第22話 勇者は異世界を逃げ出した

 魔王城を取り囲む石垣には、魔族を侮蔑する落書きで埋め尽くされていた。以前ならここまで辿り着く人は、まず居なかったはずだが、守護者のいない魔王の迷宮は、簡単なアトラクションに近いものがあった。ただ、この城の結界をかいくぐって、中に入る程の猛者は早々いないだろう。


 僕は鉄柵の門扉に手を掛けると、何もしていないのに扉がゆるりと開いた。すると門扉の前に、褐色の女性が待ち構えるようにして立っていた。


「どうやら約束は、守ったようですね」


 その言葉を聞いて、初めて彼女が魔王の娘だと気が付いた。一年前に会った彼女は、きりっとしたきつめで透き通るような青い目をしていたが、僕の前に立つ女性の顔には、痛々しい包帯が巻かれていた。魔王譲りの立派な角は両方折れており、当時の面影は何処にもなかった……。


「ああぁぁ……」


 僕は小さく呻き声を発し、彼女に向け両手を広げて、治癒魔法を掛けようとした。


「私に触れないで下さい!!」


 彼女はぞっとするような、暗く冷たい声で僕を完全に拒絶した。


「この屋敷には、強い結界が張り巡らせているのに何故……」


「外には守る者など誰もいませんから………無駄話はいらないので、私について来て下さい」


 全てを察し、何も言えずに押し黙る――


 部屋に通された僕は、屋敷の奥に隠されたように作られた、地下の一室に案内される。床には複雑な魔法陣が描かれており、僕はその魔法陣を見つめた。


「転移魔法を起動させますので、お父……魔石を渡して下さい」


 言われるままに鞄から魔石を取り出し、彼女に手渡した。


「魔王はどうして戦場で戦わなかったのか教えて欲しい」


 彼女は不愉快そうに顔を顰める。


「この転移装置を、人間の手から守るためです」


 彼女は、苛立ったように答えた。


「その守る意味を、教えて欲しいのです」


「それは私にも分かりません。ただこの装置は、誰にも触れさせてはいけないと、常々申しておりました」


「じゃあなぜ……僕が……」


「ぐだぐだ言ってないで、早くこの魔方陣の下に立ちなさいよ! もうすぐ王国軍がこの地を汚しにやってくるの。勇者あなたを送り返さないことには、ここを破壊することが出来ないのよ!」


「えっ!? ではこの邸宅に張ってある結界まで壊れるじゃないか!! そうだとすれば、貴方は暮らす場所を失うということですか」


 彼女はその言葉を聞いて、露骨に顔を引き攣らせた。


「良く喋る男ね…… 。もう私の心は、勇者にお父様を殺されてから死んでいるの! だから今更自分がどうなろうと、問題はないの」


 吐き捨てるようにそう言ってから、少し泣きそうな表情で僕を睨みつけた。


 勇者なら彼女を救う言葉を投げ掛けたであろう……しかし似非勇者にそれは出来なかった。僕は彼女に促されるまま、魔法陣の上に立った。暫くすると床から光の文字が浮かび上がり、転移魔法が発動し僕の身体を包み込んでいく。通常の移転魔法と異なり、一瞬で目的地に転移しなかった、初めて召還された魔法によく似ており、目的地を伝えていないのにも関わらず、成功すると信じることが出来た。


――地面に足が付いた感覚が戻ると、辺りを闇が覆っていた。異世界には無い街頭の光を見て、(日本に戻ってきたんだ……)僕の目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る