残された者たち

朝食

私を見て①

「お母さん、今日も行ってきます。」

息子は今日も律儀に面と向かって丁寧にあいさつをする。

「あんた、今何時かわかってんの?今日も遅刻する気?いいから早く行ってきなさい。」

「あ、やばい、もうこんな時間!!」

壁にかかっている時計を見るや否や、驚いた猫のように立ち上がる。急いで学校のリュックと部活で使うバスケットボールシューズを持ち、玄関へ向かう。

「お父さん、行ってきます。」

リビングの扉を開けながら、まだ座って新聞を読んでいるお父さんに挨拶をし、部屋を飛び出す。

「おう、行ってらっしゃい!」

お父さんは、新聞から顔を上げ、子供のような無邪気な笑顔で返事を返す。辛うじて息子の背中にはぶつかっただろうか。

「あなたには、見向きもしなかったわね。せっかくの満面の笑みなのに。てか、あなたもそろそろ時間でしょ!早く準備しなさいよ!」

旦那は目が合うことのなかった顔を戻し、おもむろに時計を見る。

「おっと、もうこんな時間か」

新聞を折りたたみながら立ち上がり、コーヒーを飲み干すと、足早にリビングを出ていく。ようやく動いた旦那の代わりに私は、さっきまで旦那が座っていた椅子に腰を下ろす。主婦の一日は忙しい。休めるときに休んでおく必要がある。そう思いながら、私はリビングの机に突っ伏し、庭に咲いた白と黄色の百合の花を眺めながらまどろむ。

「ふふっ。」

今年もしっかり咲いた百合を見て、思わず笑みがこぼれる。十数分後、また、少し足早に旦那がリビングに戻ってくる。ネイビー色のスーツに包まれ、身も心も引き締まったような表情をしている。準備万端で、仕事モードの顔だ。しかし、旦那はそのまま玄関へと向かうのではなく、一度私に向き直って座り、また、息子に向けたときのような無邪気な笑顔で声をかける。

「行ってきます。」

そして今日も旦那は仕事に向かう。私はその背中を見送る。

ふいに涙が零れ落ちる。これが、何の涙なのかはわからない。悲しさなのか寂しさなのか、いや、きっとうれし涙だろう。

「ふふっ、だからめー合ってないんだって。」

「行ってらっしゃい。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る