赤き女王の日常「どうか、微笑みを……」
『……ボクからは以上だ。申し訳ないが、ここでお引き取り願う』
ここ最近、グリム同盟シャプロン国女王〝赤ずきん ルージュ〟の機嫌がとてつもなく悪い。
国民たちへの対応こそ、普段通りを振る舞っているようだが、それでもやはりルージュの側近である近衛騎士〝アルフレート〟と〝ルドルフ〟には彼女の不機嫌さと不調さが隠しきれないでいた。
それだけ余裕がないと言う事である。
「ルー、無理してるね」
「……そうだな……」
理由は探る必要もなく明白だった。
形式ばかりが重視された外交謁見が連日続いた事。
さらに言えば、その大半が度重なる不敬な訪問であり、半ば追い出す形で終幕を迎えるものばかりだった事に由来するのだろう。
『アルフ、ロロ……ごめん、ちょっと部屋で休んでくる』
翻した赤いマントは、まるで〝今は声を掛けないでくれ〟と接触を拒むようにバサリと音を立てて。
長い廊下の先へと一人歩いていくルージュの背中を、人狼たちは黙って見送るしかできなかった。
――――
「なんとか、ルーに笑ってもらう方法はないかなぁ……?」
周回警備のために城下町の外れを歩くルドルフが、空に流れる雲に向かってそう言葉を溢した。
「あんな顰めっ面のルー……苦しいのを抑えつけてるのが、俺たちも伝わってくるよ。……辛いなぁ……ねぇ、リチェルカーレ」
そんならしくないため息をいくつか溢す。
ルドルフは横を歩く自身の腹心である白狼〝リチェルカーレ〟に視線を流せば、リチェルカーレもまた〝くぅん〟とオオカミらしくない声で答えた。
「何かいい方法は……ん?」
自身の緋い尻尾をユラユラと揺らし、解決法を探るルドルフの服の裾を、突然リチェルカーレがグイグイと口で引っ張ってきた。
索敵の名手と謳われる白狼〝リチェルカーレ〟のこの反応。きっと何かを見つけたに違いない。
ルドルフはリチェルカーレに導かれるままに森の奥へと歩を進めた。
「な、なんだろ、この鳥……珍しいなぁ」
リチェルカーレの道案内先にいたのは、薄汚れてはいるが、確実に珍しい羽色を持つ水鳥であった。
怪我の様子はないが、周囲に仲間がいる様子もない。
水鳥は、天敵の狼であるルドルフとリチェルカーレに怯える素振りを見せず、足の周りをガァガァと鳴き声を上げながら歩いていた。
「この子、ルーに見せたら驚くかな?」
ひょっとしたら見えないところに怪我があって、助けを求めているのかもしれない。
薄汚れた羽が原因で水に入れない可能性だってある。
それに、この鳥は綺麗にしてやればきっと珍しく羽色をもった美しい鳥だろう。
新しいもの、珍しいもの好きのルージュの好奇心がムクムクと疼いて、これまでの不機嫌が一気に好転するに違いない!
そう確信したルドルフは、その水鳥が大事件に繋がるとも知らずに。
そっと抱え上げると、そのままシャプロンの城へと連れ帰ったのであった。
――――――
「……はぁ」
ところ変わってシャプロンの城内。
ルドルフと同じくルージュの不機嫌を憂う、もう一人の近衛騎士アルフレートが、もう何度目かのため息を溢しながら、書類とトントンと整えた。
「……自分の無力さに呆れるな」
ルージュには立場上、多くの我慢と苦労を掛けるのを一番理解している。
ならばせめて、彼女の心の有様だけは、明るく健やかであるように守ってやらねばならぬのに。
それが叶えられぬ自身に落胆する。
「(あの時の立ち回りは俺が矢面に立つべきだった……あれはルーが受ける批判なんかじゃなかったはずだ……)」
嫌味だけを言いにやってきた、これまでの謁見者たちの顔を苦虫を噛み潰したような表情で思い返す。
本能的に上げそうになる獣の唸り声を抑えて、席を立つと、ゆっくりと目を閉じる。
そして深呼吸を繰り返し、自分を律するように整えていた……その時。
――ドタドタドタドタ……バタンッッ!!
