普段と未知の第1話

 「早くしろよー」


 昼休み。


 僕は、人ごみの中でヤジを飛ばされていた。


 ちらりと後ろを振り返ると、坊主頭の男子三人が不機嫌そうにこちらを睨みつけて

いるのが見えた。


 いつもは弁当を用意している昼休みだが、今日は珍しく寝坊をしてしまい、用意で

きなかった。


 だからいま、不慣れな購買を利用しておいしそうなパンを選んで買おうとしている

わけで・・・。


 「お前のせいでみんな待ってるんだけど!」


 ヤジがどんどん大きくなる。


 ていうか、上履きの色からして君たち後輩だよね? 少しだけムッとしたが、悪い

のは僕で、ここで反論しても人数と正論に圧倒されるだけなので、棚に陳列した、質

素な印象のクリームパンを買い取り、そそくさと人ごみから出て行った。


 「はあ・・・」と聞こえるように大きなため息を吐く坊主頭。


 そこまでして悪態付かなくたっていいじゃないか。と思った。思っただけ。


 まあでも、それは相手が僕だから、言いやすいのだろう。


 学校中の有名人。もちろん、否定的な意味合いの。






 教室に戻ると、僕の席を占領するクラスメート。スクールカースト上位と呼ぶにふ

さわしい、高い上背と、盛り上がった筋肉、そして人を警戒させるのに十分な鋭い目

つき。


 喧騒が止まる。


 「なんか用か?」


 同じ中学校出身の上田が、僕を睨む。


 「いや、何も・・・」


 へらへらと笑う僕は、我ながらに情けなかった。


 「ビビりすぎだろ、っははははは!!」


 上田が高らかに笑うのを合図に、周りもにやにやと笑い始めた。


 「お前どこで食うの? 白山、お前の席貸してやれよ」


 「え~、やだ~、椅子が腐っちゃう~」


 容姿だけは僕の好みな白山さんが、汚物を見るような目で僕を見る。俯いていたの

で実際にその様子は確認できなかったが、間違いなく彼女はそういう目で見ていた。


 「そ・・・」


 跳ね上がる心拍数で震え上がる声。


 「外で食べるよ」


 あはは、とまた作り笑いを浮かべて、逃げるように教室を出て行った。


 情けないこと、この上ない。






 夕方。


 僕は帰宅部なのですぐにでも学校を後にする。


 僕をクズのように扱う彼らは、部活動や課外活動に励み、教師に認められる。どう

して部活をしないんだ、と単純に聞いているように見せかけて本当はやる気のない僕

を咎めるような、前の担任の顔を思い出すと、再び劣等感に苛まれるわけだが。


 「ああ…」


 思い出すとそのまま家に帰るのが嫌になったので、少し寄り道することにした。


 住んでいる家から一駅離れた場所にある図書館で、本を借りることにした。借りる

のは、大衆小説。昔の偉い人が書いた小説ではなく、今を生きている作家さんの作

品。この図書館にはそういった類のものもたくさん置かれているので、うちの学校の

生徒や中学校の生徒もやってくる。


 そういうわけで、大好きなミステリー小説を棚から引き抜き、貸出受付のカウンタ

ーにもっていこうとすると、静かな空間に地鳴りのような鈍い音が響いた。


 どどど、となだれ込むような音がピタリと止む。


 視線を注ぐと、見かけない制服を着た女の子が、階段下の床に倒れこんでいるのが

見えた。


 足が勝手に動いて、その子に駆け寄る。


 真っ白な肌と、うちの女子たちなんかよりもずっと明るい髪色。


 「あぁ、あの…だいじょう、っ!!」


 僕は、ひっ、と一歩後ろに下がった。


 真っ白な制服を真っ赤に染め上げた血もそうだが、僕が一番驚いたのは…。


 大量に鼻血を流した彼女が、それを抑えることもなく、にんまりと僕に笑いかけて

いたこと。


 「えっへへ、お構いなく~」


 これが、不幸を極めた僕と、幸せであふれかえった彼女の、あまりにも稀有な物語

の始まりである。






 「いらっしゃいま…、いやあああ!!」


 カランコロンと風情を感じるベルの音をかき消す悲鳴。


 二階建ての建物の、一階にある喫茶店のドアを開けると、そこで働く女性はまず悲

鳴を上げた。


 「レイラ!?」


 「美亜ちゃ~ん」


 半狂乱を起こして焦りまくっている女性に対して、女の子は実にのんびりとしてい

る。


 この美亜という女性も焦るのも無理ない。自分の身内の胴体にびっしりと血の跡が

ついているのだから。


 慌てて駆け寄る女性。


 で。


 「あんたがやったの!?」


 「え、ええ!?」


 いやいやいや。


 普通に考えて加害者が被害者を家まで送らないでしょ!!


