5.存在意義

 城の中が随分と色めき立っている。その原因は新しくやってきた『聖女』と、そしてこの国のアルフレッド王だ。

 王は新たに聖女を召喚したかと思えば、今その聖女に付きっきりなのだと言う。何をするにも傍に置き、食事も共に取っていると聞いたときは苛立ちを通り越して呆れるばかりだ。そして城の者たちもすっかりその噂話に夢中になっている。

「確かにあの聖女様可愛いもんなぁ」

「王はああいう子が好みだったんだな」

「だからって前の聖女がブスだったわけでもなさそうだったけどなぁ?」

 手持ち無沙汰なのかそんなことを駄弁っている同僚に横目で視線を投げる。確かに騎士の仕事は城を守ることだと言われているが、こうしている間も外は霧が発生し濃くなっていく。その現状をここにいる者たちはその目で確かめたことがない。

 視線を前に戻し同僚の話し声を耳に入れないようにする。誰にでも聞こえる声量で話してはいるが積極的に聞こうとも思わない。我関せずの状態で立っていると腕を小さく小突かれた。

「お前そういえば前の聖女の護衛にあたってたよな。前の聖女ってどういう奴だった? マジで使えない奴だったわけ?」

「彼女は弱音を吐くことなく、真面目で切実な女性だった。聖女として立派に勤めを果たしていた」

 関わったこともない、会話もしたこともない者に好き勝手に言われるのはいい気がしない。見たままの姿を口にすれば、同僚たちの顔には笑みが浮かんでいた。

 彼らにとって真実はどうでもよく、ただ娯楽として楽しんでいるだけだ。

「そうなのか? そしたら王も追い出すこともしなかったはずだけどなぁ?」

「まーまー、王様に楯突いてたって言うじゃん。見てた奴もいるって」

「おー怖い怖い。お前の前だけいい顔してたんじゃね?」

「女の顔?」

「そりゃ聖女サマも女だしなー! ハハハッ!」

 王に意見していたのは、彼が聖女の仕事に関してあまりにも無関心だったから。効率よく巡礼するための意見を言ったところで王は簡単にあしらっていた。そのことがこんなにも湾曲した形で伝わっているとは。

 ツッと柄を指で撫でる。それを見た同僚の顔色がサッと変わり、未だにケタケタと笑っている同僚に向かって「お、おい」と止めに入っている。それだけで彼らは愛想笑いを浮かべて逃げるようにこの場を去っていった。そんな反応をするぐらいなら最初から絡まなかったらよかったものの。

 外へ視線を向ければ相変わらずこの国は薄い霧で覆われている。サヤが行こうとしていた場所は大丈夫なのか、と心配になってくる。彼女が行こうとしていた場所はどこも極限状態だ。だからこそいち早く周れるよう、サヤと神官たちは念入りに作戦を練っていた。

 というのに。新たに来た聖女は未だに巡礼に行く様子はない。王が彼女に豪華な食事を与え、聖女の部屋として存在している場所に置くことなく別室に彼女を住まわせている。きらびやかな服に、常に手入れをされている髪。明らかに度の越えた待遇に不満を漏らしているのは、神官たちだった。

 そんなことする前に彼女に聖女の役割を教えるべきだと。口を酸っぱくして忠告しても、あの王は聞き入れない。そのせいで神官たちは気を揉んでいた。そうしている間に霧は広がり濃くなる。そして魔物が現れ人々を襲う。

「王様! わたし聖女として頑張らなきゃいけないことあるですよね?」

「ああ。だがまずこの世界に馴染むことが大事だろう? 何、そんなに急く必要はない」

 王座の隣にいつの間にか存在している椅子。そこに座っている女性はキラキラとした瞳で王を見ている。見たところ十代だろうか、純粋な言動に王のみならず周りの者の表情も緩んでいる。

 サヤは、この世界に馴染む前に聖女としてあの部屋に閉じ込められあらゆることを叩きこまれた。弱音を吐くことなく、この国のためにと彼女は必死に学んでくれていたと巡礼を共にしたセシルさんがそう教えてくれた。聖女がサヤでよかった、彼女を支えることを誇りに思う、そう口にした彼は今はどんな気持ちだろうか。彼女が追い出されようとしたときも彼は王に意見した。後でどんな罰が待っているかわからないというのに、そのことに怯えながらも一歩も引くことなく。

 目の前で行われているやり取りがくだらなくなり、ソッとその場から離れる。騎士の一人が広場からいなくなろうとも気付く者はいない。静まり返った廊下で自分の足音がやけに響き、小さく息を吐き出す。

「勝手に持ち場を離れるな。教育されたいのか」

 背中から聞こえてきた言葉にスッと後ろを振り返る。流石に上司である彼は場所を離れたことに気付いたか、と小さく毒づいた。騎士団長であるティグラン・メラナイトは王に忠誠を誓いそして右腕でもある。