「ア、アアアアアア、アルフ!!」
「……ノックくらい出来ないのか、お前は……」
「た、大変だ!」
「……自分の無礼さが、か?」
「それはゴメン! でもそれどころじゃないんだよ!! ……見てよこれ!」
なんの前触れもなく、突然アルフレートの部屋へと飛び込んできたルドルフが衰えぬ勢いのまま、ずいっとアルフレートの方へ差し出してきたのは、例の〝森で保護した珍しい羽色の水鳥〟だった。
「……こいつ、ガチョウ……か?」
「そうなんだけど! そうじゃなくて!」
「なんだ……珍しい羽色のこと言ってるのか?」
「それもそうなんだけど、違うんだよ!」
「……頼むから要点をまとめてから喋ってくれ……」
決してルドルフの声の大きさに由来するものだけではない頭痛が襲い始めたのをきっかけに。
アルフレートは、ルドルフを落ち着かせながらことのあらましを語らせた。
……曰く、森で保護した水鳥改め、ガチョウの羽の汚れを丁寧に汚れを落とした結果。
それはそれは珍しい黄金の羽を持っている事が判明した。
その美しさに見惚れながら、これはすぐにでもルージュにも見せてやらねば……と、抱き上げた瞬間。
「手から離れなくなったんだ!」
……事件は起きたらしい。
アルフレートは頭痛に次いで、目眩に襲われた。
ルドルフに嘘をついている様子はない。
しかし、そんなバカな事があって良いものだろうか。
「……ふざけているなら、説教だからな」
そう意気込みを込めた溜め息を一つついたアルフレートは、ルドルフの手をガッと掴むと、自信の持てる全力でルドルフの手からガチョウから離すように、左右に押し開いた。
「いっっっっでででででぇぇぇー!」
「…………っ、なんだこれ……」
何度も、何度も力を入れ直してはガチョウを抱くルドルフの手を開こうとするも。
一向にその手がガチョウから離れることはない……否、それ以上の事が起きている。
「……ちょっと待て……」
「……え!? 嘘でしょ!?」
ルドルフに向かい合い、ガチョウを解放しようとしていたアルフレートの手が……奇しくも、ルドルフの腕から離れなくなってしまったのだ。
「……アルフ、もしかして取れない……?」
「……聞くな」
自然と互いの手を見つめながら、事態に愕然とする二人が、示し合わせるでもなく視線を合わせれば。
事の元凶になったルドルフが青ざめ、しっかりそれに巻き込まれたアルフレートは、曇天が如く表情を暗くしていった。
「ど、どどどどどうしよう!? アルフ!」
「……お前、説教どころで済むと思うなよ……」
「えええええーー!!」
弁解に徹してオロオロと立ち回るルドルフ、そして先行きの不安に頭を抱えるしかないアルフレートの元へ、騒ぎを聞きつけたルージュが現れた。
『何してるのさ……二人とも……』
「「ルー!!」」
怪訝な表情を見せるルージュの視界には、世にも珍しい金色のガチョウを挟んで、自分の側近である人狼二人が、手を取り合っているという異様な光景が広がっている。
ルージュは、思わず頬が引き攣ったのを自覚した。
「実は……!」
「いいか、最後まで聞いてくれ……ルー……」
これまでの事情を冷や汗混じりに話すルドルフと、話せば話す程に疲労困憊を深めるアルフレートがとても対照的で。
ルージュはそんな二人を見ているうちに、ふと頭を下げて床を見つめた。
『…………っ』
「どうした、ルー」
「ルー、大丈夫!?」
アルフレートとルドルフが手を取り合ったままに心配そうな視線をルージュへと向ける。
そんな近衛騎士たちの姿に、ルージュはついにプルプルと肩を振るわせ始めると、一気に大声を上げた。
『……ぷっ、あははははは! なに? その姿は! なんでガチョウが城内にいるのさ! しかも何その色、珍しいね、あとどうして二人で仲睦まじく手を取り合ってるんだ? 槍でも降ってきそうじゃないか!』
腹を抱えてケラケラと笑い続けるルージュを、アルフレートとルドルフが呆然と見つめる。
こんなにも楽しそうに笑い転げるルージュを見るのはいつぶりだろう。
彼女の心からの笑顔と笑い声に、自分たちの状況も忘れてすっかり安堵した胸を撫で下ろしたしたのも束の間。
「あ、あれ!? ……取れた!!」
突然、どれだけ手を尽くしてもピクリともする事のなかった手がするりと離れて、金色のガチョウは床へと滑り落ちていったのだ。
「……な、なんだったんだ……」
『あれ? もうおしまいかい? もうちょっと見ていたかったのになぁ』
この件をきっかけに。
辛い感情を抑えるのに必死になっていたルージュは、それからしばらく思い出し笑いを抑えるのに必死になる時期が続いて、気がつけばいつものルージュに戻っていたのだという。
結局、触れると離れなくなってしまうことを除けば、特に害もなさそうだという判断から、森へ戻される事になった謎のガチョウの正体は、迷宮入りになってしまった。
しかし、これからもきっとこの謎は解明されることはないだろう。
ルージュの曇り顔が消えてしまった今となっては。
そして、ルージュが笑顔を取り戻してくれた今となっては。
〝金のガチョウ〟の謎などと言う事は、深く追求する必要のない些細な問題なのである。
……ただし、ルドルフのお説教だけは予定通り開催されたことだけをお伝えしておこう。
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