第4話 生活が始まった




「……」

 私は湯船につかりながら、息を吐きだした。

 色んな事が一変に来て、何からどう受け止めればいいのか理解ができない。


――もう、あの連中と関わらなくて、いいの?――


 私の事を虐げてきた連中と関わらなくていいのなら、少しは楽だった。


「……お母さん」

 母の事を思い出した。

 差別されて遺骨は墓に入れられず、捨てられそうだったのを私が骨壺ごと隠していたが、あれは――


「あ!!」


 鞄に入ったあれ、何かされたらどうしようと思い慌ててお風呂から飛び出した。



 タオルを体に巻き付けて脱衣所から飛び出す。

「あ、あの、私の鞄……!!」

「もっとゆっくり――」

 二人が振り向いた途端、ディランさんがアシェルさんの首を掴んでこちらを向かないように戻した。

「いでででで!!」

「……優月、君の鞄には一切手をふれていない。だから安心して入浴をすませるといい、そして服はちゃんと着る様に、いいね」

「え、あ」

「いいね?」

 圧のある声に、私は思わず脱衣所に引っ込み、鍵をかけてしまう。


――ディランさん、怒ってた?――

――そう、だよね。普通こんな格好ででてきたら怒るよね……――


「……ちゃんと、お風呂入って着替えよう……」

 私はタオルを取って、風呂場へと戻った。





「いででで……!! ディラン! 俺の首の骨を折る気か?!」

 アシェルは首を抑えながら呻く。

「貴様が私の妻の裸同然の恰好を目にしたのが悪い」

「あれは不可抗力!!」

「知らん」

 喚くアシェルを無視してディランは料理を並べていく。

 日ごろあまり食事を与えられなかった彼女を考慮しての料理を。

 消化に良い料理を、胃袋に負担の少ない料理を。


「……」


 服で良く見えなかった痩せ細った体が良く見えた。

 もっと早くに助け出していればよかったと、ディランは自分の行動の遅さを呪った。





 何年かぶりの温かいお風呂から出て着替えて、脱衣所を後にする。

「す、すみません……」

「いや、いいんだ。それよりも食事をしたほうがいい」

「は、はい」

 椅子に座り、おいしそうな料理につばを飲み込む。

「あ、あの、本当に食べていいんですか? これ?」

「良いとも。不味かったら遠慮なく言ってくれ」

「い、いえ……そんなこと……じゃあ、いただきます」

 私はそういってスプーンを手に取りスープを口にする。


 優しく温かな味が口に広がる。

 母が死んでからこんな料理、食べてない。


 私はぼろぼろと涙をこぼしながら食べていた。

 その所為で美味しい料理の味が分からなくなってしまった。



 落ち着いてから、温かなタオルで顔を拭いてもらって、歯磨きをして、温かな毛布が敷かれている、ちょうど良い硬さのベッドに寝かせて貰えた。

「……これ、夢じゃないですよね?」

 思わずたずねてしまう。

「夢ではない、現実だ。だからもう休むといい」

「よかったぁ……」

 今までの疲れがどっと襲ってきて私はそのまま目を閉じた。





「……」

 穏やかな寝息を立てている優月を見て、ディランはほっとした。

 そして立ち上がり、部屋を出ると、支度をしているアシェルがいた。

「ディラン、仕事が一件入ったぞ」

「分かった、今夜中に終わらせよう、優月の朝食の準備をしないといけないからな」

「分かった分かった」

「それとアシェル」

 ディランはアシェルを軽く睨む。

「何だ?」

「他の連中にこの事を言いふらすなよ」

「分かってる……っても時間の問題だと思うぜ?」

「それでもだ」

 ディランにも分かっている。

 一部には知られているし、優月の護衛も頼んでいる、だから時間の問題だ。


 それでも、優月の事をできるだけ知られたくなかったのだ。

 彼女が自分を本当に信頼してくれるまで、時間をとりたかったのだ。





「ん……」

 目を覚ますともう、朝だった。

 時間は七時。

 罵られる音も、何も聞こえない。

 パジャマのまま起き上がり、寝室を出て食堂へ向かうとエプロン姿のディランさんがいた。

「お、おはよう、ございます」

「おはよう、優月」

「優月ちゃん、おはよう」

 よく見れば、ソファーでサンドイッチを口にしているアシェルさんがいた。

 テーブルには朝食と思わしき料理が並んでいる。

 炊き立てのご飯に、お豆腐とわかめの味噌汁、お漬物。

「この国の食が今だ分からなくてな、すまない」

「い、いえ!! 美味しそうです……」

 実際良い香りがする。

「あ、あのこれ」

「食べてくれ、君の為に作ったんだ」

「あ、ありがとうございます……!」

 どれほどぶり――否、母が死んでからずっと冷たいごはんを、残飯を漁っていたからわからなかった。


 温かな食事が、こんなにも心地よいものだなんて知らなかったのだ。


 思わず涙が出る。

「ど、どうしたんだ? もしかしてしょっぱすぎたか?」

「いえ……こんな温かくて美味しいごはん……本当久しぶりで……お母さんが死んで以来ずっと食べたことがなかったから……」

「――」

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいんだ。ゆっくり食べてくれ。食器は流しに置いておいてくれれば洗うから」

「え……あの、どこかにお出かけ……?」

「仕事が入った、行くぞアシェル」

「ちょっと俺まだ飯……ぐぇ!!」

 顔が全く見えなかったけど、何処か怒っている風に感じられた。


――ディランさんは何を怒っているのだろう?――


 理由が分からなかった。





「分かった、分かってるから離せ!! 落ち着け!!」

 ディランに引きずられ、優月がかつて暮らしていた町につれてこられたアシェルは、何とかディランから解放された。

「何が落ちつけるものか、優月がどれほど酷い扱いを周囲から受けていたか再認識した」

「まぁ、気持ちは分かるよ」

 アシェルは町の周辺を見渡す。

 町の周囲には高いバリケードが設置され、住民の逃亡を防ぐように囲まれている。

 わずかに空いているゲートから住民が逃げ出そうとしているがほとんどが追い返されている。


 このバリケードは悪魔が出やすくなった地域を隔離するためのバリケードだ。

 つまり、中にいると高確率で悪魔に殺される。


「悪魔に殺される恐怖に怯えながら生き続けろ、私は貴様らを許しはしない」


 ディランの碧眼に憎悪の光が宿っていた。






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