……めか・すぷれましぃ?
「あっはっは。シャワーまで貸してもらって済まない済まない。シャワーを浴びれば一日の始まりって感じがするねぇ」
あの後、住み込んでいるバイオノイド達に手伝ってもらいながら酔っ払いお姉さんのムサシにシャワーを浴びてもらった。血まみれの服も洗濯しているため、バスローブを着てやってくる。
ムサシの身体は7割強が機械化している。目に見えるだけでも右目のカメラアイ、両腕両足、肩と腰を機械化している。電子酒を楽しむために人工臓器も導入しているととは本人の弁だ。
胸部と頭部以外は機械化しているムサシ。それでも服を着るのはやはり女性としての羞恥だろうか? トモエはそんなことを考えていた。
「今日も電子酒が美味いってなぁ! あんたもどうだい? 今日のお姉さんおすすめ電子酒は『エンプーサ・キッス』だよ! 蕩けるような熱いベーゼを感じるよぉ」
この酔いっぷりを見る限りは羞恥とは縁遠そうだが。
「あ、未成年なんで飲めません」
「ミセイネン? ああ、そういう名前なんだねバイオノイドのお姉さん。チップないから仕方ないか」
未成年の意味が分からないのか首をかしげるムサシ。その後そういう名前なのかと納得した。名前は名乗ったんだけどなぁ、とトモエは呆れの表情を浮かべる。
「電子酒を飲まないっていうのは生きる目的の8割を放棄しているに等しいよ。美味い電子酒に美味い味データに美味い電子酒! あとは気の合う奴らとの語らいと心躍る冒険活劇と丁丁発止!
ぐるぐる回るからこそ世の中は面白い。赤青黄色緑に紫! 黒と白の陰陽魚は混じることなく世を回すってなぁ! 薬も毒も同じこと。天蓋は今日も今日とて晴れのち曇りってね!」
その後で電子酒について語らい、そこから話がどんどんズレていった。トモエからすればお酒は二十歳になってからとか言う西暦の法律に従っているところもあるが、『NNチップ』がないので電子酒を利用できないこともある。
「晴れも曇りも天井の色が変わるだけじゃない」
トモエは天蓋の『天気』システムを思い出し、ため息をついた。本来の空から町を囲うように展開されているドーム。その内側に移されたパネルは様々な色合いを見せる。日付が変わる瞬間に色合いのパーセンテージが示されるのだ。
「いやいやいやいやお姉さん! 見た目が違うことは大事だよ! ずっと同じ色ばかり見ていちゃ気が狂う。大事なのは変化があること! ランダムに変わるからこそ世の中は面白い! サイコロの出目は予測できないから面白いのさ!
波乱万丈紆余曲折! 山あり谷ありがお姉さんの生き様よ! 起伏激しいから生きている実感があるのさ! ヒック!」
大きく手を振って、酔っ払ったようにしゃっくりをあげるムサシ。新しい電子酒をダウンロードしたのだが、トモエにはいきなり酔っ払ったようにしか見えない。コジローが電子酒を使っているのを見たことがあるけど、ここまで大きく酔うことはない。
「あ、起伏と言えばおっぱい揉む?」
そしてこんなこと言わない。コジローは男だから胸はないけど、セクハラ発言はしない。……デリカシーはないけど。相変わらず乙女の領域に踏み込んでくるけど。
「揉みません。……はい、酔い覚ましにお水どうぞ」
呆れるようにため息をついて、トモエはコップに水を注いでムサシに渡す。ムサシはキョトンとした目で渡されたコップを見ていた。飲めばいいのかとそれを口にする。
「……おお、お水の味がするねぇ。なんか新鮮だよ。ツマミにチーズ味アプリと思っていたけど、これはこれでいい感じ。喉を通る冷たい感覚が酔いを醒ましてすっきりだね! よし、もう一杯!」
コップの水を飲んだムサシは、今まで経験したことのない感覚に驚きの声をあげる。そしてまた電子酒をダウンロードした。あー、もう。トモエは処置無しとばかりに肩をすくめた。酔っ払いはだめだめだぁ。
「なあトモエ。誰だコイツ? 知り合いか?」
「知らない人。家の前で血まみれで倒れていたから、とりあえずシャワー浴びてもらったの。服も洗濯中」
事情を知らないネネネに端的に説明するトモエ。雑な説明だけど、本当にそうなのだから仕方ない。
「血まみれ? ケガしてたのか!? だったら治療エリアに連れて行かないと!」
「んー。違うみたい。ケガって言うか返り血を浴びてたみたい。……冷静に考えるとそれはそれで怖いけど……」
今更ながらにムサシに警戒心を感じるトモエ。自分でケガをした出血ではないという事は、血を浴びる行為をしたという事だ。例えば誰かを傷つけてその血を浴びた、とか。
「あっはっは。違う違う。これはお姉さんが血液強盗と戦った時に浴びた血液さ。工場で作った血液を奪おうとする悪の秘密結社……名前なんだっけ? たしかデ……デデン! そうそう、そのデデデデンと戦った時に浴びたんだよぉ!