 忠実と言えば響きはいいが、その実王に言われたことしかやらない騎士団長。

「あの場に俺が必要ですか?」

「あの場の護衛がお前の仕事だ。持ち場を離れるな」

「あれだけ騎士がいるというのに、一体誰が王に危害を加えることができると言うのです」

「口答えをするな」

 先代の王のときは、こうではなかった。確かに今と同じように割り当てられた仕事のみをしていたが、しかしそのときは皆己の職務に誇りを持っていた。それが徐々に失われてしまったのは、先代から今の王になってからだ。

 彼らに誇りなど感じない。割り当てられた仕事のみをする、そこに怠慢を感じる。もしそうでないのであれば、職務中に無駄話などしないだろう。面白半分に勝手な噂を広げたりはしないだろう。王の一言で追い出された聖女に憂い、あんまりではないかと声を上げる者もいたかもしれない。

 騎士団長に背を向けそのまま足を進めれば、後ろから剣を引き抜く音が聞こえる。城のど真ん中で流血沙汰など処罰が下されるというのに、それすらも忘れてしまったのだろうか。小さく口角を上げ半身だけ振り返った。

「その腕を斬り落とされたいのであれば、どうぞ」

「ッ……! 貴様ッ……」

「失礼します」

 彼に一瞥しその場を離れる。後ろから斬りかかられることはなかった。


 向かった先は城の端の方にある、聖女の部屋だ。歴代の聖女がその部屋を使い巡礼について、そして次の聖女へ聖女としての務めを引き継がせるための書物が置かれている。百年に一度濃い霧が発生されると言われ、聖女も百年に一度召喚されるという伝承がこの国には受け継がれている。

 そして聖女の伝承は、このサブノック国のみだ。

 誰も中にいないと知っていながらドアをノックする。少し前まですぐに戻ってきた返事はもうそこにはない。ゆっくりと扉を開ければそこはほんの僅かに埃っぽかった。

 中に入って窓を開け、換気をする。前に大切な紙が風で飛ばされそうになり、慌てて掴んだことを思い出した。悪いことをしたと謝った俺にサヤは笑顔で「大丈夫ですよ」と口にした。あのときのサヤの目の下には薄っすらと隈が浮き出ていた。

「リクさん……?」

「セシルさん……すみません、勝手にこの部屋に入って」

「いえいえ、貴方なら大切な書物を持ち出すなんてことしないでしょうから、大丈夫ですよ」

 久々に顔を合わせたセシルさんの頬は以前見たときよりもやつれている。ずっと気が気でない状態が続いているせいだろう。

「神官たちの様子はどうですか?」

「……皆気を揉んでいます。聖女が未だに巡礼に出るどころか聖女としての仕事を覚えていない状態ですので。せめて聖女の力とまではいかなくとも、私たちの力で少しは碑石を直そうと王に提案したのですが……」

 彼の様子を見る限り、一蹴されたのだろう。重々しい空気を吐き出す彼にこちらの表情も歪む。

「それに……私は聖女巡礼の従者の役目を、解かれました」

「なっ……」

「私に出来ることが、徐々に奪われてしまう」

 王に意見したことへの罰なのか、それにしても今後のことをまったく考えていない手法に唖然とする。彼ほど聖女について詳しく知っている者はいない。そして何よりサヤの従者の役割を果たしていたため誰よりも勝手がわかっている。これからのことを考えるのであれば、彼はそのまま残ってもらったほうがいいに決まっている。

 こうなると今の聖女の巡礼も、果たして神官が従者を割り当てられるかどうかもわからなくなってしまった。今の聖女を召喚した魔導師の方だ。魔導師を巡礼に連れて行くなど、そんなことどの聖女の書物にも書かれてはいない。

 彼女が使っていた机に近寄り、そっと撫でる。もしや今までの聖女も、あらゆる理不尽があったのかもしれない。

「……先代がご存命であれば、こうなることはなかっただろうに……」

「もっと早くに病に気付いていれば……力及ばず、無念です」

 あれほどの慈悲深い王であれば、こういう状態にはならなかったはずだと思わずにいられない。先代ならば恐らく霧が発生した段階で素早く対処をしていたに違いない。例え城が手薄になろうとも各所に神官と騎士を配置させ、人々が魔物に襲われるなんてことはなかったはず。

『愚息にお前ほどの慈しみを持っていれば……ついそう思ってしまうよ』

 まだ存命であった頃に言われた言葉が、まさかこうも重く伸し掛かってこようとは。先代はあのとき既に、有事の際どうなるか憂いていたのだろうか。

「……リクさん、貴方がこの国に義理立てする必要はもうないはずです」

「セシルさん……?」

「もう、いいのではないのでしょうか?」

 淡く微笑むセシルさんに視線を向ける。彼には巡礼のときに少しだけ話しをしていた。

「サヤ様と出会って、私の思考が今まで如何に停止していたのか実感しました。言われたことだけやればいい、それが務めなのだと思っていたけれどそうではない。自身で考え、動くことが大事なのだと。それを貴方と彼女は実行していましたね」

 彼は細く薄い手で俺の手を包み込む。神官の手と騎士の手はまったく違う、けれどそこにあるぬくもりは同じだった。

「この国に心を侵される前にお行きなさい」

 その言葉は決断に迷っていた俺の背中をそっと押した。

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