第42話 ひきこもり、天使と共に【前編】

 クララは不思議そうな顔をしてバスに乗り込んだ。荷台が馬に引かれていないのにも驚いたが、その人間を乗せる荷台の大きさは信じられないぐらい大きかった。


「凄い魔道具ね……」


 ぱちぱちと、目をしばたたかせ、周りを見やる。そして、辺り構わずぺたぺたと触りまくり、そのの感触を確かめていた。


「バスっていう、この世界の乗り物だよ」


 俺は苦笑いしつつ、そう返した。


 次の行き先がアナウンスで流れ、バスが出発した。窓際の席に座っていたクララは、バスが走っている間ずっと顔を窓に貼り付けて、車窓を眺めている。山道が続くので、異世界から見る風景と、さほど変わらないんじゃないのかと思いつつ、彼女の好きにさせていた。バスは四十分ほど走り、終点である鉄道駅に到着した。


 改札口の使い方さえ分からない彼女に、電車に乗ることわりを教えるのは、意外と難しかった。まず切符の意味が分からない上、それを改札口の中に通すなど彼女はしたことがない。改札口からピンポーンとけたたましい音が鳴り、駅員が慌てて駆けつけてくるという、小さなハプニングがあった。


 電車に乗り込むと、乗車席は空いており、俺たちはゆっくりと腰を下ろすことが出来た。クララは電車が動き出すと、背中の景色が気になったらしく、子供のように後ろ向きに座り直し、両膝をついて車窓を楽しみ始めた……。


 俺は彼女が掃いていたサンダルを脱がせ、足下に並べた。俯瞰ふかんして彼女の行為を見ると、緑のジャージを着たイタイ女の子が、無邪気に窓を眺めてはしゃいでいるいる構図であった。しかも彼女の顔が綺麗に整っており、頭に巻いた耳を隠すためのタオルが、さらに痛さを倍増させていた……。電車が都内に入るまで、車内は混雑しておらず、俺は黙って異世界を楽しむエルフの姿を、生温かい目で見守ることにした……。 


 新宿で俺たちは電車に乗り換えるため降車する。駅を出ると一挙に人の数が増え、クララはその数にかなり驚愕した様子だった。地元に向かう電車に乗り込み、乗車席を確保する。


「後ろを向いて座るのは止めろよ」


 耳元でそっと注意を促した。


「どうしてなの? 人が多いので迷惑なのね」


 そう言って、一人合点を示す。


「いや、後ろを向いて座席に座るのは、この世界では小さな子供だけだ」


 俺はクッと笑いを堪えて説明した。


 それを聞いた彼女の顔は、一瞬真っ青になりその後、耳まで真っ赤に染まった。そして俺の膝を、ぽかぽかと殴ってきた。俺はそんな彼女の姿を、スマホで撮影し悦に浸っていた……。


 地元の駅に到着し改札を出ると、辺りは真っ暗になっていた。


「もう真っ暗になってしまったな」


 そう言って、夜空を見上げる。


「えっ!? こんなに明るいのに、暗いってどういうこと??」


 街灯を知らない彼女にとって、地方の夜道でさえ、明るい光で照らされた景色に映っていた。


「コンビニで夕食を買っていこう」


 俺は彼女と一緒にいつものコンビニに入店した。クララは物珍しそうに、コンビニにの棚を見やる。


「肉、野菜、パンどれがお好みか?」


 クララは暫く考え


「お肉が好きね」


 と、満面の笑みを浮かべて答えた。


「じゃあ、この棚に並んでいるお弁当から選んでくれ」

 

 クララはガラス玉みたいな目を輝かせながら、棚を覗き込み、長考の末びっくりチキンカツに決めた。


「酒は好きか?」


「結構飲めるわね……果実酒が好みよ」


 それを聞いた俺は、ストロングゼロをカゴの中に放り込んだ。


 レジで精算を終え我が家に向かう。部屋の扉を開いて入ると、一日の疲れがどっと押し寄せてきた。 


「こちらの世界では、靴を脱いで部屋に入るのが常識なんだ」


「へーそうなんだ」


 サンダルを脱ぎ捨て、部屋に上がる。


「このまま、夕飯にしたいんだけど、お風呂に入ろうか」


 クララは自分の腕を鼻に当て、スンスンと臭いを嗅いで、羞恥心に悶えた……。


「ハハハ……仕方がないだろう。湯をかぶれば疲れも一緒に落ちるさ」


 彼女を風呂場に連れて行き、シャワーとボディソープの使い方を教えた。


「タオルと着替えをここに置いておくから、風呂から上がったら使ってくれ」


 扉の前で声を掛け、着替えを置いた。


「うん、了解した」


 シャワーの音と共に、機嫌の良い彼女の声が返ってきた。


 リビングのソファーに座って、雑多に積まれた漫画を手に取り読み出した。暫くすると、クララに後ろから声を掛けられる。


「生き返るような思いがしたわ」


 振り返り、俺は手持っていた漫画を床に落とす。


 そこには、ぶかぶかのティシャツ姿でボクサーパンツを履いた天使がリビングに降臨していた。その造り物じみたその美しい造形物に、しばし見とれる……。


「そ、それは良かった……すぐに戻ってくるから待っててくれ」


「ゆっくりしてきて頂戴」


 俺は悪い事はしていないのに、何故だか逃げるように風呂場に向かう。


*      *      *


「「お疲れ様~」」


 酒を注いだグラスを打ち付け、二人で今日一日の苦労を労う。クララが箸の代わりにスプーンで弁当を食べようとしたとき、俺は思い出したかのように、彼女の食事を止めた。


「忘れていた……おにぎりというこの国を代表する料理を食べてくれ」


 そう言って、コンビニの袋からおにぎりを取り出し、包装フィルムをめくって、クララに差し出した。


「不思議な食べ物ね」


 そう言って、手に持ったおにぎりにかぶりつく。


「まっ……美味しい! 穀物の中に具が入っているのね」


 クララがおにぎりを覗き込む。


「ツナマヨだ……魚の身だよ。中に入れる具は色々あるんだけど、この白い穀物こめを握って、ノリという干した海草でくるんだこの料理を『おにぎり』と、この国では呼ぶ、国を代表する食べ物なんだ」


「そうなの……だからこの箱に入った料理を食す前に、私に食べさせたかったのね」


「その弁当にも米が使われているけど、国家を表す料理を食べて欲しいと思ったんだ。まあ、勝手な押しつけで申し訳ない」


「そんなの……感謝しか言えないじゃない。最初に頂いたパンは命を繋ぐために食べたので、ただただ身体が喜びを感じたけど、この食事は一生忘れないほど美味しかった」


 クララの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


「しんみりするのはおしまい、改めて乾杯ーーーーーーーーい!」


 俺は自分が作ってしまった空気を吹き飛ばすため、大きな声でもう一度、宴の開始を宣言しなおした。

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