

魔神族との戦いは三〇〇年も前のことであったはずだから、

淡雪は随分と前に製造された機械人形ということになる。


「だとすれば、淡雪は少なくとも

 三〇〇年は前に作られたということだな。

 そりゃ年季が違う」


僕の言葉に、彼女は考えるように少し首を捻ってから、


「そうですね。三〇〇年前には確かに存在しておりました」


やはりそうか、と酔った勢いもあって大げさに感心した。


「だとすると、今向かっている淡雪の生まれ故郷。

 時々、君が口にしていた「兎塔(うさぎとう)」、だったか。

 おそらく工場か何かなんだろうが、

 そこも三〇〇年前にはあったってことだ。

 随分前のことになるが、今でもちゃんと残っているのか」


言ってから、デリカシーのない質問だったかと心配になる。


だが、特に淡雪は気にした様子もなく、

「それは大丈夫で御座います」

と確信のある口調で言い切った。


どこからそんな自信が生まれているのかは分からないが、

人形相手とは言え、故郷が無事かどうか、

などという質問をすることはマナー違反であったと思った。


なので僕は違う方向に話題を誘導する。


「そうか。ところでその兎塔なんだが、

 一体どのあたりにあるんだろう。

 いくつもの地点を経由しないと行けない、

 と言っていたから、やはり随分遠いのかな。

 例えば、どっちの方角にあるんだい」


「そうですね」、と呟いてから、

淡雪は不器用に首(こうべ)を巡らせて、


「おっしゃるとおり、とても遠くに御座います。

 あちらですね」


機械人形が指さしたのは南の方であった。

ひどく遠くにうっすらと峨峨(がが)たる山脈があるのが見える。

だがその指先はその山々よりも少し上を示していた。


丸で南の空に浮かぶ月を指しているようだ。


それは彼女の故郷が、あの山々すらも越えた、

とても遠くに存在することを示しているのだと理解させる。


「なるほど、どうやら途轍(とてつ)もなく遠くにあるみたいだな。

 だが、僕にはこの世界で何としてでもやるべきことなんてない。

 目的地が遠いほうが、色々な場所を見て回ることができるだろう」


そう言って更にエールを嚥下(えんげ)した時、


「貴方様、5km先に野盗がいるようです」


と淡雪が冷静な声で僕に報告をしたのであった。


「あ、今魔力音がひとつ消えました。

 どうやら、誰かが盗賊たちに襲われているようですね」


・・・

・・


結論から言えば、その野盗たちがこっちに来ないかを、

念入りに警戒するよう淡雪にに命じた以外、僕は何もしなかった。


彼女も僕に対して、「助けに行くべき」、

などといったことは一切言わなかった。


僕はますますこの機械人形への信頼を厚くする。


困っている人を助けることは、人間として当たり前だ。

周りに気を遣い、できるだけ優しくすることも当然である。

時には自分が多少損してでも、物や金銭を分け与えてもいい。


だがそれは、「自分が絶対に安全な範囲にいること」を

前提とした話であった。


すでに夜であったことは、「迂闊に動くべきでない」

という判断の、一つの理由ではあったが、

それは別段、大きな要素ではなかった。


決定的な理由とは、自分の身を投げ出してまで

野盗から見ず知らずの人々を守るような「無責任な行為」を、

「大の大人がやってはいけない」、ということに尽きた。


淡雪の魔力音を聴く力で不意を突けば、

救い出せた命があったかもしれない。


だが、そうした暴力が渦巻く非情な現場に赴(おもむ)くのは、

責任を持った人間であるべきであった。

それは日本ならば警察であったろうし、

この異世界であれば騎士になるのだろう。

つまりそれは命を落としても仕方がない、

ということをその身に課された者だ。

「責任も取れない者が、命のやり取りの発生するような

重大な局面にむやみに携わること」

は決してやってはならなかった。