酷い話さ。輸送用のドローンを斬ったらそこから血をぶちまけられて、匂いとネバつく感覚で酔いも覚めてしまってねぇ。お姉さんも怒り心頭怒髪天! かっとなって暴れたら気が付けばぶっ倒れて! そこの可愛いお姉さんに拾われなかったらどうなっていたか!」
「け、血液強盗……!?」
血液って命にかかわる物だから、結構大事なんじゃないの? そう思ったトモエは驚きの声をあげる。
「そうそう。いまどき血液強盗なんて時代遅れだよねぇ。
「……めか・すぷれましぃ?」
「アタイ知ってるぞ! クローンは皆サイバー手術をして全身機械になったほうがいいって言うシューキョーだ! じっちゃんがそんなこと言ってた!」
首をかしげるトモエに手をあげて意見するナナコ。あまり物を知らなさそうなネネネでも知ってるという事は、かなり一般的なんだ。トモエはそう思った後で、結構失礼な事を思ったことを恥じた。いけないいけない。
「機械化することを最高って思うってこと? それって機械化して永遠の命を得るとかそういう考え方?」
「まさかまさか! 機械は長くても20年で摩耗するし、常にバージョンアップしていかないと型遅れの周回遅れでクレジットオクレ! 日々のメンテナンスも大変だしね。お姉さんの身体もお手入れ大変なのさ! おっぱいは自前だけどね!」
胸を張るムサシ。確かに大きい。わざわざ言わなくてもいいじゃないと思いつつ、トモエは形のいいムサシの胸をちょっとうらやましいと思った。
「
いくら『NNチップ』で痛覚を遮断できたとしても、傷は痛いしケガした体は見るに堪えない。! 不味いキューブから解放されて万々歳! 仕事も機械に動作をインストールすれば寝ながらこなせるときたもんだ。いいことずくめじゃないかって考え!」
言ってからムサシはふらりと頭が揺れる。おそらく電子酒をダウンロードしたのだろう。表情が何とも酔っ払ってる感じになってきている。
「そうなんだ。機械化ってすごい技術と思ってたのにそうでもないのね」
街を歩けばほとんどのクローンが施術しているサイバー義肢や義眼。それにも相応のデメリットはあるようだ。
「お姉さんとしては電子酒が飲めればそれでいいけどね。世の中のすべての不安は電子酒があれば事が足る! 万能薬とはよく言ったものだよ。過去の失敗も今日の不安も未来の恐怖もこれで問題なし! あっはっは!」
「……それって酔って色々忘れてるだけじゃないの?」
「そんな正論もぐちゃぐちゃにするのが電子酒のいいところなのさ。大事なのは今楽しく生きていること! そういう意味では連中にも共感できるね! 皆が酔って笑って過ごせるなら、お姉さんは幸せだよぉ! まったく世知辛い世の中だねぇ!」
わははー、と笑うムサシ。酔っ払いの理屈を理解しようとして、無理だなと諦めるトモエ。辛いから忘れたいという理屈はわかるけど、これは人としてどうなのかという酔いっぷりに呆れていた。
「そっか! そいつらから血を取り返そうとして戦ったんだな! オマエ、いい奴なんだな!」
「そうそう、お姉さんはいいお姉さんなんだよ。ちょっと電子酒が好きなだけの正義のお姉さん。いろいろ大変なんだけどそうやって感謝の言葉がもらえると電子酒が進むってもんだねぇ!」
目を輝かせてムサシに迫るネネネ。それに大きく首を振るムサシ。血を取り返そうとした血をぶちまけて浴びたんだけどね、という言葉を寸前で止めるトモエ。空気を読む女子高生であった。
