第38話 ひきこもり、旅立つ

 強烈な喉の渇きを覚え目覚めると、自分がリビングで雑魚寝していたことに苦笑する。床には昨日食い散らかした食べ物のゴミと、大量の空き缶が転がっていた……。ソファーの上で毛布にくるまった健ちゃんが、気持ちよさそうに寝息を立てている。台所まで水を飲みに行こうと、泥のように重い身体をひきずり、のろのろと歩いていく。冷蔵庫の扉に付けている時計が、十二時を示していた。


 昨日の怠惰な時間を過ごしたのを思い出し、完全に学生時代の生活と変わらないと苦笑する。コップに注いだ冷たい水を喉に流し込み、当たり前のようにスマホを開いたとき、口の中の水を盛大に拭き出してしまう。


「登録者が十万人を超えちまっているよ……」


 俺はぼさぼさになった髪の毛を掻き分け、スマホの画面を呆然としながら見やった。


 ダイレクトメッセージが届いており、画像ファイルが添付されていた。知らない相手からだったので恐る恐る開いてみると、動物の画像であった。その動物は体色が緑で毛の抜けた猿のような身体をしており、目を閉じ水辺で死んでいるように思えた。


 最初の感想は、CGにしては良く撮れできている悪戯画像だと思った。送り主の本文を読むと、『地元の湖でゴブリンみたいな動物がいました。異世界レジスタンスのフアンなので、もし何か役立つかと思い写真を送らせて頂きます』そう記されていた。 


 文面から悪質な悪戯にしては、控えめな文章だと画像を見つめていると


「何見ているの?」


 リビングのソファーに寝ていた健ちゃんが、寝ぼけ眼で声を掛けてくる。


「ああ、起きたのか……。メールで悪戯写真が送られてきたんだけど、この写真が良く出来てるのよ」


 俺はそう言って、肩口からスマホを覗き込む健ちゃんに画像を近づけた。


「ええっ!! ゴ、ゴブリン……!!」


 健ちゃんは顔面蒼白になり、暫く喋ることが出来ないほど驚き、ハーハーと荒い呼吸に変わる。俺は健ちゃんをソファーに座らせ、そっと手を握り落ち着かせる。


「大丈夫か……」


 ソファーの横に座って、優しく声を掛ける。


「ごめんね……向こうのことを、突然思い出しちゃって……」


 健ちゃんが表情を曇らせながら呟いた……。


「まさか本当の写真だったとは……確かにゴブリンって緑色で表現されることが多いけど、異世界にゴブリンなんて実在したのかよ!?」


 俺は場の空気を変えようと、明るく声を出す。


「ゴブリンはいたよ……魔人より野生動物に近い形だった。ただ争いの時、魔王軍が扱っていたけどね」


「そうなんだ……」


 その言葉から、彼が多くのゴブリンを殺してきたのだと理解出来た。


 俺はスマホをいじり、DMを貰った相手に返信することに決めた。簡素な文面を書きメールを送ると、直ぐにスマホから呼び出し音が流れてくる。


「あのー、異次元さんですか?」


 耳元で見知らぬ人の声が聞こえてくる。


「はいそうです。DMを送って下さった佐藤さんですね! 詳しいことが聞きたくて連絡を頂けるようメールしました。送られた写真について少しだけお話を伺っても宜しいでしょうか」


 電話口の向こうの相手に丁寧に対応し、用件を伝えた。


「実は最初この動物を見付けたとき動いていたんですよ! それで不思議な生き物がいるなと思い、写真に撮ったんです」


「なっ!? 生きていたと!!」


 俺は思わず、変な声が出てしまった。


「皮膚病の猿かと思い込んで彼女に見せたら、ゴブリンみたいだねと言われたんですよ。そこで、もしかしたら異世界の動物かもと思い直し、画像を送らせて貰いました」


 写真を撮った場所を聞くと、隣県の湖だとわかり、取材に行くことを伝えた。彼は快く承諾してくれたので、写真が撮られた地まで行くことに決めた。


「ユーチューブのネタになりそうなので、T県まで取材に行ってくるわ」


 俺は健ちゃんに伝える。本当なら彼と同行したかったが、先ほどの様子から鑑みてそれを言い出す気にはなれなかった。


「じゃあ、駅まで送るよ」


 健ちゃんは俺の真意を敏感に感じ取り、申し訳なさそうな顔をする。


「彼女じゃ無いんだし断固断る! まあ、向こうで何かあったら連絡するので、いつでも電話が通じる状態にしてくれればOKだぜ」


「そうする」


 そう一言言って、恥ずかしそうに笑った。


         *      *      *


 現地に到着したのは、時間短縮のため在来線を使って二時間半……。乗り継ぎでの待ち時間が長く、思った以上に時間が掛かってしまった。U湖行きのバス停の前で、佐藤さんがわざわざ出えに来てくれることになりかなり助かる。