 胸ぐらをつかまれて凄みのある剣幕にひるんだ僕はいつものように言いたいことを

言い出せず、おろおろとした。


 なかなかに気の強そうなお姉さんだった。


 「違うよ~。レイラが勝手に転んだんだよ~」


 相変わらずへらへらと笑みを浮かべて弁解する。


 「へ? そうなの?」


 お姉さんはすっと僕の服から手を離す。


 「そこの人に、ここに来るまで案内してもらってたの」


 すると、自分の過ちに気づいたように急に形相を変えて、僕の方を向いた。


 「ごめんなさい!!」


 大きく、深々と頭を下げられる。


 「てっきり悪い人かと思って! いとこの妹でも、本当の妹のように大事だったも

ので、つい…」


 「あ、いえ、お気になさらず」


 僕も頭を下げる彼女に困惑する。学校の後輩にもタメ口で威圧される僕だが、目上

の人にこうして頭を下げられるのもどうも良い気分ではない。


 「ビックリしたでしょ?」


 視線を僕の胸元に向ける。


 「いえ、大丈夫です…」


 慣れてるので、と喉まで出かかった声をなんとか鎮める。


 「さっ、レイラは二階で着替えてきなさい。あなたには、よかったらご馳走するか

ら、そこの席に座って」


 「ああ、ええと…」


 「いいのいいの、あの子を安全に送ってくれたお礼に」


 「じゃ、じゃあ…」


 お言葉に甘えて、なんて初めて口にする言葉を発しながらおそるおそるカウンター

の一席へと向かった。





 岸田玲羅(きしだれいら)は、家出してきた女の子。


 中学二年生で、遠く離れた実家から逃げるようにここまで、いとこの美亜さんの住まい兼カフェにやって来た。


 家出してから1週間が経ち、今日は息抜きにと初めて外に出て、道に迷う。美亜さ

んの家からスマホを忘れてしまったので地図を開くことができず、図書館なら何かが

わかるんじゃないかと入り込んで、それから僕と会った。とまあ、そんな感じらし

い。


 お姉さんはそんな家庭の事情を、逡巡することなく赤の他人の僕に話してくれた。


 「まあ、そんなわけで、レイラのこと、ありがとね」


 美亜さんがほほ笑むと、僕は少しだけ恥ずかしくなり、目をそら

す。


 レイラと同じような丸顔だが、こちらはショートカットで少しパーマがかかってい

る。大人のお姉さんとしての雰囲気を十分に漂わせる彼女は、この店にはよく似合っ

ていた。


 目の前に出されたホットミルクと、ホットサンド。夕食前なので、と一口サイズで

出されたホットサンドは熱々で、卵とチーズがトロっとしていておいしかった。メイ

ンのハムカツも肉厚で、また来たくなる味だった。


 「美亜ちゃんの手作りおいしいよね~」


 「うわっ」と思わず声が出てしまう。さっきの、流血しながら笑っていた彼女を思

い出したからだ。


 しかし、今の彼女には血の一滴もついていない。


アルファベットが印字された白いTシャツに、ジーンズ生地のスカート。


ふんわりと、シャンプーのいい匂いが鼻腔を掠める。


きれいな、明るい色の髪だった。


「レイラも食べた~い」


舌足らずで間延びする声で、レイラが真上にピンと、右手を伸ばしてカウンター越し

のいとこに言った。


「晩御飯の前だから、ちょっとだけね」


「やった~」


「よ、よかったですね」


「うん!」


屈託のない笑顔で、僕に笑いかけた。


それからおよそ十五分後。


僕は席を立ちあがり、そろそろ帰ろうかと荷物に手をかけた。


「あの」


と、美亜さんが、何かをお願いするような感じの面持ちで僕に声をかけた。


「はい」と、僕もその緊張感が伝染する。


「お願いがあるんだけど…。嫌なら断ってね。それに、決めつけるようであなたには

失礼かもしれないんだけど…」


「はい」


 慎重に予防線を張る彼女。


 「あなたの『不幸』を、この子に分けてくれないかしら」


 「へ?」


 しっかり者に見える彼女の口から発せられた、訳のわからないお願いに、思わず変

な声が出てしまった。



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