スクールカーストと催眠アプリ

螺旋らがん

1章 クズと反逆と催眠アプリ

第1話 スクールカースト底辺の日常

 七月。初夏。

 セミの鳴き声がすぐそばに聞こえてくる蒸し暑い季節。


「あー、マジでダルいし暑い。次の授業、サボろうかな~」


 窓際にある席に、女子が足を組んで座っている。


 名前は宮野愛羅みやのあいら

 この学校でトップの美人。


 かなりの小顔で、眼は大きく、ネコのように丸い。蠱惑こわく的に細められた瞳は、男だろうと女だろうと虜にしてしまうだろう。

 体型もまたモデル並みだ。その胸は男子ならば目を奪われて当然といった豊満さで、制服のボタンが張り詰めている。

 トップアイドルの娘だけはある、秀麗しゅうれいな容姿だ。


「ねぇ、美里みさと~。ここに座るから授業中しゃべらない?」


「べつにいいけど」


 愛羅の隣にいるのは、真山まやま美里。

 こちらも美人だが、対照的にどこかクールな雰囲気だった。


 肩まである黒髪は手入れを欠かしていないのか、繻子しゅす織りのように鮮やかだった。前髪は片方だけ伸ばしており、眉目を隠している。

 垂れ目がちだが、あおい瞳は評判が高く、彼女を語るときには必ずといっていいほど話題にあがる。

 

「でも」


 美里がこちらを向いた。


「そこ、タヌキの席だよね?」


 彼女たちの視線が、教室の後ろに立っているに注がれる。


 タヌキ、というのはあだ名だ。

 姓が綿貫わたぬきだから「わ」を抜いてタヌキ。

 名は隆吾りゅうご

 元々は友達のあいだで使う愛称だったはずだが、それを彼女たちに知られてからはほぼ蔑称扱いを受けている。


 愛羅はへらへら笑いながら言った。


「えーやだ。ここ涼しいんだもん。いいじゃん。あいつ立たせとけば。……ねぇ、タヌキ?」


 返事を求められて、隆吾は答えに窮した。


 ここで下手なことを言えば、あとで仕打ちを受けるか分かったものではない。かつての反抗心を失いつつある隆吾には、十分な恐怖だった。

 愛羅はこのクラスのカースト上位。

 この教室は担任教師ではなく、彼女たちが支配している。


 口ごたえをした生徒がどうなったかはよく覚えている。


 制服を破かれたり、イスを壊されたり……相手が男ならば実力行使に出てくることもある。

 隆吾の親友もまた服を脱がされ、手足を縛られると、無理やりに掃除箱に押し込められた。

 放課後、脱水症状で死にかけているのを、校舎の見回りをしていた用務員が発見しなければどうなっていたか。


 それを学校は「なかったこと」にした。


 愛羅の母親は芸能界の元トップアイドルで、事務所も最大手。

 父親は大企業のCEO。

 どちらもマスコミやPTAだって頭が上がらない高みにいる。


 殺されかけた親友は転校を余儀なくされた。

 ただの一般家庭では、圧力に屈するしかなかったのだ。


 あの日、舌の根に湧いた苦渋の味はいまでも思い出せる。


「答えろよタヌキ。ボーッと黙ってないでさぁ。答えないとぉ、この油性ペンでタヌキの机を楽しくしちゃうよ~」


「……あとで先生に席に戻れって言われるぞ」


「先生は愛羅のこと大好きだから大丈夫で~す。だからタヌキはそこで立ってなさ~い。アハハハハッ! っていうか教室から出てけば? 空気臭くなるし。机も捨てといてあげるからさ~」


 カッと怒りが湧いた隆吾は、精一杯の強がりを口から吐き出した。


「つ、机ごと蹴り倒すぞ!!」


「はぁ? んなことしたら、まーくんにおまえ殺してもらうけど?」


 まーくん、というのはこのクラスにいる愛羅の彼氏だ。

 宇賀誠人うが まことだからまーくん。


 このクラスにいる、男子のカースト最上位。

 サッカー部に所属していて、一年のエース候補と呼ばれているらしい。


 こっちもこっちで折り紙つきのクズだ。

 体育の授業で、運動神経のない生徒の足を蹴ってアザを作っていたのは記憶に新しい。

 愛羅とはつい一か月前に付き合いだしたらしい。入学してから仲は良かったから、この早い交際に誰も不思議とは思わなかった。


「俺がなんだって?」


 聞き覚えのある低い声が、背平にぶつけられる。


「おいタヌキ。おまえまた愛羅に口ごたえしてんのか」


 振り向くより先に、肩をゴツッと殴られた。

 刺すような痛みが筋肉まで響く。

 勢いの強さにつんのめりそうになりながら踏ん張り、後ろを振り返る。

 相手はニヤニヤと笑いながら、こちらを見下していた。


 イケメンと評して差し支えないビジュアルだ。

 だが、その下卑た両目には、嫌悪感しか覚えない。


「なぁ、言ったよな? 俺はさぁ、優しいから何度だって言うぞ? たかが席ぐらいであーだこーだ言うな。おまえが立っておけばみんなハッピーなんだからさ、黙って立っててくれよ。愛羅のために」