 田舎の平日のせいか駅前は閑散としており、俺はベンチに腰掛け、のどかに残った風景を楽しむ。(そういや一人でこんな時間を過ごしたのは何時振りだろう)少しだけ感傷に浸っていると、佐藤さんが運転していると思われる古いセダンタイプのカローラが、ベンチの前に横付けされた。


「異世界さんですか?」


 車の窓が開き、少し痩せ黒縁の眼鏡をした若い男性が声を掛けてくる


「佐藤さんですよね……わざわざ迎えに来て下さってありがとうございます」


 そう言って、車のドアを開け乗り込んだ。


「まさか此処まで来られるとは、思いもしなかったですよ」


 佐藤さんが顔を綻ばせる。


「ははは、ネタになりそうなので来ました」


 俺は頭を掻きながら。改めて挨拶を仕直した。


「いつも異世界レジスタンス、楽しみに見させて貰ってます。昨日の放送は凄かったです! 彼女に異世界さんに合うと話したら、授業がなければ行けたのにと、悔しがってました」


「そうなんですか……二人とも大学生なんですね」


 相づちを打って会話を続けた。暫く山沿いの道を進み、三十分ほど走ると、佐藤さんが細い指先を差し示す。


「これがU湖なんです。すぐに着きますよ」


 山々に囲まれた美しい湖が見えてきた。


「思った以上に大きな湖ですよね。風景が美しくて地元に住めるなんて羨ましいです」


「あはは、只の田舎ですけどね」


 湖近くの駐車場に車が止まった。俺たちは車から降車し、湖に向けて歩いていく。


「観光地の割に、誰も人がいないですよね」


 俺は駐車場から湖に続く道を見回し、率直な感想を言う。


「そうなんです……まだこの湖で釣りが解禁されていないので、平日はガラガラです」


 佐藤さんが辺りを見回しながら言った。


「そういえば佐藤さんは、この湖に何故来たんですか?」


「ここだけの話しですが……地元民は釣りが解禁される前も、ちょこちょこと竿を出しているんですよね。まあ、魚の持ち帰りは暗黙の了解でしないことを前提なんですが……」


 佐藤さんは申し訳なさそうに話す。


「昨日もゼミが休みだったので、気晴らしに竿を担いでここに釣りをしに来て、あの動物を見付けたんです。あっ……そろそろ目的地に着きますよ」


 彼がそう言って、水辺を指差すとそこには何も居なかった……。


「えっ! 昨日まではいたんですよ!! ここにあの……」


 佐藤さんは思った以上に狼狽する。


「私も佐藤さんが嘘をついているとは思っていません。証拠写真もあるし、嘘なら私に会うはずがないですよね」


「はひ……そうです。うそなど 付いてません。でも、こんなに遠くまで異世界さんに来て貰ったのに申し訳なくて……」


 打ちひしがれたような声で返ってくる。


「大丈夫です。この場所の動画を撮って一本上げますから」


 ゴブリンがいた場所を見ながら俺は笑う。


 そのとき水の中にキラリと光る物を見付けた。俺は水の中に手を入れそれを拾い上げ見ると、茶色く濁った透明色の結晶だった。


「なんですかそれは?」


「ちょっと光ったので、拾ってみたんです」


 そう言って、手のひらに石を乗せ、彼に見せた。


「もう少し取材を続けるので、佐藤さんを無理に付き合わせるのは悪いので解散にしますか」


「そうですか……役に立てなくてなんだか申し訳なさ過ぎて、駅まで送りますよ……」


「いやいや動画の取れ高は十分あったです。あの送ってくれた写真は場所と名前は明かさないので使っても、宜しいいですか?」


「そんなの遠慮無く使って下さい! 場所も隠さなくても良いですよ! もちろん僕の名前はレジスタンスの一人として匿名でお願いします」


 そう言って、佐藤さんは嬉しそうに笑った。


「そうだ……異次元さんの魔術を見せて欲しいんですが……駄目ですよね」


 続けて、その口から出たのは、唐突なお願いだった。


「情報料ではないですが……レジスタンス仲間として見せましょう」


 俺は胸をどんと叩く。そうして右手を広げ、湖に身体を向け呪文を唱える。


「メララン!!」


 その次の一瞬、手のひらから小さな炎が飛び出し、数メートル先の水面に魔法がポトリと沈んだ。


「……ま、マジ魔法だったんですか!!!!」


 とんでもない物を見たかのように、彼の顔がぐしゃりと歪む。


見栄えが良いでしょう」


 そう言って、彼に向けニヤリと笑いかけると、佐藤さんは炎が消えた場所を唖然として見つめていた。

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