それはサラリーマンとしての常識であったが、

この異世界で過ごす中でも同様であると理解していた。


そして付け加えるなら、僕の中に無辜(むこ)の人々を

何としてでも助けたい、などといった正義感じみた

熱い思いは全くなかった。


身近な人たちであれば、また話は違ったであろうが、

野盗に襲われていたのは異世界の見知らぬ人々だった。


日本にいた頃、お茶の間で菓子を摘みながら

飢餓の悲劇をテレビを通じて知るようなものだ。


僕は酔った頭を冷やすように、適当に拾って来た

丸太を枕にして寝転ぶと、淡雪にお休みを言って、

歩き疲れた体を休めたのだった。


野盗に襲われた現場にたどり着いたのは、

睡眠を挟んで、それから一二時間も後のことであった。


・・・

・・


「どうやらここが昨日言っていた、野盗に襲われた現場らしいな」


行商人の馬車を狙った襲撃だったようだ。

すでにめぼしいものは全て攫(さら)われている。


残されているのは地面や荷台に転がされた、

でっぷりとした体つきの商人らしき男や、

その護衛と思われる数人の冒険者たちの

血まみれの死体だけであった。


「かわいそうに、皆殺しと言ったところか。

 埋葬でもしてやりたいところだが、

 血に触れて病気になってしまうのも困る。

 このままにしておくしかないな」


そう判断し、その場を僕が離れようとすると、


「私でしたら、病気になることもありませんが」


と隣にいた淡雪が提案してくれる。


「そうか、じゃあ一つお願いがあるんだ。

 荷台に乗っている商人と冒険者の死体があるだろう。

 それを地面に移動させてくれ。

 適当に転がしておいてくれればいい」


「えっと、埋葬の方はしなくても良いのですか」


淡雪が質問してくるが、僕はそれには答えず、

周囲に視線を巡らせた。


鬱蒼(うっそう)とした木々や茂みがかなりある。

おそらく盗賊たちはそれを利用して隠れていたのだろう。


ならば、物を隠すのにも申し分ないか。


そんなことを考えているうちに、淡雪が死体を下ろし終える。


「よし、じゃあ淡雪もこっちへ。手伝ってくれ」


そう言って、僕は馬車の荷台の後ろへと回ると、

一心不乱に押し始めた。


「貴方様、これは一体どういう意味があるのでしょうか」


「もちろん、この荷台を隠しておくためだ。

 本当は今すぐに欲しいところなんだが、

 盗賊に殺された人の持ち物の所有権が、

 この世界でのルールではどうなるか分からないだろう。

 それが確認できるまでは迂闊に持っていくべきじゃない。

 下手をすればお尋ね者だからな。

 だが、それが確認できるまで放っておいては、

 違う人に持ち逃げされるかもしれない。

 だから、一旦こうして隠しておく」


その返事をどう受け取ったのかは分からないが

淡雪はそれ以上は何も聞かず、

僕と一緒になって茂みの奥まで荷台を押した。


少し見えてしまっているが、

まあ、誰かに盗られてしまっても別段構わない。

あまり完璧にしようとしては疲れてしまうから、

これくらい適当で良いのである。


「よし、それじゃあ出発しよう。

 大洞穴まで、あとほんの数日だ」


大人しく待っていた馬の手綱(たずな)を引いて、

改めて西への道を歩き始めた。


淡雪は地面に転がされた死体を一度だけ振り返ったが、

僕が頓着なく進んで行くのを感じると、すぐにこちらへと追いつく。


隣に来た淡雪に、僕は言った。


「ところで、一つ確認しておきたいことがあったんだが、

 淡雪は昨日、野盗の魔力音を聴いた後に、

 あの商人か冒険者たちの魔力音が消えるのを聴いたんだよな」


「はい、そうです」


その答えを聞いて、僕は「なるほどね」と言ってから、

一つの事実を確信して思わず肩をすくめたのである。

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