寒冷刺激とストレス反応
清見こうじ
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「最近、毛深くなってきたんです」
パーカーのフードを目深にかぶり、サングラスとマスクを装着した若い感じの女性。
問診票を見ると、「28歳」とありますので、アラサーではありますが、まだ若いと言って差し支えないでしょう。というか、ワタシも同じ年なので、若い女性、と言い切ります。
「最近、というのは、ここ一ヶ月より、前ですか? 後ですか?」
「ここ、一週間くらいの話です」
「それは、本当に最近ですね」
「そうなんです。ホントに突然で……しかも、フツーじゃない毛深さなんです!」
患者さんは……個人情報保護もありますので、仮にA子さんとしますね。
A子さんは、サングラスを外しました。
ぱっちりとした二重まぶたの、なかなか愛くるしい目元。まつ毛も長く、結構美人さんなのでは、と思いました。
次にA子さんは、フードを外しました。
フードから流れ落ちる薄い茶色い猫っ毛の巻き毛。セミロングの毛先は、くるんと内巻きになっていて、コンセプトは「ゆるふわ系女子」ですね。
最後にマスクを外しました。
毛先が顔の下半分を覆い隠し……ているわけではなく、顔の下半分が髪の毛と同色の毛で覆われていました。三センチくらいの長さで、まだ生え初めなのか、とても柔らかそうでした。
「なんか、もしゃっとしてきたな、とか、思ってたら、どんどん濃くなってきて。顔だけじゃないんです。体も」
A子さんは、パーカーの袖をめくって見せてくれました。やはり、同じような茶色い毛が、手の甲から腕にまで、びっしり生えています。
「胸もお腹も、生えてます。多分、背中も」
「申し訳ありませんが、お顔と、お腹と背中も診せていただけますか? あと、触らせてもいただきます」
A子さんは、うなづいて衣服を緩めました。介助についていた看護師が、心得たようにバスタオルを肩にかけ、露出に配慮しました。
まず、額と頬にかかる髪の毛をかき上げて、そのままそっと触れました。思った通り、柔らかくて……ふわふわもふもふでした。
そのまま触っていたい欲求を抑えて、今度は前をめくってもらい、お腹を診ました。
顔や腕よりも少し薄い色の、長めの毛先で覆われていました。正直、顔以上にもふもふで、このまま撫で続けたい衝動に駆られました。
何とか我慢して、背中を向けてもらいました。
……ちょっと毛先は固めでしたが、他より密集していて、みっしりした感触でした。これはこれでアリ、だなと指を埋めていたい欲望が渦巻きましたが、看護師に睨まれて、しぶしぶ手を離しました。
「センセイ……これは、病的なものなんですか?」
「病的、という言葉は、あまり当てはまらないかもしれません。ところで、最近生活に変化はありましたか?」
「あ、はい。実は転職して、つい二ヶ月ほど前に今の職場に入ったばかりで」
「そうですか。お仕事は順調ですか?」
「はい。覚えることが多くて大変ですが、職場の皆さんにも良くしていただいて、充実しています」
「転職、ということは、お引っ越しもされたんですか?」
「はい。前の住まいからは、とても通えないので」
「なるほど。わかりました」
「わかったんですか? これは、何が原因ですか?」
「いえ、わかったのは、あなたが二ヶ月前に、こちらに引っ越してきたことです。ただ、原因、というか、誘因は、ストレスでしょう」
「いえ、さっきも言ったように、今は充実した気持ちで仕事していて、とても楽しいんです」
「そのようですね。ただ皆さん勘違いされている方も多いんですが、ストレスは何もツラい精神状態ばかりを言うんじゃないんですよ」
「?」
「ストレスの原因になる刺激――これをストレッサーと言いますが、楽しい出来事もストレッサーになりますし、物理的な要因もストレッサーになるんですよ」
「物理的?」
「はい。例えば、こちらに引っ越してきて、仕事以外に環境が変わったりしていませんか?」
「環境……確かに。前にいたところに比べて、結構寒いです」
