ムーン・シャイン

狩人(前編)

 今日の獲物は、野ウサギ一羽だった。


 最近、鹿や猪などの大物は、めっきり見かけなくなった。

 言っておくが、狩りの腕が落ちたのではない。

 髪や髭も白くなり、歳を言えば老人の範疇はんちゅうだろうが、まだまだ射撃の腕は衰えていない。今日も2百ヤード先のウサギを仕留めたのだ。 


 ただ、一日中険しい山を巡って、これだけの収穫では、体力、気力ともに辛いものがある。


 *****


 昼をすぎると彼方の険しい峰々がガスに覆われ、ノートの落書きを消しゴムで消すように、かすんで見え隠れする。

 荘厳で幻想的な光景だが、見惚みとれる暇はない。次第に風が強くなり、頭まで覆う分厚い鹿のコートがはためき、頬に冷たいひょうの粒があたり始めてきた。


 白の世界は次第にその密度を増し、さらに上空から灰色の暗雲が魔物のように覆い被さってくる。


「思ったより早い」

 強い風雪の中、幾重にも重ねている防寒着の毛皮がはためき、煽られながら歩いた。


 急ぎ足で険しい断崖沿いのけもの道をくだりきると、雪の積もった枯れ木の森を抜け、やっと轍のある林道にたどりつき一息ついく。

 タバコを吸いながら空を仰ぐと、風が蕭蕭しょうしょうと吹き流れ、頭上に迫る暗雲の流れが早い。


(俺はここにいて、何をしたいのだ)


 そう自問しながら腰をあげた。

 村に着く頃には夕暮れとなり、寒村に一軒しかないバーに向かった。

 看板もないさびれた店だ。

 きしむ扉を押し開けて入ると、カウンターだけの薄暗く狭い店内、客はいない。


「マスター、いつものをいただくぜ」


 壁に飾られている自分のキープボトルを持って座ると、置かれているグラスに注いだ。

 勝手知ったる常連客だ、マスターは何も言わない。カウンターの籐籠に常備しているピーナッツをつまむと、正面に置かれた小さな鏡が目に入った。

 そこにはグラスに漂う琥珀の液体と、シワが増え、頬のこけた顔が映し出されている。

 ため息をついて、グラスの酒を一気に喉に流し込んで話かけた。


「どうだい景気は」

「ご覧の通りさ。このうえ雪になると、誰も夜に出歩く者はいない」


「これこそ俺の望んだ町だ。それより、美味うまいコーヒーでも入れたほうが儲かるぜ、バンドンの港のコーヒはいい酸味がきいていた」

「だったら、どこぞの町にでも行って消え失せな」

 私は苦笑いしながら


「知っているだろ、俺は他に行く場所はない。それに、ここのムーン・シャイン密造酒は格別だ」

 そう毒づいて、カウンターの隠し扉の中にある、ラベルのない瓶を出して空いたグラスに注ぎ、顔を天井に向けストレートで一気に飲み干すと、喉が焼け体が燃える。


 その加虐的な陶酔で、ほんの一瞬だが魂が浄化される。しばし、全てを忘れさせる心地よい余韻に浸ったあと、ふと窓を見るとサッシの縁が白くなっていた。


「今夜は積りそうだ……」そう呟いて、立ち上がると

「代金は置いておく、釣りはいらない」

 カッコつける歳でもないのだが、カウンターにクシャクシャの札を置いて店をでた。


 *****


 周囲は音もなく、懐中電灯の光に映る雪の粒が、闇の中から際限なく降り落ちる。

 町はずれの自分の家に着くまでに、すっかり雪まみれになってしまった。


 闇の中にある真っ暗な家に入ると、明かりを灯し、種火から暖炉に火をつけ、部屋が暖まるまで、銃や獲物を片付けた。

 干し肉と野菜を、準備していた鍋に放り込み、暖炉の上に置く。そのあと、煮立つまでの間、沸かしておいた湯でコーヒーを入れて一息ついた。


 この変わらない毎日。 

 孤独な生活、孤独な人生。

 口うるさい、女房や子供がいても疲れるだけだろう。

 気ままに生きるのも悪くない……と、強がってみる。


 孤独と言いながらも、部屋があたたまった頃に、客が来た。

 ちょうど夕餉ゆうげができた頃にくる、図々しい腐れ縁の友人だ。


 扉を開けると、無言で部屋に入りテーブルに向かうので、私は執事のように椅子を引いてやる。それでも、礼ひとつ言わない無愛想な奴だが、若い頃からの付き合いで私も気にしない。


「まあ、あたたまっていきな」

 煮立ったスープ鍋をテーブルに置き、再びボトルを開ける。


 食が進むと向かいの席に話かける

「最近は獲物が少なくなってきた。寒冷化が進んでいるようだ、鹿や猪は五年ほど前から見かけなくなった」

 友人はうなずくだけ。


 暖炉で薪のはじける音が、沈黙の部屋に心地よいアクセントをつけ、窓枠には闇を背景に少しずつ雪が溜まっていく。


「静かな夜だ、あまりにも静かだ」


 友人は「人の気配すらしない」と言ったような気がして、私は頷いた。

 会話は進まず、窓に降り積もる雪を眺めていると、そのうち酔がまわり、私はウトウトと寝てしまった。


 気がついた時には友人も帰っていたようで、暖炉の火を小さくして、私はベッドに潜りこむ。

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