屠所の羊

深山 蒼和

第1話 花柄のハンカチ

もう昼過ぎなのに、今朝から拓磨と連絡がつかない。

普段ならすぐに返事をよこすくせに…。


私と拓磨は、児童養護施設で出会った。私は、父親の虐待から逃れるため、拓磨は、母親との死別が理由だった。小5から施設にいた私と、高1で入ってきた拓磨。同い歳ではあるけど、どこか取っつきにくい性格。でも、気がつけば側にいてくれて、酔っぱらっては施設にやってくる父親から、よく私を守ってくれた。18歳になって施設を出て、同じ大学に進むことになった私たちは、お互いの見守り役になることを決めた。拓磨からの提案で【困ったとき、いつでも頼れるように】と、互いの部屋のスペアキーを交換した。私にとって、このスペアキーは、心強いお守りになっていた。


それから月日は経ち、大学に入学して3年目の冬。それまで学校をさぼったことなど一度もなかった拓磨が、1限目も2限目も講義に現れなかった。具合が悪くても、「金払ってんだから」と学校にくるような人だったのに。電話を掛けても不通で、メッセージも一向に既読にならない。何かあったのかな…胸の奥が、なんだかザワザワして、講義に全く集中できない。3限目が休校になったことで、私は拓磨の住むマンションに向かった。

「……ここか」

スペアキーを交換して、初めて彼の家を訪問する。何度か呼び鈴を鳴らしたが応答はない。何かあったときに、と預かっていたスペアキーを取りだし、鍵を開け室内に入った。

「ねぇ…拓磨?…居る?」

玄関からの呼びかけに返事はない。

「…入るからね?……お邪魔します」

中に入り、廊下を進む。日中だが、遮光カーテンを閉めているせいか部屋の中は薄暗い。でも、少し目が慣れてくると、無駄なもの1つないキレイに整頓された部屋であることがわかった。シーンと静まりかえる室内。耳を澄ますと、微かに水を流す音が聴こえてきた。音がする方へと歩いていくと、ふんわりとした明かりが差しているのが見えた。近づくと、そこは、浴室らしく、シャワーが勢いよく流れ出る音が響いていた。

「…なんだぁ…。いるなら返事してよ!ねぇ、私、亜季だけど!拓磨、何度も電話したんだよ?もう…、心配して損した!」

しかし、浴室のドア越し、返事はない。相変わらず聴こえるのはシャワーの音だけだった。

「………ちょっと、ねぇ…?」

おそるおそる浴室のドアを開けた。するとそこには、シャワーレバーを背に、ぐったりとする拓磨の姿。右腕は浴槽に沈み、お湯は、真っ赤に染まっていた。

「…は?…嘘、嘘、嘘でしょ…拓磨!拓磨!!しっかりして!なんで…なんでこんなこと…!」

シャワーを止め、拓磨の身体を起こして頬を叩くが、何度呼び掛けてもピクリとも動かない。血の気の引いた真っ青な顔。傍らには、血のついた剃刀が無造作に転がっていた。

「…何してんだよ……拓磨…」

拓磨を支えながら、震える手で自分のコートのポケットからスマホを取りだし救急車を呼ぶ。ふと視線を落とした時、拓磨の左手が目にとまった。力をなくした左手が、かろうじて握っていたもの、それは、見慣れない花柄のハンカチだった。

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