扉は開かれた
静間弓
1
アメリカンアイランド計画
飛び交うカモメの鳴き声が俺たちの頭上を通過する。水面に水しぶきを立てながら静かに進むフェリーが低い汽笛の音を鳴らし、とある南の島へと帆を向けていた。
照りつける太陽と雲ひとつない青々とした空の下、広いデッキで居場所をなくしたようにうろうろと行き交う学生たちの間を風が通り抜ける。
俺は遠ざかっていく本土の島を見つめながら、一階の船尾で金属製の手すりに身をゆだねていた。
ふと顔を上げたとき、二階の展望デッキにいるふたりの姿が目に入った。
腰の辺りまで伸びる黒髪の彼女はひとり笑顔でカモメの大群に手を伸ばし、もう一方ではオレンジ色の特徴的な髪をなびかせて本を片手に物悲し気に遠く遠くを見つめている。
落ち着きのない友人が目の前を行ったり来たりするのも構わずに、どこか対照的なそのふたりから目が離せずにいた。
***
高校一年の十月、突如掲示板に貼り出された【アメリカンアイランド計画】。
『アメリカの自由な環境が未来を担う子供たちを変える』なんて銘打って、お偉い政治家たちが試験的に始めた新しい教育プログラムである。
学費は無償。条件はたったひとつ。
二年間、島へ完全移住すること。
元は無人島だった島がアメリカ風の街へと変わり、未来に希望を込めた【光の島アカデミー】という高等学校が設立された。
高校二年の九月から編入できるよう募集したこのプログラムに参加できるのは各学校から一名ずつで、その選抜条件は明かされていないが全国から寄せられた応募者の中から二〇〇名の生徒が選ばれた。
移住後は街中に建てられた家でそれぞれ共同生活を送ることになるが、卒業するまでは島からは出られないというのが決まり。
コンビニは港の近くにある一軒のみで、週に一度本や衣服を運んでやってくる商船が市場を開放するのを待つだけだ。
携帯の持ち込みは自由だが島に飛んでいるWiFiを拾うのがやっとで、都会暮らしの俺からしたらあまり住み心地が良いとは言えない。
何でも手に入ると言われるこの時代にそれでも全国各地から集まりこのプログラムに参加しようと言うのだから、それぞれ何かを抱えてここへたどり着いたに違いない。
自分もまた、そのうちのひとりにすぎなかった。
***
正午過ぎ、フェリーは桟橋に到着した。
船の片道切符を手に島へ降り立った俺の前には閑散とした景色が待っていた。桟橋を進んだ先の通りに一軒だけ見える白い建物が島に唯一あるというコンビニだろうか。遠くを見渡しても他には建物らしきものは見えず、改めて都会の有り難みを痛感させられる。
肩からだらんと垂れさがるリュックから、おもむろに角の折れ曲がった案内用のパンフレットを取り出した。自宅に送り付けられたものの中に島の地図が入っていたのを思い出したのだ。
「
そのとき途端に名前を呼ばれて顔を上げると、大きな二本の八重歯を見せて笑う
こちらの返答を待たずに進みながら猫毛の茶色い髪を触る。進んでいく背中を仕方なく追いかけ、俺は手の中のものをぐしゃりとリュックにしまい込んだ。
「ちなみに熊、どれ乗るか分かってんの?」
「知らん!でもまあ、行けば分かるっしょ」
俺は三台ほど停まっている送迎バスを見ながら、いつでも楽観主義な熊の口から出た言葉に空笑いを浮かべる。
俺たちは進学した高校が違うものの同じ中学に通っていて、それ以来友達の少ない自分にとってたったひとり親友と呼べる存在だった。そして訳あって高校入学してすぐに不登校になり何もかもどうでも良くなっていた俺に、この島の編入制度を教えてくれたのは熊だった。ここへ来てしたいことがあったわけではないけれど、とにかくその場の環境を変えたくてすぐに話に飛びついた。
乗り込んだバスはそれぞれの家に向かって舗装された砂利道を通り、森の中へと入っていく。
男女で暮らしのエリアは分けられていて、このバスの行き先は俺たちの家がある島の中心部だ。女子は比較的見通しの良い大通りに面した港沿いで、学校まではスクールバスで通えるようになっているらしい。これから卒業までの二年間、俺たちはランダムに分けられた五人で同じ屋根の下で暮らす。
俺は運よく熊と同じグループになり、内心ホッとしていた。
最初にバスが停まったのは黄色い屋根の家の前。平屋の一軒家で玄関前にはウッドデッキが敷かれている。バスの中から食い入るように窓にへばりつく男たちが、いかにもアメリカンスタイルといった想像以上にお洒落な造りに驚かされた。
次に停まったのが青い屋根の家でそれが俺たちの家だ。造りはほとんど一緒だが、外壁やレンガの種類が少し違い細部にこだわっている様子が伺える。
「いらっしゃい」
するとエンジン音を聞きつけてか、大きなお団子頭が特直的な色黒でふくよかな女性が家の中から現れた。
「私のことはマリアって呼んで。よろしくね、みんな」
まともに顔すら合わせていない俺たちが呆然としているのをよそに、玄関先で手招きする彼女はおそらく四十代半ばほどの中年女性だ。パンフレットにはたしか各家に食事や身の回りの世話をしてくれる人が駐在すると書かれていて、きっと彼女がその寮母のような存在の人なのだろう。
「日本人っぽくないな」
「ええ、ハワイ出身なの」
俺に向かってぽろりと囁いた熊の声をいち早く拾ったのはマリアだ。響くように返ってきた言葉に驚き、熊は彼女の笑顔にギョッとして引きつった表情を見せる。
マリアは地獄耳。気づけばルームメイトとなる五人が自然と目を見合わせて固まり、何かを察したように静かに頷いた。
「扉にそれぞれ名前のプレートを下げておいたから、まずは自分の部屋を確認して。細かいことはそのあと説明するわ」
【
リビングやバスルームは共同だが、達筆な字で一言【私物持ち込む勿れ】と書かれた独特な貼り紙を見つけた。
それでいて誰の趣味かというくらいに個性的なハニワが何体も並べられていて、共同スペースというよりかマリアの領域を使わせてもらっているといった感覚である。
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