 誠人の傲慢な物言いはいまに始まったことではない。

 命令を聞かなければ殴り、蹴り、屈服するまで責め続ける。


 何度か逆らってきたが、すでに限界だった。

 幾度とない敗北によって身心ともにボロボロ。こぶしを振るう前に気力が折れている始末。

 誠人は隆吾をくみしやすいと見るや、暴力行為にまったくの躊躇を見せていない。

 それでも、親友のために負けられなかった。


「……断る」


「おまえさぁ……マジで殺すぞ」


 肩を掴んでいる手に力をこめられ、針を刺されたような痛みを覚えた。爪がガッチリと制服ごしに食い込んでいる。


 怖い。


 脳内をたっぷりと満たす重苦しいおりのような感覚。手足が麻痺し、爪の先まで縛られてしまっているみたいだった。

 恐怖に屈することはたやすい。

 だが、こちらにも退けない理由がある。

 睨め。

 睨み返せ。


「タヌキさぁ、おまえマジでさぁ、なんで俺らに逆らうかなぁ。片割れはとっくにいないのに、勝てるわけもねえのに、なぁ?」


「い、いい加減、みんな、ウンザリしてんだよ! おまえらのバカみたいな態度にさあ! 気づけよ!」


「じゃあ、きくぞ? おい! おまえらって俺らのこと嫌いなの?」


 誠人が教室中に向かって怒鳴ったが、


「…………」


 肯定する者はいなかった。

 みんな目を逸らして、黙過した。

 声ひとつあげず……それこそが彼らの出せる唯一の答えだった。

 期待していたつもりはなかったが、落胆を禁じ得なかった。

 しかし、誰が彼らを責められるだろう。

 見過ごせば、痛い思いをしなくて済むのだから。


「ハッ!」


 誠人は噴き出すと、腹を抱えて笑った。


「俺ら嫌われてないじゃん? なんで嘘ついたの? おまえ」


「だから、おまえがっ……」


「嘘ついてんじゃねえよ!!」


 瞬間、みぞおちに激痛が走った。


「ぎぁ……ッ」


 誠人のこぶしが突き刺さっている。

 内臓にまで響いた一撃は、肺から酸素を根こそぎ吐き出させた。胃液が込み上げ、喉を焼いた。


 その場にうずくまって悶えていると、容赦なく背中に足が載せられた。

 重圧に耐えきれず、床に這いつくばる。


「ぐ……がが……」


「ハッ」


 誠人が体重をかけて、痛めつけてくる。


「つらそうだなぁ? すっげえ申し訳ないことをしてると思うよぉ。マジで。すぐに保健室に行ったほうがいいんじゃねえかな? あ、先生には言うなよ。言ったら骨を折るからな」


「ふざけ……あがっ!!」


 頭にかかとを落とされて、顔面を床にしたたか打ちつけた。

 ツーンとした刺すような痛みと同時に、鼻の奥から鉄のにおいが這い上がってくる。


 愛羅が誠人の背中に抱き着いて「まーくん、かっこいー!」とはしゃいでいる。


「二限目まで保健室行くって言えよ! な? 親切で言ってんだぞ俺は?」


「ぐぉっ……!?」


 脇腹をつま先で蹴り飛ばされて、呼吸すらままならないなか、どうにか声を絞り出した。


「い………………行く………………」


「おお、そうしたほうがいいよ。苦しい思いなんかしたくねえだろ? 俺もこんなことしたくねえんだよ。でもさ、おまえが悪いんだぞ? 俺にこんなことをさせたことに罪悪感を覚えてほしいなぁ」


 解放されて、隆吾は鼻を抑えたまま蹣跚まんさんとした足取りで教室を出た。後ろから笑い声が聞こえてくる。


 また、負けた。

 鼻腔から口にまで流れてきた錆びた鉄の味は、敗北と同じぐらい苦かった。


 保健室にやってきた隆吾に、女の先生が一言。


「男子のくせにやわだねぇ。それぐらい軽い軽い」


 心底めんどくさそうな態度だった。

 実際、隆吾の鼻血はほとんど止まっていたが、だからといって言い方というものがあるだろう。

 とはいえ、彼女の態度はもっともだ。

 この傷は愛羅が原因であることは自明だ。先生は以前から「わざわざ愛羅と関わるほうが悪い」というスタンスをとっていた。


「大したケガじゃないけど、誰か来るまで寝てていいよ」


「は、はい……」


「……大人しくしとけばいいのに」


「…………」


 ベッドの柔らかさだけが救いに思えた。

 病院と違って、保健室は気楽だ。


 その雰囲気のせいか。自然と、気が緩んでしまった。

 真っ白なシーツの上で体を丸め、胸に広がる屈辱に嗚咽おえつをこぼす。眼の奥が痛み、視界がにじむ。


 刃向かってみたが、結局なにもできなかった。


 ひとりでは太刀打ちすることすらできないなかった。


 隆吾にだって、以前はヤツらに歯向かう牙があった。

 だが、隣に立つ親友を失い、怯えが身心を震わせ、どうにか正義感をうそぶくのが精一杯という現状。


「クソ……」


 スマホで気を紛らわせよう。

 すぐに忘れて、頭を切り替える。それが一番だ。

 ホーム画面にはSNSやゲームのアプリが乱雑に置かれており、後ろにある犬の壁紙をほとんど隠してしまっていた。


「…………?」


 その中に見覚えのないアプリがあった。


 紫色の背景に、三角形に囲まれた目のイラストが描かれている。

 アプリ名の欄には「催眠」とシンプルながら不吉な二文字が書かれていた。


「なんだ……これ……?」


 不注意だったが、そのアプリをタップしてしまった。

 暗転してすぐに、まるで素人が作ったみたいな、黒い背景に白い文字だけの画面があらわれた。


『催眠アプリ』


『これを使えば好きな相手をあーんなことやこーんなこと、そーんなことまで、できちゃいます!

 ただし! 強い催眠には高いレベルが必要だよ! レベルを上げたい場合はたくさんの善行をして、善行ポイントを溜めましょう! 詳しくはチュートリアルを見てね!』


「な……なんだこのヤンチャすぎる文章は……」


 

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