「こちらに来られた方は、皆さんよくそう仰いますね。寒さ……寒冷刺激も、実はストレスの原因になります。特に、じわじわ継続するものは、知らないうちに、小さなストレスを溜め込んでいくんです」
「そうなんですね。で、そのストレスが、今回のこれと関係あるんですか?」
「はい。実は最近、同じような悩みで受診される方が多いんです。共通するのは、引っ越しと寒冷刺激です」
「そうなんですか?」
「はい、多くの皆さんは、転職なり昇進なり結婚なり、何かしらのライフイベントで引っ越されてきた方です。さらに、新天地で色々なことに夢中で取り組んでいるので、その小さなストレスを気付かず溜め込んでいき……なれてきた頃に、緊張がほぐれ、気が抜けて、ストレス反応が出てくるのです」
「ストレス反応……」
「頭痛や肩凝りとか、お腹の調子が悪くなったりとか、体内の免疫力が下がったりして風邪をひきやすくなったりとか、まあ、そんな反応が出ます」
「……そういうのは、ないんですが」
「そうですね。今回のパターンは、一見普通の反応とは違うように見えるんですが、実はそうでもないんです」
「?」
「皆さんは、引っ越しに際して、予防接種されてますよね」
「はい、それが条件でしたから」
「その予防接種の内容もご理解されていますか?」
「えっと、確か、新興ウイルスへの抵抗力向上と、環境適応力の向上、でしたか?」
「その通りですね。三年前に導入された、この予防接種の画期的なところは、単に未知のウイルスへの耐性を作るだけでなく、適応力も上げるところなんです。それは、環境変化から来る小さなストレス因子に対しても効果的なんですよ」
「えっと、ちょっと良く、わかりません……」
「つまりですね、ほどよいストレス反応というのは、ストレス因子、つまり刺激に対して適度に抵抗することで心身のバランスを取りながらその刺激をうまく受け止める訓練をする、言わば自然の予防接種みたいなものなんです」
「少しずつ体と心を慣らしていく、ということですか?」
「はい、対処法を身につけることで、刺激への免疫をつけていくんですね。で、この予防接種は、本人の免疫低下を感知して、その慣らしの期間を大幅に短縮して、最も効率のいい方法でストレッサーに抵抗するんです」
「それってもしかして……この毛、なんですか?」
「はい、
「え?」
A子さんが振り向くと、看護師は白衣の袖をめくって、毛深い二の腕を見せました。
こちらは白い毛で、白衣と馴染んでいます。触感の系統としては、短毛のウサギっ毛です。
「顔とか腕の先は、生えていないんですね……」
「医療衛生上、毛の混入は困るので、露出しているところは脱毛処理をしています。市販の脱毛剤でもいいんですが、肌のトラブルもあり得ますので、専門家による脱毛をお薦めしています。顔と手足は保険効きますので。あ、体は適応外なんですが」
「そうなんですね。私も顔だけお願いしたいかな」
「腕や足はいいですか?」
「年中長袖のパンツスーツなので見えませんし……その方が暖かいし」
「そうですね。かなり具合が良さそうです」
「あの……お願いがあるんですが」
「はい」
「看護師さんの毛、触ってもいいですか? 私、ウサギ好きなんです」
……ワタシは、どっちかと言うと猫派なんです。
A子さんは、サービス精神旺盛な看護師にお腹の毛も触らせてもらい、至福の表情で「もふもふ」しまくったあと、施術の予約を入れてお帰りになりました。
その時には、是非ワタシももう一度、お腹と背中をモフらせていただきたいものです。
まあ、医師の「
まあ、最近は、この「火星型寒冷刺激適応症候群」こと通称「セルフもこもこ」の患者さんも増加中なので、きっとまたワタシ好みの毛質の方がいずれ受診されることでしょう。
毛深いことでお悩みの方は、是非お気軽に当院にご相談ください(各種保険適応)。
寒冷刺激とストレス反応 清見こうじ @nikoutako
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