「血液は大事だからな! アタイの腕と足も血液がないと動かなくなるもん! 使いすぎると目の前がぐるぐるきゅーってなんて動けなくなるからな! キューブはまずいし!」
ネネネの四肢『デンコウセッカ』はバイオ系に分類されるサイバー義肢である。機械ではなく細胞を使って構成されており、エネルギー源はクローンのカロリーそのものだ。使用すればその分肉体のカロリーを消費し、空腹で倒れてしまう。
外部電源などを使った補助や充電ができない分、機械の義肢に比べて稼働限界が早いと言われているがその分耐久年数は長い。メンテナンスを欠かさなければ、一生使用できるほどだ。
「うんうん。お姉さんは血液が必要なのは頭とおっぱいだけだけど、血が必要なクローンやバイオノイドはたくさんいるからねぇ。それを勝手に奪うのは許せないさ。ちょいとお灸をすえてやったんだけど、最後は血液ぶちまけちゃうとか失敗失敗。
いやぁ、血も滴るいい女とはまさにお姉さんのいう事だよね!」
「それ、肉の表現じゃないかな……?」
「うん? 肉の味覚アプリを知ってるのかい? バイオノイドなのに贅沢だねぇ」
おおっとまた口がすべった。脳内で失言を反省するトモエ。天蓋では肉や穀物などの天然の食材を食べられるのは市民ランク2より上のクローンだ。その手の描写や例えが出るのはおかしいのは知っていたのに、つい。
「マスターからライブセンスを使わせてもらったんです」
こういう時の為にコジローと相談していたセリフを言う。ライブセンス。五感に刺激を与えるVR機器だ。クローンは『NNチップ』に内蔵されているので、バイオノイドにVR体験させるための機器として使われていた。
……その主な用途が『VR空間で非現実的エロ拷問されてるバイオノイドの反応のを見て楽しむ』とナナコに聞いたときに赤面したのはどうでもいいエピソード。天蓋の性癖歪んでるなぁ。
「ああ、味アプリの試食役か。そう言えば見た目は人寄りだもんねぇ」
トモエの言い訳に納得するムサシ。どうやら本当にそういう役割があるらしい。
「味覚もクローンに近いからうってつけ! 漬物の味は少し濃い目がちょうどいいってねぇ! 電子酒といい感じで会うんだよこれが!」
「漬物食べたことがあるんですか?」
「あるよあるよ。Joー00……あれ、ID忘れた。ともかくそのジョカのクローンが作った味アプリは辛い系が多くてね! ピリリと来る感覚がいい感じで酔いに合うんだよ、くぅぅぅぅ! 再現するとまた来るねぇ!」
味を思い出したのか、唇をすぼめるムサシ。辛い漬物ってことはキムチかな? なんとなくそんなことを考えるトモエ。
「お姉さんに『NNチップ』があるなら味データを渡してあげたいんだけどねぇ! この味を共感したい! ライブセンスがあるんだし、どう? あ、でもマスターの許可がいるか。そっちがこの子のマスターかい?」
「違うぞ! トモエはコジローのバイオノイドだ!」
「コジロー? 聞いたことないなぁ。ともあれ渡せないなら仕方ないか。じゃあキミはどうだい? データ転送するから許可頂戴」
「おう、どんとこい! ……ひゃああああああ! なんだこれ!?」
そんなムサシとネネネの会話。そしてその後データを転送されたネネネがあまりの辛さに口を押えて悶えていた。ああ、辛いのに慣れてないとこうなるよね。ネネネに水を用意したあとで、ふと気になったことを口にする。
「……味データの転送?」
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